2-7.破棄の原因となった少女
グラウィス様の婚約破棄とともに、私の婚約破棄も発表された。
学園内では爛れた関係が噂になっていたので、驚きはほぼなかった。側近はディオンを除いて全員が学園から退学処分、グラウィス様も責任を取る形での謹慎処分になり、学校へ来ることはなかった。
グラウィス様の元婚約者であるセリア様だけは自分の家ではなく、妊娠させた相手の家、コーミッシュ家の方に引き取られたと聞いた。すでに妊娠していることもあり、早々に式を挙げて婚姻を結んだらしい。
そういえば、私があの家に行ったとき一週間後に式を挙げるとか、世迷い事を言っていたけど、その式をセリア様と行ったという。
そのセリア様からお茶会の手紙が届いたのは、婚約破棄から10日後。
場所がコーミッシュ家であるため、速攻お断りをしたいところだけど、文字がだいぶ乱れていたりと、精神状態が気になるため、他の提案をすることにした。
「アリィ、今、少しいいかしら?」
「リオ。もちろんよ。どうしたの?」
「明後日、一緒にショコラを飲みに行く約束していたじゃない? 延期してもいいかしら?」
「あら。何かあったの?」
王都で大人気のホット・ショコラが飲めるカフェがある。
他の店に先駆けて、甘いショコラが楽しめるため、王都では大人気であり、アリィと一緒に楽しむ予定だった。
「セリア様からお茶会に誘われたのだけどね。コーミッシュ家に行きたくないし、でも、少し気になることがあって。あの店は予約している人数しか通されないし、防犯もしっかりしてるから、そこで会おうと思って」
「そういうことなら構わないわ。色々と騒がしいけれど、セリア様の場合は妊娠しているのに慣れない家に引き取られてるもの……その、あまり、いい環境ではないでしょうから」
コーミッシュ自体が、強硬派の軍閥所属のため女性蔑視をする家でもある。まして、婚姻前に妊娠したセリア様に対し、良い扱いをしないことは目に見えている。
それでも、王家との破棄もあって、ヴィグルー家に置いておくことも批判を受けかねないのでしょうけど。お花畑のあの子には耐えられない環境だと思うのよね。
「自業自得でもあるのだけどね。ごめんね、楽しみにしていたでしょう?」
「気にしてないわ。リオの伝手のおかげで、月に一度でも予約が取れてるのだから。今回はセリア様を優先してあげて……あと、何かあれば話は聞くから言ってね?」
「ありがとう。でも、もう1年前から覚悟していたから、気にしてないわ」
「そう? それならいいのだけど」
アリィは私のことを心配してくれているけど……多分、これから大変なことになるのは私じゃなくて、アリィなのよね。私も加担している側だし、言うことはできないけれど。
「ごめんね、埋め合わせするから。もちろん、お土産は買ってくるわ」
「ふふっ、楽しみにしてるわね」
アリィの許可を得てから、セリア様に返事を書く。
人気のカフェを予約しているので、二人きりのお茶会なら、そこでならば構わないという返事。暗に、元婚約者の家での茶会は断ると書いてしまうと色々と面倒なことになりかねない。
4年間、彼女はグラウィス様の婚約者であったのに、一度たりとも私とはしたことがなかったお茶会をこのタイミングで誘われる時点で警戒しなくてはいけない。
「まあ、この誘いに乗らないのであれば、私が関わる必要はないものね」
多少の負い目があることは事実。
本当はもっと穏便に婚約破棄をする計画だったし、セリア様の相手もカシェル・コーミッシュの予定ではなかった。あの人が最低な男だというのは、元婚約者である私が一番わかっている。
明後日という日取りに余裕がない日程だけど、翌日の昼過ぎには返事が返ってきた。学園から帰って、返事を確認してから、カフェの方に予定が変わって、一緒に行く人が変更という連絡をしておく。
約束の1時間前に、予約しているカフェに行くと、店主が現れて、あっさりと奥に通される。
「それで、どういうことだ?」
「やっぱり貴方が来たのね、ディオン様」
奥の部屋では、ディオン様が座っている。しっかりと変更の連絡を受け取って、手配をしてくれたらしい。私が早めに来るだろうことも予想して待機していたらしい。
「グラウィスは謹慎中だからな。俺も一応、謹慎していることにはなっているが、顔を出さなければ問題ない」
「そう。セリア様からお茶会のお誘いがあったのよ。でも、あの家に行くなんて嫌だから、ここにしたのよ。店には悪いと思っているのだけどね」
「お気遣いいただきありがとうございます。リオーネ様には贔屓にしてもらっておりますので、どうぞお気になさらずに。給仕も護衛できる者に変えておきましょう」
私の言葉を聞いていた店主からの提案に頷いておく。何もなければいいけど、想定して動いていた方がいい。
「ありがとうございます。話の内容によっては、王宮に連れて帰ってもらうことになるから、ディオン様もよろしくね」
「……無理だと思ったら、すぐに席を立ってくれ」
「お花ちゃんに負けるほどか弱くないわよ」
準備された席に移動して、本を読みながら相手を待つ。
約束の30分も前に、約束の相手が席に案内されてきたことに苦笑しつつ、本をしまい、ホットショコラを二つ注文した。
「ど、どうして? 私しか通されなかったわ!」
「あら、あたりまえでしょう? 私とあなたの二人きりのお茶会だもの。あなたからの招待状もそう記載されていたわ」
焦った表情、いえ、顔色もだいぶ悪く、泣きそうな顔で席に座った相手に微笑みかける。
「そ、それは……」
「それにしても、珍しい服装ね。あなたのそんな恰好を見たのは初めてだわ」
6月の暖かくなった気候に合わない分厚めの長袖に、首を隠すデザインの服。可愛らしくもスタイルが良いことがわかるような服装ばかりを好んでいたのに、貞淑で肌が一切出ない服を着ている。
ただし、どう見てもゆったりとした大きめの服で彼女のサイズには合っていない。
「心配しなくてもこの店は部外者は入ってこれないわ。私とあなたの名前で予約しているから、たとえ侯爵子息でも店に侵入は出来ないの」
「え? ほ、本当? あの人、すぐに俺も入れるようにしろって言ってたの。だから……」
「大丈夫よ、落ち着いたら? ここの自慢のホットショコラ、美味しいわよ?」
運ばれてきたショコラの一口、飲んで見せると……少し迷ってから、セリア様も口を付けた。
「美味しい……とても甘くて、でも上品で、初めて飲んだわ。他の店でも飲んだことはあるけど、別物みたい」
ショコラを飲んで、少し落ち着きを取り戻したらしい。
個室になっていて、周りからは見えないことも安心したらしい。ゆっくりと息を吐いてから、また一口ショコラを飲んでから、「どうして?」と疑問を口にした。
「この店の独自の製法で作られているもの。美味しいのは当たり前だわ」
「そう……ここ、半年前から予約しないといけない店よね。どうして、誘ってくれたの? 私、あなたにひどいことしかしてないのに」
「本当に何も知らないのね。まあ、そういう人を選んだので当たり前だけど」
「え?」
先ほどから、表情をころころと変え、淑女としては相応しくない態度ばかり取っている相手に、優雅に、淑女らしく隙を見せないように微笑むと居心地が悪そうに俯いた。
「このお店は、ショコラが有名なのは知っているわよね。その製法は隣国で新しく発見された、カカオバターとカカオパウダーの分離を成功させた技術、そこから派生して我が国の技術と合わせて、より効率的に分離させる方法が確立されたわ。その技術で他と違う味を生み出すことに成功したのよ」
「隣国で?」
「そう。それに注目したグラウィス様があちらの技師を引き抜き、こちらでさらに改良してこの店を開いたの。だから、私は顔が利くのよ」
「なっ!? だって、私が婚約者だったのに!」
「ええ。でも、この店をあの方の事業の一つとして始めたことに興味を持たなかったのでしょう? 他にも、いくつか隣国からの技術で、事業を展開しているわ。だから、あの方より偉い方からの命令でもない限り、この店には予約が無い人は入れないわ」
警備も万全となっている。近くに控えている給仕もいつもの人ではなく、護衛ができる方になっている。理由は、グラウィス様を筆頭に、王族もこっそりとこの店に来ているからでもある。
「どうして、アレを選んだの? 家も本人も、女の敵よ?」
「……あなたから取ったなら、少しはすっきりすると思ったのよ。嫌いだし、邪魔だったから」
「そのために自分を不幸にするなんて、随分と自虐趣味があるのね」
「違うわよ! あんな人だと思わなかった!」
「そう? だって、私に見せつけるためだけに、あなたを学園内で、庭で、場所を変えて抱く人よ? 妊娠したから優しくしてくれるわけないわ」
私の言葉に立ち上がり、睨んでくる彼女を気にせずに、ショコラを一口飲む。
やっぱり美味しい。でも、やっぱりアリィと来たかったわね。たまにならソファラでもいいけど。
「……ねぇ、わたし、どうすればいいの……あれから、家に帰ることも許されないし……毎晩のように、ひどく抱かれるの……子が流産すればとか、いいながら……」
泣き出してしまった彼女にハンカチを渡し、飲み切ってしまったショコラの代わりに、ハーブティーを注文する。妊婦である以上、ショコラを採りすぎてはいけない。でも、お土産に持たせるくらいは構わないかしらね。
「そんなことだと思ったわ。それで、どうして私をお茶会に呼んだの? 今まで一度も一緒に茶会をしたことはなかったわよね」
「カシェルがあなたを呼び出せば、抱かないでくれると約束したの。もう、限界だったから」
「……袖、捲って見せてくれる?」
「…………ひどいでしょ? 言うことを聞かないと、乗馬用の鞭で体中をたたくの」
「まあ、想定できてたのよね。でも、私を差し出そうとしてる時点であなたも大概よ?」
「……ごめんなさい」
似合わない服装は、体中の傷を隠すため。首元も見せてもらえば、痕が残っている。本当に糞な男で笑えてしまう。
「この店、裏側から抜け出すことも出来るから、このまま王家に保護してもらったら? その傷があれば、王家もヴィグルー家もコーミッシュ家に帰そうとはしないはずよ」
「どうして? 私、あなたにひどいことをしたのよ?」
「あら、私もよ? あなたがこうなることを予想していても助けなかったわ。それに、目障りなのはわかるわよ。経験するために色々任せてもらっていたの、本来はあなたがするべきことなのよね……あなたが怒るだけのことをしていた自覚はあるわ」
「……私、言われたってしなかったわよ。勉強きらいだもの。なんで、あんな大変な思いをしたがるのか、あなたが理解できなかったわ」
「大事なもののためよ。私は私のために学ぶ場が欲しかったの。まあ、そのせいであなたが私への対抗心で、アレを選ぼうとするとは思わなかったから。アレは止めた方がいいわよ」
私の言葉に涙を浮かべながら、こくこくと頷いている。
かなり、手痛い勉強代となったようだけど、それでもこれで少しはましな環境になるでしょう。
「ええ……ねぇ、グラウィス様は保護してくれると思う?」
「言ったでしょ? ここはあの方の店。あなたの名前も予約でわかっているの。その気が無いなら、あなたをこの店の中に案内しないはずよ」
今回の一番の犠牲者。
可愛い、お姫様に憧れていただけの花。
自分で選んだこととはいえ、おバカな男たちに散らされ、枯らされる寸前となってしまった。すでにボロボロになってしまっている。
「……ありがとう。ねぇ、もっとちゃんと勉強とか、嫌がらずにしていれば変わったのかしら?」
「……多分ね。ひどい男に利用されない道もあったと思うわ。もう遅いかもしれないけど」
「でも、生きてる。ねぇ、死なせたくないくらいには私のこと気にかけてくれてる?」
「……多分ね」
アリィに恋していることを除けば、あの方は非道なこともない、王族として素晴らしい方だから、利用した彼女に対して、切り捨てるようなことはしないでしょう。
「あの人じゃなくて、あなたよ。今更だけど、ねぇ、少しでもいいから私のこと気にかけてくれる?」
「……そうね。いいわよ。たまに、近況を手紙で送ってあげる。婚約者候補としてともに競った友人だもの」
「うん。それじゃあ……さようなら」
彼女は笑って立ち上がり、こちらに一度カーテシーをしてから、給仕と共に出て行った。
他の貴族令嬢と比べても、拙さの残る仕草。王家に嫁ぐには不相応なほど、何も知らない純粋だった子。
可愛く、愛らしい花として生きることを私とあの方がさせなかった。
そのまま席に残っていると、目の前の席に人が座った。
「……馬車で、王宮に向かったぞ」
「一緒に行かなかったの?」
「護衛はいるからな。店の前でアレがまだ騒いでいる」
「私も裏口から帰るしかなさそうね」
「俺を恨むか? あの女の将来を歪めたのは俺だ」
彼女が座っていた席に座り、冷めたショコラの代わりに温かいショコラが運ばれてくる。なんだか、先ほどよりもほろ苦く感じてしまう。
「またなの? 恨まないわよ? それとも恨んで欲しいの?」
「恨みも強い感情だからな。俺に向けられると考えると悪くない」
「歪めた主犯はグラウィス様。私とあなたは共犯かしら? でも、後悔してないわよ。だって、私は私のために彼女を貶めたの。でも、まあ、そんな私に助けを求めるんだから、救いがないわよね」
「死ななかっただけましだろう。出産させる前に殺すつもりだった、それがはっきりしたからな」
「そうね。これで、コーミッシュ家はさらに降格か、取り潰し。強硬派同士の結束も崩れて、グラウィス様の立場はさらに微妙になる。強硬派への配慮のためにも王籍離脱を進めやすい。惚れ惚れするほど綺麗な筋書きね」
本当に、少女一人を犠牲にする非道はあるけれど、望み通りの展開と言える。ここまでの筋書きを書くことは私には出来ない。羨ましいとは思うけれど、そういう裏方は任せてしまい、私は私が出来ることをすればいいと思うくらいには余裕も出来てきた。
「惚れたのは手腕だけか?」
「私ではなくお父様を口説くように言わなかった?」
「お前の心が欲しいのに、御義父上を口説いてどうするんだ」
「どこがいいのよ。男なら可愛く笑って、場を整え、疲れを癒してくれる人の方がいいでしょ。他の人ならともかく、あなたはわたしの本性を知ってるじゃない」
「俺は自分を理解し、戦地だろうと一緒に飛び込んでくれる女がいい。何も知らずに笑っていることを求める男がいることは否定しないが……俺の複雑な立場で、知らないままで笑っている女など、足手まといだ」
「……その条件なら、確かに私になるわね」
父なし子であるために、社交界から爪弾きにされているから、普通の家よりも戦場であることは事実だけど。それも、王弟の子どもであると公表されれば話は違うはず。
「側でずっと見てきたんだ。その努力が自分と姉、グラウィスのためであることを知っている。これからはグラウィスじゃなく、俺のために努力してくれないか?」
「あら? アリィのためは許すのね?」
「他の男のためを許す気はないが、お前の半身だろう。勝ち目がない」
「へぇ……そうね、確かに。私のこと、よくわかってるわ」
「当たり前だ。跳ねっ返りのじゃじゃ馬で、手綱を握れないとわかっていても、そこに惹かれているのだからな」
外では淑女としての振る舞いをしているのだから、跳ねっ返りと呼ばれるのは納得がいかないけれど。中身が淑女らしくないことは私自身が一番わかっている。
でも、そこが好きだと言ってくれるのは、多分、この人だけだと思う。
「ねぇ、邪魔しないでよ? これから、アリィの婚約を潰すために行動するんだから」
「ああ。お前のことを可愛く笑って自分を立ててくれると考えている、何もわかっていない馬鹿な男になんか落ちないとわかっているからな」
私がアリィの婚約者に近づくことはお見通しらしい。そして、そっちには妬いていない。グラウィス様には妬いているような素振りがあるのに、何でかしら?
「そう……ところで、それがアリィへの手土産かしら? グラウィス様が選んだのよね?」
「ああ。予約の取り消しがあったら知らせるから、次は姉と来るようにと伝えろと言われた」
「はいはい。そうでなくても、来月の予約があるのだけどね。伝えておくわ」
ショコラを飲み終えて、席を立つと当然のように裏門までエスコートされた。
「一時間後、空の馬車を侯爵家に戻らせる。大丈夫だと思うが、注意をしておけ」
「ええ、ありがとう」
アレがまだカフェの表で騒いでいるというので、私の迎えの馬車は囮として使うらしい。ここの店主と馬車の御者は顔馴染みだから、大丈夫でしょう。
その後、セリア様から無事に家に帰れたことを伝える手紙が届き、文通をするようになった。無事に子を産むことを優先し、その後のことはまだ決めていないようだけど。
妊娠、結婚、出戻りが社交界で噂されたことで、戻ってくることは出来ないでしょうけど。本人からの手紙では、前よりものびのびとしているらしい。
落ち着いたら、こっそり会いに行くのもいいかもしれないわね。