アィーアツブス区画は極寒の吹雪が吹き荒れるクリフォート魔族王国最高峰アヴァランチ山という名の過酷な場所だったようだ。
街道は整備されており、野生の魔物と遭遇することも無かった。
どうやらクリフォート魔族王国も意思疎通の図れない魔物達には困っているようだが、結界魔法や巡回警備する騎士達の力で物流の大動脈となる大きな街道だけはしっかりと守っているらしい。
バチカル区画をはじめとする大都市の区画と街道は安全だ。
しかし、クリフォート魔族王国の全ての魔族が大都市に住んでいる訳ではない。クリフォート魔族王国の国内には大都市に相当する十個の区画の他にいくつかの小規模な町や村も点在しており、そういった地域は魔物達に悩まされているようだ。
大気中から取り込んだ魔力によって結界魔法を発動する装置の保守点検を主な仕事とする巡回警備の騎士は必ず複数人で一日五回ほど街道を巡っているようだが、エーイーリー区画に着くまでの間、無縫達が彼らと遭遇することは無かった。
二度ほど馬車とすれ違い、【666號】という見慣れない鉄の塊が走っている姿が注目を集めたが、幸いなことに足止めをされることはなく無縫達はスムーズにエーイーリー区画に到着することができた。
だが、無縫達が快適で平穏な旅をすることができたのもエーイーリー区画に到着するまでのことだった。
区画に入る寸前で【666號】を降りて徒歩でエーイーリー区画を通過するつもりだった無縫はエーイーリー区画の関所を守るように展開された騎士達に眉根を寄せる。
「なんだか面倒なことになりそうだなぁ」と思いつつ、無縫はヴィオレット、シルフィア、フィーネリアに降りるように促した。
【666號】を時空の門穴を開いて閉まっていると、騎士達の中から一人の騎士が無縫達の方へと近づいてきた。
青褪めた馬に跨り、禍々しいオーラと聖なる力が入り混じった奇妙な気配を纏う純白の鎧を纏った騎士だ。
しかし、明らかにおかしい点が一つある。本来あるべき筈の場所に頭がなく、首は途中でスッパリと切られたように美しい断面を晒していた。彼の頭と思われる兜は鎧の騎士の右手に抱かれており、その姿から彼が死霊騎士であることを無縫は見抜いていた。……まあ、彼が死霊騎士であったとしても解決されない謎が一つ残されているのだが。
「今日辺りに来るんじゃないかって思っていたぜ。庚澤無縫だろ? 話は『頂点への挑戦』の運営から聞いているぜ。……話だと同行者は一人って聞いていたが、まあ、細かいことはいいか? 俺はエスクード、クリフォート魔族王国魔王軍幹部でエーイーリー区画の領主をしている。それと、魔王軍即応騎士団騎士団長もしていて、こいつらはその即応騎士団所属の騎士達なんだ。……驚かせてしまったなら申し訳なかった。俺なりの歓迎のつもりだったんだけどな」
「お初にお目に掛かります、エスクード殿。改めまして、庚澤無縫です。こちらの女性が、恐らくそちらも把握しているフィーネリアさん、後の二人は、純魔族の女性がヴィオレット、小さな妖精がシルフィアです。俺も含めて全員異世界人ってことになりますね。この阿呆二人はメープル殿に勝利した後、天空カジノという俺の故郷の世界にある賭博施設で莫大な借金を拵え、施設を破壊しつつ逃げ回っていたところをボコボコにして連れ戻してきた感じです。なので、情報が伝わっていないのも無理はないかと。『頂点への挑戦』には変わらず俺だけ出場させてもらいます」
「おっ、おう……なんとも反応に困るなぁ。ところで、ここに来たってことはシェリダー区画よりも先に俺の区画を攻略する気があるってことでいいんだな? 確かに、推奨されているルートに従うならこっちを先に攻略することが正しいってことになるが」
「それが……その、ここまで盛大に出迎えて頂いたのに申し訳ないのですが、エーイーリー区画、アディシェス区画、ツァーカブ区画を経由して二番目の挑戦はアィーアツブス区画にしようと思っていまして。本当はキムラヌート区画に最初に挑戦しようと思っていたのですがバチカル区画の宿屋で知り合った先駆者の方々に知識を蓄えてから挑むようにと警告されまして」
「まあ、でも無縫なら関係なく攻略してしまいそうだがな。……知識ではなく、幸運の暴力で」
「ぶはははっ! いや、すまない。昨今の保守的な挑戦者達に見習わせたい姿勢だな! ……まあ、どのルートを選択するかといった戦略も評価点の一つになっている訳だが。ただ、俺の試練にはそれなりの準備が必要でな、今からであればすぐに試練を始められるが、明日以降にってことなら領主公館に事前に日にちを伝えてもらいたい。ああ、今日無理に挑戦しろっていう訳じゃないぜ。こっちが勝手に予測して、こっちが勝手に準備しただけだしな」
「……ってことは、試練の内容は即応騎士団に関わるものってことかしら?」
「シルフィア、珍しく冴えているみたいだな」
「珍しくは余計だよ! 無縫君!!」
「準備して頂いたところ大変申し訳ございませんが、今回はアィーアツブス区画への挑戦を優先したいと思っています」
「……まあ、流れ的にそういう話になると思っていたぜ」
即応騎士団の騎士達は無縫の返答に不快感を滲ませる……ことはなく、「こいつは正気なのか?」という視線を無縫に向けていた。
その理由はキムラヌート区画やアィーアツブス区画といった基本的には避けられる区画に挑戦する気満々だったからか、或いはその口ぶりからして彼が全ての区画の魔王軍幹部を倒すつもりであることを察したからか。
「あー、そうそう。『頂点への挑戦』の運営から無縫、お前に会ったら聞いて欲しいことがあるって言っていたな。恐らく、アルシーヴの奴、シェリダー区画の方にも同じ連絡が入っていたと思うぜ。で、その内容っていうのはよ、簡単に言っちまうと魔王軍幹部との戦いの制限を取っ払っちまってもいいかって話だ。メープルさんの時も本来なら使うことを禁じられている毒魔法を解禁しちまったんだろ? だったら、他の魔王軍幹部も全力を出してもいいんじゃないかっていう意見があってな。まあ、俺としては他のチャレンジャーと同じ扱いをされるべきだと思うが、無縫、お前がルーグラン王国が召喚した勇者であるということで負の感情を抱いている魔族も残念ながら多いんだ。そういったお前のことを邪魔したい連中がさっき話した提案に賛同しているっていう状況だ。お前のことをよっぽど勝たせたくないんだろうな……気持ちは分からないでもないが。だが、不服な連中を納得させることができるチャンスでもある。そこまで不公平なことをやってそれでも無縫が勝ったら言い訳できないからな。それと、実際のところは分からないがこの件に宰相閣下の思惑も絡んでいるっていう話もある」
「俺としては寧ろ手加減しないでもらいたいんですけどね。……一応、俺って魔族王国に乗り込んできた勇者みたいな立ち位置ですし、それに、そっちの方が面白いじゃないですか?」
「本当に肝が据わっているなぁ。……その度胸、もしかしたら魔族の頂点に君臨する四代目魔王に本当に勝てるかもしれないと思うぜ。よし! そうと決まればバチカルにある運営本部に伝令を走らせて」
「もしよろしければ俺の方で連絡をしておきましょうか? 基本的に宿はバチカルで宿泊させてもらっているところで継続して宿泊させてもらうつもりなので」
「ん? バチカルの宿に今後も泊まるつもりなのか? 結構離れているし、流石に行き来するのは大変だろ?」
「さっき車……乗り物を収納したの、あれは空間魔法の一種でして、戻ろうと思えば今すぐにバチカル区画に戻れるんですよ。ただ、空間魔法は座標を知らないと発動できないので、最初に移動する際はこうして物理的に移動するしかないのがネックですね。一応、運営には許可をもらっています」
「なるほど空間魔法ねぇ……そんな神話級の魔法を。っていうか、最早侵入された時点で国防とか意味を為さなくなるじゃないか。……あのメープルさんが本気を出さざるを得なくなるっていう時点でなんとなく察していたが、これは……お前との勝負、楽しみになってきたぜ!! 引き止めちまって悪かったな! 淡空嬢の冷たい洗礼、思う存分味わってきてくれ!!」
エスクードはエーイーリー区画の奥へと消えていく寸前、手をヒラヒラとさせて無縫にエールを送った。
エスクードが去ると、即応騎士団の騎士達は一斉に左右それぞれ一列に分かれて武器を天に突き立てる。
無縫達は騎士達の道を通ってエーイーリー区画に入り、区画を突っ切るとアディシェス区画へと続く街道の方へと進み、再び【666號】へと向かった。
◆
魔王軍幹部直々の歓迎はエーイーリー区画のみで、アディシェス区画、ツァーカブ区画では特段何も起きなかった。
観光する間も無く区画を突っ切り、街道に出ると【666號】のアクセルをフルスロットルにする。最短距離でアィーアツブス区画に着いた頃には既に日が沈もうとしていた。
アィーアツブス区画はこれまで無縫達が立ち寄ったどの区画よりも小規模な街だった。
民家は疎で、宿泊できる宿は小さな民宿が二つと煉瓦造りの四階建てのホテルが三つ。その代わりに飲食店が多く、特に鍋料理などの温かい料理を出すお店が多い。
それもその筈、アィーアツブス区画は山岳地帯の麓に作られた小さな村が登山者などのニーズに応えて登山者達の拠点や観光の場として発展していった街なのだ。
気温はアヴァランチ山の近くということもあって少し肌寒いのがデフォルトであり、夏でも温かい料理が好まれる。
山岳地帯の中でも最高峰であるアヴァランチ山などを目指して山を登る途中で訪れる街であり、基本的には通過するか宿泊するとして一泊する程度であることから宿泊施設はそれほど発展せず、代わりに飲食店が発展することになったのだろう。
ちなみに、山岳地帯の山々の山小屋は全てしっかりと整備されており、基本的にはそういった山小屋で宿泊しながら目的地を目指すというのが登山者達の定石である。こうした山小屋の存在も、アィーアツブス区画が宿泊地として発展しなかった理由と言えるかもしれない。
……まあ、より正確にはこの街だけでなく山岳地帯全体を総称してアィーアツブス区画であるため、その点を加味すれば独特な形で宿泊産業が発展している街であると言えるかもしれないが。
人間である無縫とフィーネリアに警戒が向き、「一緒に魔族もいるみたいだし、この区画まで来られているってことは大丈夫なのか?」と観光客の魔族達と僅かな住人達が混乱している中、無縫は領主公館を探した。
流石にこの時間から挑戦するのは難しいことは無縫も承知してしている。このタイミングで領主公館を訪問するのはあくまで明日挑戦するためのアポイントメントを取っておくためだ。
しかし、歩いても歩いても領主公館は見つからない。致し方なく、無縫は近くにいた観光客と思しき純魔族の男に話しかけた。
「何故、ここに人間がいるかは分からないが、敵意はないみたいだな。領主公館はどこにあるかって? 難しい質問だな。領主公館はこの街にはないよ。アヴァランチ山の山頂にはウィンタースポーツのレジャー施設があるんだが、そこに領主公館が併設されている。だけど、毎回山に登る訳にもいかないだろ? だから、麓にも領主公館の代わりになる施設があるんだ。アィーアツブス町役場っていう場所だが、そこで必要な手続きとか申請はできるぜ。……まあ、職員しか使えない特別な乗り物があるっていう話も聞くし、もし山頂に行くなら町役場に頼んでみるのもいいかもしれないな。あの山、登るのキツいし」
「そういう訳にはいかないな。……幹部巡りは公共の乗り物が禁止されているだろ?」
「あー、用事ってそういう。ってか、人間も幹部巡りにチャレンジするんだな? 腕っぷしが強くのか、魔王軍幹部相手に戦う気があるってことはそれなりに強いんだろうが、我らが領主、雪の女王様は強いだけじゃ勝てない。クリフォート魔族王国で最も過酷な試される大地、アヴァランチ山の洗礼をとくと味わっていくがいいさ!」
◆ネタ解説・九十五話
青褪めた馬
元ネタは『ヨハネの黙示録』に記される四人の騎士の一体で青白い馬に乗った「死」で、側に黄泉を連れている。疫病や野獣を用いて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。
死霊騎士
元ネタはアイルランドに伝わるヘッドレス・ホースマン、首無しの騎乗者。
頭部のない男性の胴体の姿で、生きたように馬に乗り、首級を手に持つか胸元に抱えている。悪しき妖精の一種。
本作では魔族の一体として登場。青褪めた馬に跨る騎士であり、アイルランドの伝承とキリスト教の『ヨハネの黙示録』を習合している。