無縫にとって二度目の異世界である異世界ハルモニアのルビリウス王国は防衛省高官・大黒壬の必死の説得がなければとっくの昔に無縫の手によって灰燼に帰していたというイマイチ反応に困る恐ろしい話。
異世界ハルモニア――この世界は人間、亜人種族、魔族、そして魔物が互いに勢力圏を広げるべく争う、よくある異世界の一つである。暮らしている当の本人達にとっては掛け替えのないたった一つの世界であり、他の世界と十把一絡に纏められるのは不服なのだろうが、複数の異世界を巡ってきた無縫の感想としては、数多あるテンプレ異世界の一つに過ぎない。
剣と魔法に、勇者や魔王――よくあるファンタジーの要素が詰めに詰め込まれたこの異世界と無縫が出会ったのは、無縫が異世界アムズガルドから帰国し、大田原惣之助と内藤龍吾との出会いを経て内務省異界特異能力特務課でアルバイトを始めて間もない頃のことである。
まだリリスが内務省に入庁しておらず、無縫と犬猿の仲であった頃、無縫は内務省のお使いで防衛省に赴いていた。
その時、たまたま発生した時空災害――時空の門穴などと同じく時空の歪みによって生じた現象に巻き込まれ、無縫は防衛省の職員八十人と共に異世界ハルモニアに飛ばされてしまったのである。
時空災害によって無縫達が放り出されてしまった異世界ハルモニアの人間の王国の一つ――ルビリウス王国は突如として現れた無縫達を警戒してすぐさま騎士団を差し向けた。
本来ならばすぐに武力行使に訴えず、まずは情報の収集を行い、その上で無縫達への対処を考えるべきだ。しかし、ルビリウス王国が本来であれば踏むべき段階を飛ばして強硬手段に打って出たのである。
これには、ルビリウス王国を中心とする異世界ハルモニアの周辺の国々の情勢が関係していた。
当時のルビリウス王国は周辺の人間の国々との紛争に勝利して平穏を手にした直後であった。まだ併合した敵国の人々からの敵意や不穏分子も残っており、一応終戦を迎えたといってもまだまだ安心できる状況ではなかったのだ。
それに、ルビリウス王国にとっての一番の懸念事項は戦争終結後にも残り続けていた。その懸念は魔族や亜人種族といった領土や資源を奪い合う原初の時代からの敵の存在である。
ルビリウス王国が勝利したのは、あくまで周辺の同族の国に過ぎない。現在も魔族の王国やエルフの国、ドワーフの帝国、獣人族の国は健在で、常に互いの領土や資源を狙っている。
ルビリウス王国内部の未だに残り続ける内憂と、原初の時代からの外患。この二つに苛まれるルビリウス王国はかつてないほどピリピリし、厳戒態勢を敷いていたのだ。そんな極めて危険な時期に無縫達は時空災害でルビリウス王国に飛ばされてしまったのである。
当時はまだ時空の門穴や時空災害に対する知識が乏しく、ルビリウス王国を納得させるだけの説明はできなかっただろう。
だが、仮に研究の進んだ現在の状態で同じように時空災害に巻き込まれて当時のルビリオス王国に飛ばされても、そもそも平和的に交渉のテーブルに着くことは不可能だったのではないかと無縫は考えていた。
無縫は異世界アムズガルドから地球に帰還する際に偶然発生した地球と異世界アムズガルドを繋ぐ時空の門穴を発見し、時空の門穴を解析することで空間魔法を会得していた。
当然、この時点で無縫は安全に防衛省の面々を地球に帰還させることはできた。……まあ、防衛省の面々を空間魔法で地球に連れ帰っても地球と異世界ハルモニア間で生じている不安定な時空の状態は残り続けるため、根本的な解決には繋がらないのだが。
不安定な時空が解消されなければ時空災害や時空の門穴の出現が今後も頻発する可能性が高い。
その当時はまだ仮説の段階ではあったが、空間魔法によって不安定な時空に干渉することで時空災害や時空の門穴の意図せぬ出現を食い止められるのではないかと言われていた。その実行のためには片方の世界だけでなく、双方の世界で不安定な時空での空間魔法による干渉を実行する必要がある。
まずは不安定な時空がどれほど拡大しているか情報を収集した上で、地球と異世界ハルモニアの双方で適切に不安定な時空への空間魔法による干渉を行う必要がある。そのために現地民の協力は必要不可欠であった。
防衛省の面々は異世界人とコミュニケーションを取り、協力を得て穏便に地球に帰りたいと考えていた。
しかし、無縫達の元へとやってきた敵意バリバリの精鋭騎士達は決して穏和に交渉できる状況ではないことを如実に表していた。
「敵意を向けてきた以上、相手は自分の命をチップに賭け事のテーブルに座った」と捉えた無縫はすぐさま騎士達を討伐するべく動き出そうとしたが、時空災害に巻き込まれた防衛省高官の一人が無縫を説得すべく全力で言葉を弄した。
彼らは全員が文民で武力は欠片も持っていなかった。彼らにとっての生命線は無縫だけという状況で無縫との関係の悪化は自分達の破滅に繋がりかねない。だが、それでも防衛省高官はこのまま騎士達を蹂躙してこの世界の住人達の間に痼りを残すことは後々のことを考えると悪手であると考えたのである。
防衛省高官はこの時空災害という名の異常事態に対処するためには現地の人々の協力を得る必要があると考えていた。それに、無闇に血を流すことを良しとせず、できる限り争いを避けたいという人間として至極当然の道徳と良心を持ち合わせていた。
一方、無縫はというと異世界人の生死などどうでも良いというのが本音であった。自分にとって身近な存在であれば助けたい、守りたいと心を動かされることもあるが、彼らは全くの初対面でそのような情が湧く余地もない。況してや、彼らは無縫達に最初から敵意を向けてきた。
寧ろ、彼らを放置していれば自分達の身の危険が危ないのではないかという考えの方が強くなる。恐らく同じ人間という種なのだから殺すのを躊躇するといった考えは無縫にはないのだ。
ルビリウス王国と敵対すれば存在するかもしれない周辺の人間の国々を敵に回す可能性が高いというリスクも無縫は当然理解していた。
だが、そのようなリスクはそもそも無縫にとって攻撃を躊躇うほどの理由にはなり得なかった。
結局のところ、無縫にとっては敵対してくる全ての敵を蹂躙しつつ時空の歪みへの対処を行うか、異世界人達と協力して時空の歪みへの対処を行うかという些細な方針の違いでしかないのである。無縫一人でも仮説の実証実験をすることは可能であり、正直どちらでもいいというのが本音だった。強いていうなら、敵意マシマシの人間の国相手に交渉するという労力を払うか、攻撃を仕掛けてくる全ての敵を殲滅するという労力を払うかというどちらの二択を選ぶのかという程度の違いでしかないのだ。……まあ、異世界ハルモニアの住人達にとっては「程度」と片付けられるような些細な違いなどでは決してないのだが。
結果として、無縫は防衛省高官に同意を示した。今回の一件で防衛省との間で大きな溝を残す結果になるのは内務省の利益にはならないと無縫が考えた故である。……ルビリウス王国の人命を重んじたからとかでは決してない。
無縫は精鋭騎士達を最低限の外傷で撃破するとそのまま防衛省の面々と共に王城へと向かった。
そして、武力をチラつかせつつ自分達の置かれている状況を説明し、強引に協力を取り付けた。
当時、無縫達の姿勢に反感を覚える貴族が大半であったが、この日のことを後に振り返って当時無縫達に反感を抱いていた貴族達は「あれほど幸運なことは無かった」と揃って口にしている。
もし、一つでも選択が違えばルビリウス王国は地図上から消えていたかもしれないのだ。国家のメンツを守っても王侯貴族を含めてルビリウス王国の住民全員の命が消え去ってしまっては意味がない。ルビリウス王国民の中には勇気を振り絞って無縫を説得した防衛省高官、大黒壬を英雄視する声もあるとかないとか。
ルビリウス王国に事情を説明して協力を取り付けた無縫は防衛省の官僚達を地球に送り届けた後、ルビリウス王国と協力して時空の歪みに対処していった。その過程で、魔族の王国やエルフの国、ドワーフの帝国、獣人族の国、海棲種族の王国と人間の国々の関係も改善されていった。
現在、異世界ハルモニアでは人間、亜人種族、魔族の種族間での争いはなく、互いの長所を生かしながらそれぞれの国が徐々に発展している。近年は産業分野での革命も起こり、更なる発展が予想されていた。……まあ、その果てにある未来の一つが異世界アルマニオスなので必ずしも異世界ハルモニアの未来が明るいという訳ではないのだが。
ブルーベル商会と取引のある異世界ハルモニアの国々は当然、ブルーベル商会を通じて同じ立場にある異世界アルマニオスの情報を入手している筈なので、流石に環境へと悪影響を度外視した技術開発は行わない筈だが、知性の高い生命体は得てして欲深いもの。今後、目先の欲に囚われて環境度外視の技術革新を進めるものが出ないとは言い切れない。
さて、異世界ハルモニアで最大の大陸と呼ばれるパングェーア大陸には現在、ルビリウス王国を含む六つの人間の国と、エルフィン魔術王国、ドワスミス大帝国、ユミル獣人同盟国、ヴァーライト魔王国を合わせた十個の国がある。
今回、無縫が時空の門穴を開く先として選んだのは、先程から幾度となく名前が上がっていたルビリウス王国であった。
ルビリウス王国の王都コランダーム。かつて人間達が闊歩していた景色から一変、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、魔族――様々な種族が行き交う人種の坩堝となったこの地に久しぶりに降り立った無縫は見慣れない風景に困惑するリリスに一瞥を与えると、僅かに口元を歪ませた。
「早速目的地に行ってもいいんだけど、まずはお茶でも一杯どうかな? 美味しい珈琲を出してくれる喫茶店を知っているんだ」
未だに状況が呑み込めず、困惑と緊張と不安に苛まれているリリスをリラックスさせつつ今回、無縫が考えているリリス育成計画の全貌を説明するために、無縫はリリスを喫茶店へと誘った。
◆ネタ等解説・九十二話
大黒壬
初出は『文学少年(変態さん)は世界最恐!?』で、草子の最終的なパーティメンバーの一人。
作中には転生した姿である超帝国マハーシュバラの超皇帝シヴァ=プリーモとして登場。その前世である壬は地球が宇宙人達の植民地にされ、宇宙人達の代理戦争の形で第三次世界大戦が勃発した近未来の地球で結成された解放軍解放軍の軍曹。
本作では防衛省の高官として登場。妻は同じく防衛省の高官で幼馴染の大黒佳奈(旧姓、栗花落)。
そして、直属の上司には元自衛隊統合幕僚長で現在、大田原内閣で防衛大臣を務めるあの人がいる。
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・大黒壬(並行世界/大日本皇国)
性別、男。
年齢、二十九歳。
誕生日、四月二十四日(『文学少年召喚』の大黒壬と同じ)。
血液型、AB型Rh+。
出生地、東京都。
一人称、俺。
好きなもの、平穏な日常、妻との時間。
嫌いなもの、戦争。
座右の銘、特に無し。
尊敬する人、逢坂詠。
好きな人、栗花落佳奈。
嫌いな人、特に無し。
好きな言葉、特に無し。
嫌いな言葉、特に無し。
職業、防衛事務次官。
主格因子、無し。
「生え抜きの防衛省の職員。特別機関である自衛陸軍、自衛海軍、自衛空軍への所属経験はない根っからの文官。本編開始時点から数えて一年前に幼馴染で同じ防衛省職員である栗花落佳奈と職場結婚を果たし、現在はラブラブカップルぶりを周囲に見せつけている。ルビリウス王国と無縫の対立を無縫を説得して止めたことからルビリウス王国では英雄視されている」
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・大黒佳奈
性別、女。
年齢、二十九歳。
誕生日、七月七日(『文学少年召喚』の大黒壬と同じ)。
血液型、A型Rh+。
出生地、東京都。
一人称、私。
好きなもの、夫との幸せな時間、夫婦生活。
嫌いなもの、平穏を破壊する争いごと。
座右の銘、特に無し。
尊敬する人、特に無し。
好きな人、大黒壬。
嫌いな人、特に無し。
好きな言葉、特に無し。
嫌いな言葉、特に無し。
職業、防衛省人事教育局局長。
主格因子、無し。
「旧姓は栗花落。生え抜きの防衛省の職員。特別機関である自衛陸軍、自衛海軍、自衛空軍への所属経験はない根っからの文官。本編開始時点から数えて一年前に幼馴染で同じ防衛省職員である大黒壬と職場結婚を果たし、現在はラブラブカップルぶりを周囲に見せつけている」
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