8.最大限の素直さ
昨夜は眠れなかった。おかげで目の下にクマが出来てしまい、必死に化粧で隠して来た。
一大決心をしたらあとは勢いだ。躓いたら終わり。駆け抜けるまで気力を持続させる事が大事。
そうやって自分を奮い立たせてここまで来た。ここ、レッジョ公爵邸だ。
幼い頃は父に連れられて来ていたが、今日は私一人。しかも何も約束をしていないし先触れもしなかった。突撃訪問だった。
公爵邸の使用人は驚いていた。こんな風に公爵邸を訪れた事がなかったからだろう。でもそれだけではなかったらしい。今、アレッサンドロを訪ねてきている人が他にいるからだった。
「ジャーダ様がお訪ねになられた事をアレッサンドロ様に申し伝えます」
応接室に通されて一人待っている時間は信じられない程緊張した。使用人が出してくれたお茶も飲まなかった。落ち着いてしまうと大事な言葉を一緒に飲み込んでしまう気がしたのだ。
何度も大きな深呼吸を繰り返していると走る様な足音が近づいて来るのが聞こえた。そして勢いよく開かれた応接室の扉から現れたのは、少し焦った様子のアレッサンドロだった。
「ジャーダ!どうしたの!?」
こんな訪ね方をしたからだろうか。アレッサンドロは驚いた様な困惑した様な、でもどこか嬉しそうな顔をしていた。もしかしたらそれは私の願望かもしれないけれど。
「アレ──……」
言い出してすぐにアレッサンドロの後ろに子爵令嬢がいるのが見え、ぐっと言葉を詰まらせてしまった。慌てたアレッサンドロの後を同じ様に慌てて追って来たのだろうか、息が上がっている様に見えた。
「アレッサンドロ様、急に走られて……」
「ああ、すみません。ジャーダがこんな風に急に訪ねて来るのが珍しくて、何事かと」
「お話の途中でしたのに」
アレッサンドロを訪ねてきている人が他にいると聞いて彼女だろうとは予想していた。それでも実際に彼女の姿を見て、こうしてアレッサンドロと向き合っている様を見ると、準備してきた大事な言葉を詰まらせてしまう。そして簡単に会話を奪われてしまう。
強がってばかりで素直になれなかった私は、そう簡単には治らないらしい。
それでも一大決心をして来たのだ。ここで引いてはいけない気がする。
「ア……アレ」
アレッサンドロは私に向き直りたくても子爵令嬢に腕を掴まれて身動きが出来ない様だ。
「キザな台詞を言わずに聞いて欲しい事があるの。私は貴方にキザな事を言われると素直になれないから」
アレッサンドロは小さく頷いた。「言わないで」と言えば余計に言ってきそうなのに、何も言わなかった。そしてただ私を見つめてきた。隣の子爵令嬢も見届けようと思っているのか、じっと私を見つめてきた。二人の視線を真っ正面から受けて、余計に緊張した。
それでもここまで来たからには伝えなければ帰るに帰れない。私は大きく息を吸った。
「予告婚約をしといて放置するって何なの!また連絡するっていつなの!きっと連絡するって来ないじゃないの!どうせ周りの顔色を窺って気を遣って無理して笑っているだけなんでしょ!とっとと私と婚約してマントヴァ候爵家に婿入りしなさい!じゃないと三十路ちょいハゲ男か遊び人スケコマシと結婚させられちゃうじゃないの!」
一気に言ったので息が苦しくなった。ゼェゼェしている私を二人は目を丸くして見ていた。
何で?
一呼吸遅れてアレッサンドロがブハッと笑い出した。
アレッサンドロだけが笑っているのを私と子爵令嬢が理由が分からずただ見つめるという謎の時間を過ごした後、アレッサンドロは息を整えると子爵令嬢に向き直った。
アレッサンドロの背中を見るのは、向き合って欲しい今日の様な日にはちょっと胸がズキッとした。
「実は今日、返さなくてはと思っていたんだ」
そう言ってアレッサンドロが懐からハンカチを取り出して子爵令嬢に差し出した。
刺繍がされたハンカチ。完成度から見るに市販品では無く手作りのものだろう。
「あの時、父も子爵もその他にも人がそばに居たから無碍に出来なくて受け取ってしまったんだけど、やっぱり返すよ。今さら返されても困るかもしれないけれど、僕はジャーダからの物しか受け取らない。ジャーダからの物しか要らない」
私はアレッサンドロに背中を向けられ、子爵令嬢に対して向けられた言葉なのに、それは私に向って言っている様にも聞こえてしまう。
背を向けられていて良かったかもしれない。今きっと私は恥ずかしさから顔が赤いだろうから。
子爵令嬢は無言でゆっくりと手を上げてハンカチを受け取った。
「本当にごめん。子爵の担当メンバーから僕は抜けるよ。兄がしっかり引き継いでくれる。まあ僕なんて見習い以下みたいなもんだったし、兄の方がずっと良いと思うよ。今日はそれを伝えたかったんだ」
子爵令嬢は涙を見せていた。彼女はいつも自分に正直で、自身の感情にも正直なんだろう。
「僕の事を私生児と蔑まずにいてくれた事、本当にありがとう」
子爵令嬢はお付きの使用人に付き添われて応接室を出て、そして帰って行った。
応接室には私とアレッサンドロだけになった。お互いに目を合わせると、アレッサンドロは思い出した様にまた笑い出した。
「何なんだよ、ホント、ジャーダは。素直になるって、そういう事なの」
「何がおかしいのよ」
「素直になるって、てっきり愛の告白でもしてくれるのかと思って期待して喋りたいのを我慢して黙ったのに、婿入りしなさいって命令形じゃないか」
私なりの最大限の素直さなのに。
「いいよ、じゃあ僕が素直になる手本を見せてあげるよ」
アレッサンドロは私の手を取って片膝をついた。これは所謂アレだ。プから始まるアレの定番ポーズ。
「ジャーダを誰にも渡したくない。ちょいハゲにもスケコマシにも、誰にも。僕だけの女神でいて。ジャーダを一生愛するから、僕と結婚してください」
アレッサンドロの素直とはキザな台詞を言う事なのだろうか。いつもよりは抑えられている様な気もするし、分かりやすいストレートな言葉ではあった。だから照れ隠しでツッコまない様に、私もこの人に素直に応えなければいけないと、そう思った。
「はい」
◇◇◇
私達はその後すぐに婚約をした。
父と母は「だろうね」といった反応だった。婿候補をあんなにも探していたのに「だろうね」って。
アレッサンドロに対して早く決断しろよ、行動しろよとプレッシャーを掛けさせる意味もあったとか、私の意識改革の為だったとか、沢山招待したのは社交の幅を広げる為でもあったとか、あとは盛大なパーティーを開く事で見栄を張っただとか、ナントカ。
公爵はとても喜んでくれた。ヴァレンティーノも満足そうだった。そしてヴァレンティーノはそこからトントンと速い拍子で伯爵令嬢と婚約し、逃さない勢いで結婚をした。それはそれは盛大で豪勢な結婚式だった。見栄じゃなくて本物の金持ちのやつ。
私達もヴァレンティーノ達の結婚式を終えてその翌年に式を挙げた。候爵家らしくちょっと見栄を張った。
結婚をしても私達の関係にあまり変化は無かった。アレッサンドロは毎日キザだし、私はそれにツッコんで全く素直になれない。アレッサンドロの愛の囁きに愛の言葉を返す事が出来ない。
でもどうしてかそれで良かった。喧嘩に発展する事もあるけれど、大概が私一人声を荒げるだけでアレッサンドロは通常運転。言い合いが私達のコミュニケーションであり、極々たまに私がちょこっと返すだけでアレッサンドロはそれはそれは嬉しそうにするから。
私達にはその関係が良いらしい。だからきっと私達の関係はこれからもこのまま変わらずに続くのだろう。
END
最後までお読みくださりありがとうございました。
知香