第四章 1.5 ~ ロアード ~
王の間は、息が詰まるほどの緊張感に包まれていた。
ゆっくりと閉まる扉の向こうに末弟の姿が消えるのを待ち、ロアードは室内を振り返った。居並ぶ面々を端から見渡し、今日の案件に見当をつける。
「お待たせを」
何食わぬ顔で――食っていたとしても無表情だが――だれともなく詫びの言葉をかけ、王の前へ進み出る。そばに控えていた初老の文官が数歩下がって、ロアードの場所をあけた。
この部屋に客のための椅子はない。
あるのは奥の壁を背に据えられた、洒落た細工の一つもない質素な玉座。それに書記官が陣取る書き物机と併せたものだけだ。
ロアードはわずかに顔を動かし、椅子の肘掛けに腰を下ろし腕組みをして、獰猛な笑みを浮かべる父王と視線を合わせた。詰襟の首元が苦しくなるほどの威圧感は、強い光を放つ深緑の瞳から噴き出している。その圧力をそよとも感じない様子で、王の近衛が二人、ロアードの背後に立っている。
父王のたくましい顎がくいと上がり、一人の人物を示す。逆らわず目を向けると、灰色の神官服を着た中年の男が深々と頭を下げていた。この場の空気を凍らせる張本人。
「……ドムファナ神殿」
の神官だな、とまでは続けず、服の型と袖の縁取りで確かめる。
ロアードは急な召喚命令が直接王からもたらされ、ジェイルを経てこなかったことの意味を知った。ドムファナの僕は、前もって来意を告げてはこない。王がドムファナを蔑ろにすることなど、思いもしないからだ。思っていてもそれを認めないから、というべきか。
つるりとした広い額の神官は、深々と腰を折って慇懃な口上を述べた。
「王太子殿下におかれましては、ご息女がご誕生なされたとのこと、お慶び申し上げます。殿下もご承知のことと存じますが、昨今我が国における我が神の凋落甚だしく、復活を願う我ら僕は、是非にと請うて有難い御位を戴くことと相成りました」
ロアードは回りくどい口上の、最後の部分だけ聞きとめた。御位とやらを授けて寄越すドムファナの大神殿は、ランドボルグにない。
ロアードは静かに目を伏せた。
かつて点在する主要な領地を除き、オージェルム全土で権勢を誇った――いや、猛威を振るったドムファナ神殿。
数百年にわたって民を心理的な支配下に置き、領主の権限を侵し、曖昧なお告げで法を歪め、人命と金品を秤にかけ続けた神。
影響の薄いランドボルグから王家がどれほど働きかけても、蠕動するドムファナの根を駆逐することはできなかった。
「本日は、その目出度き儀に供するに相応しきものをお譲りいただけぬかと――」
中途半端に背をかがめたまま言いさした神官の言葉は、しかし王によって遮られる。
「――して」
王がことさらに低めた声に、ロアードはうなじの毛がちり、とふるえたのを感じた。
「大いなるドムファナの遣いよ、その位をなにで購う」
椅子の肘掛けに腰を下ろしていた父王は、しなやかな動作で立ち上がり、神官へと歩み寄る。
「ランドボルグでの神殿建立の約か。それとも金か」
王は笑顔だ。だが深緑の瞳には剣呑な光が瞬き、左手は腰の得物に触れている。
「あ、購うなどと! 我が神の僕は清廉を以って旨とする戒律を遵守しておりますぞ! 我が神を冒涜なされればいかな陛下といえど――」
「ではなんだ。よもや『外』の娘ではあるまいな。『神殺し』の眷属だぞ」
神官は衣裳と同じくらい灰色になった顔に、屈辱と恐怖を浮かべた。
「わ、我が神は死んでなどっ!」
図星か。
あまりに安い役者振りに、ロアードは元々なかった興味と感心が綺麗に消えてなくなるのを感じた。
「相変わらず、次から次へとアサヌマに凶手を送り込んでいるようだな。ことごとく返り討ちにされ、大神官も業を煮やしたか。娘を手に入れアサヌマと引き換えるようヒロを脅迫する腹づもりのようだが、夢を見るなら神殿の中でだけにしておけ」
酷薄な笑みを口元に刷き、王は剣帯の留め金を音高くはずした。
「陛下、お待ちください! 我らはただ和睦の徴として――」
神官は広い額にびっしりと汗を浮かべ、なにか必死に訴えかけている。ロアードはそれをなんとなく見物しながら、『落下地点』の連中に特別手当を出さなければならんな、などと考える。
アサヌマにつけた護衛が使命を果たしていることは、叔父が寄越した暢気な書簡からもうかがえる。同様に『落下地点』から報告がないという事実が、あの集落での首尾を物語っていた。
ヒロは集落の何人かが、王から送り込まれた護衛であることを知っている。だが実際は何人か、ではない。あの集落丸ごと全部が、王の兵隊そのものなのだ。
ヤヨイもヒロも日常を脅かされることなく息災にしていた。当人たちに気づかれることなく、完璧な仕事をしている。上出来だ。
「ですが前年も同額をご寄進下さったではありませぬか! そのお志こそが、陛下の御心がドムファナにある証と、証と我らはッ!」
「確かに、あの金は俺の気持ちよ。おまえらは金が好きだろう? 家畜と同じだ、餌を与えておけばおとなしい」
まだやっているのか。
ロアードは少々飽きてきた。父王はあきらかにもったいぶって楽しんでいる。久方ぶりの遊戯にはしゃいでいるのだろう。どうせ結末は決まっている、親父殿お気に入りのアサヌマを煩わす輩が、すぐ目の前にいるのだ。
二十数年前、闇の凝った神殿に弾劾の光を浴びせ、影を打ち払ったのはアサヌマだ。ドムファナにも、どの神にも属さぬ魂の正義によって正道を示し、汚泥にまみれた神殿と聖職者を糾弾した。そして恐怖と不条理で民の心を支配していたオージェルムの神は、その罪を詳らかにされ、信心を失って死んだ。アサヌマはいまも国中を巡って民のために光を掲げ続けている。
常に神殿の放つ暗殺者の刃に晒されながら、決して自らの信念を曲げない異邦人。その命と持てる知識のすべてを以って、オージェルムに同胞を護る翼であることを誓わせる老人。
ゆったりとした歩調で進む王に気圧されたか、神官はじりじりと後ずさる。だが控えていた老臣に背を突かれ、つんのめるようにして王の前にまろび出た。その赤く濁った目は見開かれ、王が浮かべた獰猛な笑みを映した。
「お、おお、お待ち下さいッ!! 神は決してこのような、聖なる僕への振舞い――話が、話がちがうッ!!」
「おまえの神に伝えろ。オージェルム王はおまえの復活など望まない、とな」
ロアードは父王が腰の得物を引き抜き、右手一本で振りかぶるのを無感動に眺めた。
オージェルム王が『外』の人間を厚く庇護することには、理由がある。端的にいえば彼らの持つ知識を余すことなく引き出し、それが他に流出することを防ぐためだ。
そしてなにより、オージェルム人でなく、この世界の生まれですらないという彼らの特質。民らがどこまでそれを理解し、信じているかはともかく、常識と感性を共有しない存在であることが重要なのである。
『外』は素晴らしい、『外』は夢のような場所だ――。王自らが吹聴することで、祖国をそんな場所にするため多少の痛みは我慢して、そこから来た彼らの勧めに従うのだ、と言い聞かせる。一時的に怒りや不満は彼らに向くが、結果生活が向上すればそれも収まる。そうして王たちは悪しき因習を打破し、目障りな敵を一掃してきた。
彼らは王と民の間に波風を立てぬための盾。そしていまなお発展と拡大を窺うオージェルムの頭脳なのだ。
喉元に刃物を突きつけ、首に縄をかけて脅しても得られるものには限度がある。彼らが心から、喜んで自分の持てるものすべてを差し出すように、記憶の底を浚うようにして提供してくれなければ意味がない。
王は何者にも膝を折らぬが、国策としての懐柔に必要ならば、友好の笑顔を作ることは厭わない。特に彼らはことあるごとに頭を下げるから、それはきっと屈辱的な行為ではないのだろう。心情的には腸の煮える思いでも、父王はアサヌマに頭を下げる。
血糊で汚れた剣を放り、王は部屋の隅に控えた小姓に顎でそれを示した。顔色一つかえず、小姓は剣を拾って捧げ持ち、近衛が開けた扉から出て行く。眉をしかめたグレイヴの横顔がわずかに見えた。
「鬱陶しい連中だ。本気でかつての権勢を取り戻せると思っているのか」
唾でも吐きかけそうな表情で、父王は首のない遺骸を一瞥した。軽く眉を上げたのは、狙いよりも上を斬り飛ばしてしまったことへの自省だろうか。神官の頭は、顎先から咽喉仏のあたりが砕き潰されていた。
飛び散る血で壁や床はおろか天井まで汚れ、毛足の長い絨毯をこよなく愛するジェイルが見たら、鼻に皺を寄せて嫌そうな顔をするだろう。それを想像して、ロアードは愉快になった。
しかし見物客はだれも血を浴びた様子はなく、父王の見事な斬首に感嘆する。刃を振り抜く角度で、血液が噴出する方向を調節できる。ただ相当な膂力と思い切りのよさを要求されるので、ロアードは自分に同じことができるとは到底思えない。
「アサヌマがうまく立ち回っている証でしょう。『外』の者が民衆を味方につけ、王の陰に隠れて勝手をしている、と」
神官を突き飛ばした老臣が厳かに言って顎鬚をしごく。父王は鼻を鳴らし、腰に手をあてて窓の向こうを見やった。
「あれは聡い、使い勝手のいい男だ。難事が起きた際、解決法を尋ねても知らぬと言われればそれまで。奴らの頭をかち割って知りおることを取り出せるならよいが、そうもいかぬ。だが相応の代価を支払い、猫なで声で甘えてみせれば、実力以上の力を発揮する」
そして父王はロアードに肩越しの視線を寄越し、王者たる者かくあるべし、という覇気と自信、それからごく微量の孤独を瞳に閃かせた。
「覚えておけ、ロアード。知識や助言は、忠誠や愛と同じだ。無理やり引き出し、得られるものではない。頭でわかったつもりになっていると、ヒロを使いこなすことはできんぞ」
「はい」
従順な返事は、意識せずとも咽喉の奥からひとりでに湧いて出た。この父の前に出ると、まるで牙と爪を封じられた仔猫にでもなった気がする。こんなに愛想のない愛玩動物など、王の子以外に仕事の口はなさそうだが。
王は太い指先で顎をつまみ、引いては放すという動作を繰り返しながら、ふと疲れたような息をついた。
「本音を言えば、『外』の人間など現れるたびに殺せば話は早い。だが得がたき知識も失われる。現に手厚く遇し、懐に迎え入れた者共はよく働く。……失敗し、指の間からこぼれ落ちた者もいる」
前者はアサヌマやヒロ、後者は――ミツエ、か。ロアードは胃の腑がずんと重苦しくなるのを感じた。
室内に満ちる血臭が、徐々に密度を増していく。大量の血が放つ鉄錆に似たにおいが強まり、放置すればやがて不快な腐敗臭に取って代わる。だが流されたばかりの新鮮な血のにおいが、ロアードは嫌いではない。
肺腑の奥まで存分に臭気を取り込み、ともに自身が腐れていくような幻想を味わった。
倒錯的な思考に耽るロアードに、父王は既に興味を失っている。あらゆる情を捨てたような横顔で、ここではないどこかを見ていた。
「あの娘、アサヌマやミツエのような働きは期待できぬ、と『落下地点』より報告が参っておりますが」
だれも、十人近くいる人間の誰一人として物音を立てぬ中、しれっと申し上げた顎鬚の老臣。予定調和の問答だ、とロアードは思った。ただこの場を終着点に運ぶ、荷車のごとき役割を果たすだけの言葉。空気だけですべてを理解しなければならないときもある、だがそれはいまではなかった。
老臣の声に促され、王は大きく頷いた。白髪混じりの金髪が揺れ、高い頬骨に落ちかかる。
「確かに有益な知識のない『外』の者には、そのような使い方もある。だがたとえそのとおりであっても、死んだ神にくれてやるほど俺は寛容ではない。それで俺の腹が膨れるわけでも、金蔵にうなるほどの金が入るわけでもない。ヤヨイには、別の使い道がある」
父王は書記官の机から、『落下地点』の研究所の紋章が入った封筒を取り上げた。
「俺はこれ以上、ヒロの不興を買いたくない。あれは抜け目ない男だ。笑顔の裏で冷徹な計算をして、最大限の成果を得るべく動く。自分の見せ方とその効果を知っている。――俺の側近に加えたいな」
さやさやと、老人たちの乾いた笑い声が室内を漂う。ロアードは唇の端で同調し、心中を隠した。彼を側近にするとしたら、自分だ。父王には既にアサヌマという強力な尖兵がいる。しかも因習や悪癖の堤を切り崩し、いまも清涼な水を導き続けている。
いかにオージェルムの戦神であっても、それ以上の手駒を取るのは、そう、ずるい。
「では、陛下?」
老臣が鈍く光る目を向ける。
そこでようやく、先ほどから口を開いているのが彼だけだとロアードは気づいた。最初から茶番だったわけか、神官の処刑でさえも演出に過ぎなかった。してみると、あれは存外いい役者だったのかもしれない。
「能のない娘が権力者に嫁ぐ話は民草に受けがいい。ヒロにも異論はないだろう。目を離すな、とは言わずともそのつもりだろうよ。グレイヴにくれてやれ」
まるで荷物でも遣り取りするように、父王はこともなげに言って呵呵と笑った。ロアードはひそかに息をつく。すぐ下の弟ならば、こんなとき皮肉の一つも言うのだろうに、と。
「話が終わったらグレイヴを入れろ。あれが間抜け面で大喜びするのを眺めて一杯やるのも悪くないぞ」
扉脇の近衛に王が人の悪い笑みを向け、彼らは目線だけで同意を示した。
王の近衛が総じて『外』に他意を抱かないのは、こうして密議を耳にする機会があるからだろう。近衛騎士など全体でも五十人といないのだから、事情を明らかにすればよいのに、と思うことも少なくなかった。だが王の真意を『外』の連中に気取られるのは、決して良策とはいえない。どこから話が漏れ、歪められ、彼らの耳に届いてしまうかわからないのだ。
ロアードは黒い瞳の友人を思い浮かべた。
「……四ヶ月」
知らず、声に出してつぶやいていた。
若い女性が落ちてきた、その一報は即日ランドボルグにもたらされ、様々な思惑を持つ者の間に広まった。ロアードはそのとき、正確に来たるこの日を予測していた。おそらくはジェイルも。
ヤヨイと同じく、国の助けにならない者はこれまでも多くいた。そのほとんどが再び死の道を選び、残った数人は理解のある地方領主の下で静かに暮らしている。
だがヒロやアサヌマのように、華々しい活躍を見せる者も確かに存在するのだ。その知識と発想はこの国の仕組みを根底から覆し、新たな境地へと導いた。気候や災害などの不可抗力を別に――時にそれさえも適切な防備でもって迎え撃つ――平素の民の暮らしが安定すれば政もまた平らかになる。特にアサヌマの苛烈な手腕と姿勢は、父王の目指すものにぴたりと合致した。アサヌマは命を狙われ、消えぬ傷痕で老体を覆っても歩みを止めることがないし、だからこそ父王も『外』の人間を大袈裟なまでに擁護するのだ。
だが――。
ロアードは、ドムファナ神の僕だった骸に一瞥をくれる。
四ヶ月。ヤヨイが現実を受け入れ、踏み出すまでには短い時間だっただろう。けれどオージェルムを中心とする周辺の国々にとってそれは、あらゆる陰謀を企てるだけに十分な期間だった。
アサヌマがこの地を改革し、ヒロが同胞の援護に尽力するほど、ヤヨイの利用価値も高まっていく。ロアードが考えるよりも父王の懸念は深く、早急に手を打つべく思考を巡らせていたらしい。現に、この骸をつくったときには既に方針が決定していた。
そう考えれば、本来ここに転がるべき骸は他にあったはずだ。ドムファナ神殿自体にヤヨイを、引いては『外』の人間を求める理由はない。仇敵たるアサヌマは別としても。
しかし、良くも悪くも世間を知らない神官だからこそ、この茶番の小道具に成り得もした。少し常識があれば、のこのこと王の間まで誘い込まれたりしなかっただろう。
ほんの十日前にランドボルグへやって来て、数日で奉職の場を動かされ、いくらもせぬうちにまたその椅子は運ばれようとしている。ロアードはいつも視線を下げ、礼儀正しく見えない壁を築く娘を不憫に思った。これが娘を持つ父の気持ちか、と少しだけ感動する。
「なんだ、騒がしいな」
不意に、苛立った声に脳裏に描く顔を打ち消される。父王の目は眇められ、扉を睨んでいた。「ヤヨイがそこに」と物静かな近衛に伝えられ、王はほう、とつぶやいて大股で歩き出した。
「グレイヴ殿下のお声ですな」
「あの方が声を荒らげるとは、お珍しい」
「痴話喧嘩ですか? 先が思い遣られますね」
大臣らが暢気なことを口々にするのを横目に、扉脇に立つ王の近衛は笑いをこらえている。訝しく思いながらも、ロアードはぞろぞろと移動する王と大臣の後に従って扉へ歩み寄った。
『王族で太子の近衛騎士で、無茶の利く若い君が率先して橋渡しをしなくて他のだれにできるって? もういいよ、だからヤヨイを僕にちょうだい』
ジェイルだ。ロアードは隣にいる大臣と目を見交わした。王は扉に耳をつけ、わくわくした顔で瞳を輝かせている。……物見高い王だ。
『それとこれとは話が別だ! 第一、おまえこそ『外』に関心などないだろうがッ!』
『失敬だな、僕はヤヨイと『外』の言葉で会話ができるよ? 余計なお世話、騎士団と向き合う覚悟もない、ましてヤヨイのことなんか好きでもない、そんな君に――』
『それ以上の侮辱は赦さん! 俺はヤヨイが好きだッ!!』
『やっと出たよ』
「……ロアード殿下。ジェイル殿下に、このことを?」
二列ほど先にいる、四十代半ばの大臣がだれかの頭越しに問うてきた。このこと、とは国王陛下主演による喜劇の顛末だろう。知らせる暇などあるはずもない。だからロアードは素直に首を横に振った。
「ジェイル殿下なら、ご自分をすっ飛ばしてロアード殿下へ直接の召喚があったと知れば気づかれる。あの方が協議も決定も、意見する権利さえも放棄なさったのは、まさにそのためだ」
中高年の塊の中から、だれかが低くそう言った。最後列にいたロアードからは、いくつかの後頭部が縦に揺れるのが見える。
ジェイルの下へはランドボルグのみならず、オージェルム全土からあらゆる情報が集まってくる。彼はそれを選り分け、系統立てて整理した後この部屋へ上げ、あるいは下へと流すのだ。
知らない事実がある、それだけでジェイルには十分。集積した情報を状況にあてはめ、ほぼ正確な答を導き出す。
王を初めとする重鎮たちは、欲しいときに欲しいものを要求するだけでいい。だがそのとき知る必要のなかった話は、永久に知る機会を失ってしまう。
協議も決定も意見もできない代わりに、ジェイルは選択する権利を得たのだ。それはある意味で、王座と比較しても遜色ない立場であるとロアードは思った。
「さても兄弟愛の強い方だ」
「いやいや、額面どおりに受け取ってはならんぞ」
爺どもは好き勝手なことを言いながら、まだ部屋の外をうかがっている。しっ、と鋭い制止をしたのは、よもや王ではあるまいな。
『いいじゃない、『外』の人間が王族と結婚した例はないよ。こういうの、君たちは『玉の輿』っていうんでしょ? 興味ない? それとも、興味ないのはグレイヴのこと?』
ジェイルが早口でまくし立てている。彼の常套手段だ。質問の形をとりながら立て続けに言葉を浴びせられると、回答が間に合わず思考が停止する。冷静に自分を保てばよいのに、なぜかジェイルにやられると引っかかってしまうのだ。
哀れなヤヨイ。これほど早口では、理解するどころか耳で拾うのが精一杯だろう。まして彼女がグレイヴに嫁ぐことは、決して『玉の輿』ではないというのに。
『ちょっともー、君ってほんとにお馬鹿さんだったのね。質問にはさっさと答えなよ。まあいいけど、僕は僕なりに解釈するから。だんまりさんに拒否権はないからね。もういい? あとは親父殿の許可とるだけ? じゃあ聞いてみよう、その扉を開けたらきっと転がり出てくるよ。ねえ、親父殿?』
高く上がった問いに、ロアードは息を飲んだ。あわててその場を離れようとしたが、両脇を固める老臣の動きは鈍い。ロアードは彼らを突き飛ばすこともできず、早くもばつの悪い思いをしてその瞬間を迎えた。
室外の新鮮な空気が淀みと衝突する狭間の一瞬、変わり果てた神官が遺した違和感が、踵に刺さった小さな棘のように疼いた。
書いてて楽しかった。多分いままでで一番・・・。
事情が伏せ伏せでじれったいのは、仕様です。