4.夜に鳴く鳥の声
私がアレッサンドロに初めて会ったのは、七歳の時。
私は父に連れられて定期的にレッジョ公爵家を訪れていた。きっとヴァレンティーノとの仲を深めさせようとか浅はかな考えが多少なりともあってなのだろうと思う。
その日も父に連れられて公爵邸を訪れた。兄の様なヴァレンティーノが遊んでくれるものと思い、使用人の案内に付いていつもの庭の木陰にわくわくしながら向かった。公爵家の庭はとても広く、花や植木が綺麗に植えられそれらがきちんと手入れされている。沢山の植木の中でも特に大きな木の下に、時にテーブルを出してティータイムを楽しんだり、時にシートを敷いてピクニックの様にお菓子を食べて楽しんだりするのが好きだった。
今日は何をするのかとワクワクしながら待っていると、現れたヴァレンティーノと公爵は一人の男の子を連れていた。それがアレッサンドロだった。
当時急に背が伸び始めた十三歳のヴァレンティーノと手を繋いで並んで歩いて来たアレッサンドロは、町で見かける市民や我がマントヴァ候爵領で暮らす領民といった私が知っている平民よりもずっと細かった。頬は痩けていたし、ヴァレンティーノと繋いでいる手の手首なんて、ヴァレンティーノの半分位しかないんじゃないかと思う程だった。いつも綺麗な服を着ているヴァレンティーノと同じような質の良い服を着ているのに、体が細過ぎて違和感を感じてしまった。
「ジャーダ」
ヴァレンティーノと手を繋いでいる男の子に気を取られてしまっていると、一緒に来た父に名を呼ばれ肩をトンと叩かれてしまった。すっかり挨拶を忘れてしまっていた。
「こっ、公爵様、ヴァレンティーノ、ごきげんよう」
「いらっしゃい、ジャーダ」
慌てて挨拶をした私に公爵は優しく応えてくれた。それでも私は公爵が連れて来たこの細い男の子が気になってしまい、チラチラと男の子ばかりを見てしまっていた。
そんな私の気持ちを察してか、ヴァレンティーノが「紹介するよ」と言った。
「僕達のミッションに新しいメンバーが加わったよ」
意味が分からなかった。それが紹介なのか。
この頃には既にヴァレンティーノはこんな風な謎の言い回しを好んで使って一人楽しんでいた。七歳の私には理解不能だった。きっとそのせいでツッコむ能力を鍛えられてしまったのではないだろうかとも思う。
「私の息子だ。名をアレッサンドロと言う。ヴァレンティーノの弟だ」
公爵が父に説明しているのを聞いてビックリしてしまった。弟とはいきなり出来るものなのだろうかと、母も私の弟を生みたいと思っているが、こんな大きな子が生まれてきてしまうのだろうかと、普通赤ちゃんじゃないの?と、頭がこんがらがってしまった。
戸惑いながら男の子を見た。男の子の目は私を見ている様で見ていなかった。視線が合った気がしなかった。切り揃えたばかりであろう前髪の下から覗く目はどこか虚ろで、ぼんやりとしていた。
初めてアレッサンドロと会った時のまだ幼かった七歳の私の感想は、細くて暗い子だなというものだった。
◇◇◇
「ジャーダ。僕と一曲お願いします」
もう話は終わったとばかりにヴァレンティーノは手を差し出して誘って来た。
「ヴァーノと踊るのはいつ振りかしら」
「いつもはアレが独占していて誘えないからね」
「違うでしょ。貴方の周りには常に令嬢が蔓延っているからよ」
「雑草か害虫みたいな言い方だな」
取り敢えずヴァレンティーノの手を取ってバルコニーからパーティー会場へと戻った。
招待客は男性が多かったのもあって踊っている人は少ないが曲は常に流れていたので、曲の途中からだったけれど二人で踊り始めた。
ヴァレンティーノはとても上手い。私が踊りやすい様に導いてくれる。こんなにも上手かっただろうかと思う。沢山の女性と踊っているので経験値が違うのかもしれない。ヴァレンティーノと踊るのは本当に久し振りだった。昔、レッジョ公爵邸に遊びに行った時に新しく覚えたダンスを披露する為に付き合って貰った時以来だろうか。おそらく十歳位だ。アレッサンドロがまだあまりダンスが踊れなかった頃だ。
今ではアレッサンドロも踊れる様になり、下手では無いけれど私とはいつもおしゃべりしながら踊るので、噛み合わない様な時が多々ある。基本私が乱される方だ。キザな言葉を言って私をからかう。
曲が終わってお辞儀をすると、何故か周囲から拍手された。今日散々踊ったのに一度も無かった光景だった。ヴァレンティーノのダンスの技術に対してなのか、ヴァレンティーノに対する敬意や忖度なのかは分からないが、完全に今日の主役の座がヴァレンティーノに移った瞬間だった。
どこからか父と母が近寄って来て「やあ、ヴァレンティーノ!いつ来たんだ?」「素敵なダンスだったわ」なんて会話を始めたものだから、私は隣でまた笑顔を貼り付けてその話を聞いていた。
そうして時間は過ぎ、パーティーは終了した。結局アレッサンドロは来なかった。
誕生日を楽しみにしていたかと言われると、やっぱりどこか期待はしていた。皆から「おめでとう」を言われ、プレゼントも貰って。部屋にいつもより豪華な花が飾られ、パーティーで慌しくてまだ開けていないプレゼント達がテーブルの上に積まれていた。
部屋に一人になり疲れていて眠たいけれど、眠れそうな気配はしなかった。窓の外から鳥の鳴き声が静かになった部屋に届いた。夜行性なのだろうか。
誰から貰ったプレゼントだったかな、と思い出しながら包を開けた。
今日のパーティーは両親的にどう評価しているのだろうか。私はちゃんと振る舞えていたのだろうか。
誕生日は楽しみではあったけれど、今日のパーティーに対して不安はあった。だって、次期候爵を任せられる人を探し、その方から求婚をしてもらわなければならないのだ。それ程の魅力が次期候爵という椅子だけでなく私自身にもあったかどうか。
考えたくなくても考えてしまうせいで、無心でプレゼントの包を開けていた。中身に対する感想は思考に奪われていた。
意外にも窓の外から聞こえる鳥の声はよく聞こえて、まだ鳴いてる、けっこう煩いな、なんて思考を壊してくれていた。
「ホー、ホー」
ふと、さすがにホーホーと鳴き声が大き過ぎやしないかと疑問に思った。すぐそこの木に止まっている様に感じる鳴き声だ。そもそもこんな貴族の邸が乱立する王都にこんな鳴き声の鳥っていたっけ?もっと木が多い森とかにいるんじゃないのか?なんて考えつつ鳥の姿を探そうと窓を見た。
「アッ……!?」
思わず大きな声が出そうになり、ぐっと堪えた。よく我慢出来たと思う。
窓の向こうの木に登っているアレッサンドロを見つけてしまった。そしてしっかりと目が合うと、アレッサンドロはニコッと笑った。
笑っている場合かとツッコミたかったが、そこもぐっと堪えて窓を開けた。
「何やってるの。見つかったら大変よ」
ほぼ口パクに近い小声でアレッサンドロに言った。
「やあ、こんばんは」
こんばんは、じゃないよ!と言う訳にもいかず、代わりにギロッと視線で訴えた。
「ジャーダ。十七歳の誕生日おめでとう」
何となく予想はついていた。アレッサンドロとはこういう奴だから。何が何でも今日のパーティーに来ると思っていたのに、遅れてやって来る事も無かった。
「……明日でも十分よ」
「どうしても今日中にジャーダに会いたかったんだ」
逆に言えばこんな時間になるまで来られなかったと言うことだろう。子爵と子爵令嬢の拘束計画は成功したと言えるだろう。
「危ないわ。こんな二階の高さまで登るなんて」
「久し振りに木登りしたな。意外と登れるもんだな」
何でも無い事の様に笑顔を浮かべている。アレッサンドロは木登りが得意なんて事は既に知っている。昔は公爵邸の木に登るのを見せてくれていたから。何にも特技が無いと言うアレッサンドロが唯一披露出来る事だった。まだ出会う前、友達のいなかったアレッサンドロがガリガリの体で木に登って木の実を採っていたらしい。
「どうやって敷地に入り込んだのよ」
「こんな時の為に門番と親しくなっておいたんだ」
「は?」
「なので顔パス」
おいコラ、門番。
「もうじき夜廻りの時間よ。人に見つかるわ」
「門番から聞いたよ。だからあと五分位」
我が邸の警備はザルかしら。
もうアレッサンドロの身を案じるのも馬鹿らしくなって、寧ろ捕まってしまえば良いのにとすら思ってしまう。
「ジャーダ」
「何よ」
「今日、きっと綺麗に着飾っていたんだろうね。見られなくて残念だよ」
「……ドレスが違うだけで着ている私は私よ」
「君を愛おしく思う気持ちは変わらないけれど可愛さが違うんだよ。どんな可愛さも知りたいんだ。今の寝間着姿もとっても魅力的で可愛いしね」
言われてハッとした。そういえば私は薄いロングの肌着を着ただけの寝間着姿だった。とても未婚の女性が家の者以外の、しかも年頃の男性に見せて良い姿では無かった。それを自覚して一気に顔が熱くなった。
小声の中の大声で「ばかー!」と言って窓のカーテンに身を隠した。
それを見てニコニコ……いや、もしかしたらニヤニヤかもしれないが、アレッサンドロが笑っていた。
「また改めて誕生日のお祝いをさせて。連絡するから」
それを言うとするすると慣れた様子で木を降りていった。地に足をつけると再び私を見上げて軽く手を上げてから暗い植栽の間を抜けて門へと向かって行ってしまった。買収した門番に安全に外に出して貰うのだろう。
こんな時間に来るのが悪い。こんな風に忍んでやって来るのが悪い。なのに大声で叫んで人を呼べない私は、お人好しなのか何なのか。
「本当に、お祝いを言いに来ただけ……」
それしきの事の為に門番を買収し、見つかったら候爵家だけでなく公爵家にも叱られそうな事をする。アレッサンドロは台詞だけでなくやる事までキザだ。