高嶺の花っていうのは、ルビリウス王国の第一王女を指しているのか、それとも無縫のことを指しているのか、どっちなんだろうね?
ルビリウス王国の王都コランダームで一番人気と言われる喫茶店「ローズ・シャトー」の店内は緊張に包まれていた。
現在のパングェーア大陸の秩序を作り上げた無縫の存在は良くも悪くも有名人だ。そんな彼が見知らぬ魔族の女性と共に来店し、一体どのような話をするつもりなのかとたまたま来店していた客達も従業員達も興味津々だ。
これほど注目を集めた理由の一つは、無縫とルビリウス王国の第一王女が恋人と仲になっているのではないかという噂も関係していた。
当の第一王女本人は不本意そうに「恋仲などではございませんわ」と声明を発表していたのだが、少なくとも第一王女が無縫に対して恋愛感情を向けているのは誰も目から見ても明らかであった。
そして、そんな第一王女の気持ちを応援する者も多くいる。ある者は国益という観点から、またある者は王女である前に一人の少女である王女の恋が叶って欲しいという純粋な願いから――動機は様々だが、国内全体の民意として二人の恋愛の進展を願う者が多いというのは事実だ。
そんな時に現れた魔族と思われる女性の影――喫茶店にいた者達は第一王女の恋敵が現れたのではないかと考えて警戒心を強めたのだろう。
無縫は周囲の視線を全く気にした様子もなく堂々と椅子に座ってリリスの目の前にメニューを差し出した。
リリスが注文する品を選び終えると、無縫は店員を呼んで紅茶と珈琲を注文する。どうやら、リリスは極度の緊張でとても甘いものを食べる気にはなれないようだ。
「じゃあ、改めて次代魔王育成計画の概要を説明させてもらうよ」
「……ああ、お手柔らかに頼む」
珈琲と紅茶が運ばれてきたところで、無縫は話を切り出した。
この時点で、少なくとも色気のある話ではないと察したのだろう。色恋話目当て聴衆達の興味は僅かに薄れたが、中には極めて重要な話がこれからこの喫茶店で行われることを察して耳を澄ませる者もいる。
「まず現在のリリスさんの天職についてだけど、この世界に渡った時点で勇者を獲得している。いやぁ、もう少し時間が掛かると思っていたけど、この世界で勇者の天職を獲得できる方に賭けたら楽勝だったね」
「……まあ、無縫殿の幸運を踏まえれば当然のことだな。……なるほど、賭けという形にすることで獲得する天職を操作できるものなのか?」
「まあ、一種のガチャみたいなものだからね。やろうと思えばできるみたいだ。……さて、リリスさんには手に入れた勇者の天職を使いこなせるようになってもらいつつ、同時進行で魔剣に選ばれて魔王になれるように精進してもらおうと考えている。最終的には勇者と魔王の力を持ち、更に鬼斬の技も扱える前代未聞の魔王になってもらいたい。……これなら、現魔王のノワールにも勝てそうだろ?」
「まあ、そこまで鍛えれば流石に勝てる……と思いたいな。だが、鬼斬の技はまだ習い始めたばかりで全く形にはなっていないぞ」
「そっちも並行して鍛えていくことになる。……やることは大変だけど、これまで回って異世界で手に入れた天職の力や内務省が有する技術もリリスさんは扱える。手数の多さという点ではリリスさんの方が圧倒的に有利だ。後はどれだけ強くなれるかどうかだろうな。……まあ、真面目で努力家なリリスさんなら大丈夫だと思うよ。そう気負わなくても」
「……確かに無縫殿のプランならなんとかなりそうな気がしてくる。そういえば、試練の日程は決まっているのか?」
「まだ未定だよ。とはいえ、あまり日にちが経てば交戦論者達を調子づかせることになる。……あまり悠長にはしていられないだろうな。……内務省の仕事もあるリリスさんの負担を増やしてしまったこと、本当に申し訳ない」
「いや、無縫殿のせいではない。無縫殿なりに最悪の状況を回避する方法を考えてくれたのだろう? ……私だって今のアムズガルドの空気感が好きで守りたいと思っている。もう二度と、人間と魔族が歪み合うような世界にはしたくないんだ。今が踏ん張りどころということなのだろう? ならば、精一杯頑張るだけだ!」
「とりあえず、まずは必要なものを調達する必要がある。一服が終わったら目的地に行こうか? ……さて、聞き耳を立てている喫茶店の諸君。こういう公共の場所で密談紛いなことをしている俺達の方が悪いんだけど、聞き耳は程々にね。何を意図してスタッフまで業務の手を止めていたのか知らないけど、一つの世界の今後を左右する重要な密談だから、妄りに吹聴しないでもらいたい。……特に、ブルーベル商会経由で情報が流れると困るからね。まあ、あの商会もちゃんとその辺り分かっていると思うから大丈夫だと思うけど」
「あっ、あの……その方はもしかして無縫様の彼女さんなのでしょうか?」
無縫は微笑を浮かべ、あくまで優しく注意するといった態度を取っていたが、その言葉には仄かな怒りの感情が乗せられていることを誰もが察していた。
だが、無縫が纏う迷惑そうな雰囲気を感じ取れなかったのか、或いはどうせ煙たがられているのだからいっそ核心を突く発言をしてもあまり大差ないと腹を括ったのか、無縫達に先程給仕をした店員がおずおずと無縫達に質問をした。
「か、かか、彼女だと!?」
全く想定していない質問だった故か顔が赤くなり露骨に慌て始めるリリス。
その理由が彼女が真面目でそういった色恋話に耐性がないからなのだろうと無縫は察していたが、店員は図星だったからだと考えたようだ。
無縫はリリスが変な勘違いをされたままでは居心地が悪いだろうと察して喫茶店に居合わせた者達の認識を変えさせるべく口を開く。
「いや、リリスさんとはそういう関係じゃないよ。彼女はヴィオレットの従者で魔王軍四天王のリリスさん。内務省で参事官補佐をしている尊敬できる女性だ。……というか、俺に好きな人なんていないって何度言ったら。たまにヴィオレットとシルフィアが恋人なんじゃないかと言われるけど、あいつらも恋愛対象にはなり得ないし、どちらかといえば出来の悪い子供なんだよなぁ」
「……ヴィオレット様に長く仕えてきた者として無縫殿の言葉を訂正させたいが、事実なので如何ともし難いのが辛いところだな。それに、私は恋愛というものに抵抗があるんだ……なんというか、その、破廉恥というか」
「女夢魔としてはどーなんだろー、って思うけどね。って今時、そういうこと言うのはコンプラに反するか」
「で、では第一王女殿下のことは……」
「エリザヴェート王女殿下? まあ、たまにお茶会に誘われたりするけど……俺みたいな得体の知れない人間と王女殿下じゃ絶対に釣り合わないし、前提からしてあり得ない話だと思うよ。仮に俺がLOVEの意味で好意を持っていたとしても叶わぬ恋になるだけじゃない?」
「……いわゆる高嶺の花という奴だな。どちらが高嶺の花かは別として。それに、仮にと言っているのだからどちらにしろ望み薄だろう。……個人的には無縫が誰かと結婚している姿は欠片も想像できないな」
「まあ、俺の恋人はギャンブルなので」
リリスが紅茶を飲み終えたところで無縫はお会計を済ませてリリスを伴って店を後にする。
その光景を、王女エリザヴェートと無縫の淡い恋物語を期待していた喫茶店にいた者達は何とも言えない顔で見送り、この話を墓場まで持っていく覚悟を決めたのだった。
◆
無縫がリリスを連れて向かったのは王都の外れに位置する鉄と油の匂いが入り混じる工業地帯だった。
もし、デートのスポットに彼氏が選んだら余程の変わった趣味でもない限り幻滅して頬の一つでも引っ叩いて破局しそうな煌びやかさと対極にある場所だ。
「この世界でも様々な種族が対立していた。エルフィン魔術王国、ドワスミス大帝国、ユミル獣人同盟国、ヴァーライト魔王国――エルフ、ドワーフ、獣人、魔族の国はかつてこのルビリウス王国をはじめとする人間の国々と敵対していた。だが、この工業地帯は対立が解消される以前から存在し、多くのドワーフの職人が暮らしていた」
「……ふむ、どこの世界も似たようなものなのだな。だが、何故敵勢力であるドワーフが人間の国で暮らしていたのだ?」
「それは、彼らが特別な技術を有していたからだ。ドワーフっていう種族は一種の武器商人の役割を果たしていたんだ。彼らにとっては自分達の領土の拡大よりも戦争で需要が高まる、つまり沢山売れる武器の販売で得られる利益が重要だった。だから、最後までドワーフ達の説得には難儀したんだ。……まあ、今は高い技術を平和的に利用した利便性の追求、産業の革新の方に興味があるみたいだけどね。じゃあ、話を戻すけど、人間の国や魔族の国でドワーフが重宝されたのは、彼らが聖剣や魔剣を打つ技術を持っていたからだ。彼らの打つ聖剣や魔剣の質は高く、歴代の勇者や魔王に重宝されてきたという。そんな彼らのほとんどは終戦後に聖剣や魔剣を撃たなくなった。廃刀令後に刀鍛冶が減ったのと同じ理由だよ。彼らのほとんどは高い金属加工技術を活かして工芸品などの分野に進出した……が、一部のドワーフ達はまだ伝統的な聖剣や魔剣作りをしている」
「……既にほとんど無用の長物と化しているのにか?」
「儀礼の品としてはまだ需要が残っている。聖剣や魔剣は象徴になり得るものだからね。だが、現在も聖剣や魔剣を打ち続ける職人達か需要の乏しい仕事を続ける理由は聖剣や魔剣に魅了されてしまったからだと思う。ほら、刀剣にも不思議な魅力があるだろう? それと同じ、聖剣や魔剣もまた、刀剣類と同じく妖しげな人を惹きつける魅力があるんだ。今回、お邪魔するのは伝統的工法を受け継ぐ信頼できるドワーフの職人の工房だ」
「……なるほど、私専用の聖剣と魔剣の鍛造をその工房に依頼するということだな」
「察しが良くて助かるよ」
◆ネタ等解説・九十三話
コランダーム
元ネタは酸化アルミニウム (Al2O3) の結晶からなる鉱物。国名のルビリウス王国はコランダムの一種であるルビーに由来する。
パングェーア大陸
元ネタはペルム紀から三畳紀にかけて存在した超大陸・パンゲア大陸。漢名は盤古大陸。
パンゲアという名前は古代ギリシャ語のpan(πᾶν、全体の)Gaia(γαῖα、大地)から名付けられた。