2-1.愚かな婚約者
「すぐに結婚することになった。一週間後に式を挙げる。その後はうちの領地で花嫁修業となるから、義両親に伝えておいてくれ」
授業が終わった途端に現れた婚約者は、「話がある」と言った。「私はない」と答えたのに、有無を言わせずに馬車に乗せられ、着いたのは彼の家だった。
庭に用意されたお茶の席についた途端の開口一番の台詞に、溜め息がこぼれた。有無を言わせずに確定のように言うけど、どういう意味かわかっているのかしら。
貴族において、学園の卒業は一つのステータスとなる。男子であれば、卒業していないと出来損ないと判断され、継承権がはく奪される。
女子であっても、昨今は卒業している者が多く、よほど家庭の事情がある場合か、下位貴族でなければ学園を卒業している。その学園を侯爵令嬢である私に、中退しろと要求することがどれほどの意味になるのか。『一生、社交界の笑いものになれ』、そう命じているも同然であることに本人は気付いていないのでしょうね。
周りのメイド達がその言葉に反応して、不自然ではない程度に急いでその場を立ち去る。上に報告しに行くという基本は出来ているみたいね。
「まあ、面白い冗談。私達の結婚は2年後。グラウィス様の式を終えてからです。先に式を挙げるなど許されるわけがないでしょう」
メイドが置いていった、お茶を一口だけ口にする。随分と渋いのは、普段、お茶を用意してくれている使用人がいないからかもしれない。訪問のための先触れも無しに、いきなり私が来たことで使用人は対応に困ったのでしょう。
慌てて準備が無いまま、なんとか整えようとした結果が、このお茶なのだろう。
これでは約束無しに訪れた私が無礼な婚約者になってしまう。そうでなくても、婚約者の家に来たのは、およそ一年と少し前。学園の高等部に入学してからは私的交流をして来なかった婚約者からの呼び出しだったので、印象は良くない。
まあ、爆弾発言もしているので、そんな些細なことは捨て置かれそうだけど。
「ふざけるな!」
「ふざけているのはどちらかしら?」
私がわずかに首を傾げるように、婚約者の後ろにいるメイドに視線を送ると、慌てて、頭を下げている。使用人たちすら、どちらが悪いかは認識しているらしい。
本当にお馬鹿さん。あの方の思惑通りに動くなんて。仕方なく、笑って冗談だと流し、釘を刺しておく。まあ、私達が式を挙げることなどあり得ないのだけどね。
「事情が変わったんだ! グラウィス様からは許可を貰っている! いいから、お前はさっさと嫁にきて、領地に行くんだ!!」
「お断りいたします」
ヒートアップし始めた相手に冷たい視線を送る。
私を領地に行かせることに拘っている婚約者の後ろから、待ち人が来たことを確認した。
「許されると思うのか? お前は嫁に来る立場なんだ、従わなかったらどうなるか、わかっているのか!?」
「まあ、どうなるのでしょう?」
「僕も是非聞きたいな、ねえ、カシェル」
「えっ?」
自分の後ろから聞こえた声に驚いている婚約者。
メイドがこちらに来るのを止めようとしたが、無理矢理入ってきたらしい。ただ、後ろには執事が控えていて、私と目が合うとお辞儀をしたので、彼は案内をしようとしたのかもしれないわね。
「グラウィス様、遅かったですね」
「ごめんね。君からの伝言を聞いて、急いで来たんだけど」
「なっ、どういうことだ!」
私を睨む婚約者ににこりと笑いかける。どうもこうもない。信用していないから、事前に助けを求めておいた、それだけでしょう。
「拉致するようにいきなり馬車に押し込めるなど、婚約者であろうと……いえ、婚約者だからこそ、危険を感じます。だから、伝言を頼んだのです」
婚約者に呼び出された時、伝言してきた従者はすぐに馬車へ案内をしようとしたけど、それを止めて、家に連絡しておくと言って、姉の元へと向かった。姉経由で、上司に当たる第二王子殿下へと伝言を残した。少々不安があったのだけど、ちゃんと来てくれたらしい。
婚約者はあからさまに動揺している。私だけだと、そのまま部屋に連れ込むなど、帰れない状態にする計画すらあったのかもしれない。
「どういうこと? それ、僕の方が聞きたいな、カシェル。今まで婚約者のリオーネを放置していたくせに、何があったの? いきなりだよね?」
私の隣に座るとにっこりと笑いながら、婚約者を追い詰める。
私の婚約者は、第二王子グラウィス様の側近。私も、元はグラウィス様の婚約者候補で、候補から降りた後に側近の婚約者となった。将来は夫婦でグラウィス様にお仕えすることになっていた……表向きだけど。
だからこそ、不仲であることも問題になっており、先日、王妃陛下にも相談という名の愚痴をこぼすことをして、こちらに非がないアピールはしてある。
突然の家への呼び出し。急過ぎたため、何かあると思って、グラウィス様に伝言をしたが、正しかった。
「い、家の事情で、その、急ぐ必要がっ」
「ふ~ん。そういえば、僕の許可って何? 僕は何を許可したのかな?」
「グラウィス様より先に、私達が式を挙げる許可ですよ」
「ああ。それはそうなるよね、僕とあの子の婚約は破棄になったからね」
「あら、決まったのですか? 破棄は穏やかじゃないですね」
王家でトラブルがあったことを広げるなんて余程のことだろう。
いずれ婚約解消をするだろうとは考えていたけど、破棄になるのは予想外だった。いえ、この人ならそれくらいすると考えるべきだったかしら。お遊びがなかなか人目にある場所でも行われるようになっていたから、そろそろとは予想していたけれど。
「王家に嫁ぐなら純潔であることが絶対だからね。妊娠した時点で駄目だよ」
「妊娠、ですか?」
「うん。それで、父親は君だってね?」
ダラダラと汗を垂れ流している婚約者。
それが真実だとしたら、私を領地送りにする理由は、私の子供として、あの女の子どもを届出するつもりだったのかもしれない。そんなことをすれば、両家の溝は決定的になるというのに、我が家のことを本当に舐めているというのがよくわかる。
これを婚約者の両親も了承していたなら、大事になるでしょうね。徹底的に搾り取らせてもらい、私の持参金に加えてもらおうかしらね。
今回の婚約破棄で多少は傷がついた分、お金を上乗せるくらいは必要でしょう。
「殿下、誤解です」
「そう? まあ、それを父上達にも言えるならいいけど。3日後、王宮に関係者が集まって話し合いをするからそのつもりでね」
「えっ、そんなっ」
「じゃあ、リオーネ。帰ろうか、おくるよ」
「はい。それでは、カシェル様。セリア様との件が真実であれば、こちらも破棄いたしますので、そのつもりでお願いしますね」
立ち上がり、優雅にカーテシーをしてから、グラウィス様から差し出された手に自分の手を重ねる。
婚約者は私を怒鳴りたいのを我慢しつつ、肩を上げて、顔を真っ赤にしている。無視して、グラウィス様にエスコートを受けてその場から立ち去る。
「リオーネ様」
「貴方も大変ね。もし、次の就職先に困るようなら私が紹介状を用意してもいいわ。婚約した頃からお世話なったもの。グラウィス様をここまで通してくれたのは良い判断だわ。おかげで助かったお礼をしたいわ」
「……ありがとうございます」
私とグラウィス様を追いかけてきた執事に微笑みながら告げると一瞬戸惑った後に、頭を下げた。
やはり、今後の身の振り方までわかっている。この家の未来が明るくないことを理解している。まだ若い執事だからこそ、人材として確保しておきたい。
婚約して、4年。最初から最後まで好きになれなかった婚約者との縁が漸く切れることに安堵しながら、グラウィス様の馬車に乗り込んだ。