ブルーベル商会の『女狐』とイシュメーア王国の『英雄王女』。
ブルーベル商会の五階、応接室にて――。
フィーネリア、メープル、スノウ、ゲラップ、ヴァトンの五人はもてなしを受けていた。
五人の目の前にそれぞれ置かれているのは白い湯気が薄っすらと立つ香りだけでも高級な茶葉を使っていることが分かる美味しそうな紅茶の入ったカップだ。
更に机の上には「どうぞお好きに食べてください」と言わんばかりに金色に輝くアフタヌーンティースタンドの上には美味しそうなケーキやスコーン、マカロンなどが所狭しと並べられている。
イシュメーア王国の王家とも対等に渡り合う異世界アムズガルド最大の商会のトップから直々にお茶に誘われるという事態にゲラップとヴァトンは恐縮しっぱなしだ。
フィーネリアとスノウも事前にブルーベル商会の異世界アムズガルドでの立ち位置を聞かされたことで場違い感を感じているようである。……生まれが庶民のスノウはともかく、大貴族の娘であるフィーネリアはどっしり構えていても大丈夫そうなところだが。
この場で唯一普段通りなのはメープルくらいだ。勧められるままにお菓子に手を伸ばし、あふれんばかりの笑顔を浮かべている。
「お口にあったようで何よりですわ。皆様もそう畏まらず……私も皆様と同じ立場、無縫様の友人の一人なのですから」
そんなメープル達の目の前で柔和な笑顔を浮かべている女性こそ、ブルーベル商会の会長を務めるリリィシア=ブルーベルだ。
見た目二十代前半でも通じそうな容姿をしているが実年齢は三十一歳。それでも、商会のトップとしてはかなりの若手である。
代々王家御用達の商会として繁栄してきたブルーベル商会の六代目会長であるリリィシアは無縫とシルフィアが異世界にやってきた頃、五代目会長である父親の急逝を機に六代目会長に異例の若さで就任した。
当時から『女狐』と称されるほど食えない女性として知られていた彼女は年齢と経験が物をいう商人の世界でも軽んじられることはなく、寧ろ番頭として働いていた時代から注意を払われていた。
そんな周囲の商人達の期待を裏切ることなく六代目就任当初から複数の実績を重ね、現在の時点で既にブルーベル商会の中興の祖として商会内外から畏怖と尊敬の籠った眼差しを向けられている。
リリィシアの業績はいくつもある……が、その中でもやはり最大の業績に挙げられるのは異世界との商取引のルートを確立したことであると言えるだろう。
リリィシア自身は「無縫様が全て準備を整えてくださっただけで、私は美味しいところを頂いただけですから」と語っているが、その言葉を額面通りに受け取るものはいない。それに、無縫がそれだけ重要な役割を数ある商会の中からリリィシアに委ねたという点から見える彼女に対する深い信頼も商売の世界では十分評価に値するものである。
「改めまして、リリィシアと申しますわ。若輩者ですが、父から受け継いだブルーベル商会をより立派にして次代に繋げられるように日々精進しています。無縫様とは異世界召喚当時からの付き合いでして、その頃から助けられています。いつか恩を返したいと思っていますが……あの方は基本的に万能なお方ですので困っておりますわ。……大変失礼致しました。ついつい本音が」
「確かに無縫君って基本的には隙がないわよね。……たまに変なところで抜けていたり、ヴィオレットさんとシルフィアさんに振り回されて発狂していたりするけど。名乗るのが遅れたわね。私はフィーネリア、ロードガオン出身で一応無縫君の宿敵ということになるかしら? 異世界で無縫君のおかげで移住先が見つかったから宿敵からそろそろ卒業できそうだけど」
「まあ、フィーネリア様でしたのね。お話は無縫様より伺っておりますわ。なんでも、無縫様を見事に出し抜いてみせたお方がいるとか。是非一度お会いしたいと思っていましたわ」
「これって自己紹介する流れですよねぇ〜? 私はメープルと申しますわぁ。今、無縫さんが来ている異世界で魔王軍幹部をしていますぅ。一応、パティシエとショコラティエとベーカリーをしていましてぇ、無縫さんが異世界に行くと聞いてぇ、もしかしたらインスピレーションが湧くんじゃないかとか無理を言って同行させて頂きましたぁ〜」
「なるほど……無縫さんが来ているというと、時空の門穴の調査でしょうか? それとも、異世界召喚?」
「勇者召喚だったと聞いていますわぁ〜」
「……となると、現時点では敵同士と言わずとも国交は結ばれていない状態でしょうか? 私共は大日本皇国と国交を結んだ国々を商いで繋ぐという役割を担っておりますわ。もし、国交を結ぶことになりましたら、その時は是非御商談をさせて頂きたいですわ。それに、メープル様の作るお菓子、私も食べてみたいですから一度伺ってみたいですわね」
「えぇ、是非、お待ちしていますわぁ〜」
「わ、私はスノウって言います。無縫さんが宿泊先に選んでくださった宿屋『鳩の止まり木亭』で従業員をしています」
「まあ、そうなのね!! 私も是非泊まってみたいわ。その異世界に商談に行く時は泊まらせてもらってもいいかしら?」
「えぇ、是非! お母さんもきっと喜ぶと思います!!」
その後、フィーネリア達はリリィシアに聞かれるままに異世界ジェッソでの無縫の活躍などを話し、楽しい時間を過ごした。
そして、リリィシアに笑顔で見送られてブルーベル商会本店を後にしたところでフィーネリア達は気づく。――自分達が必要以上なところまで踏み込んで話してしまったことを。
「大商人って恐ろしい!」とぶるぶる震えるフィーネリア達であった。
◆
一方、フィーネリア達とは別行動を取っている無縫、ヴィオレット、シルフィアの三人の姿はイシュメーア王国の王宮の謁見の間にあった。
本来、謁見の間では膝を突いて頭を垂れ、王族の許しを得てようやく頭を上げることができるのだが、無縫は膝を突くことも頭を垂れることもなく楽な姿勢を取って玉座に座る王女と対峙している。
そんな無礼な態度を取る無縫に謁見の間の両脇を固める騎士達や玉座から少し離れた場所に控えている大臣が咎めるような視線を向けることはない。
例え、他国の要人であったとしても謁見の形を取るのであればその国の王族を立てるのが礼儀だが、無縫はあえて謙る姿勢を取らなかった。
決して無縫が謁見のマナーを理解していないという訳ではない。
この一見無礼に見える態度こそイシュメーア王国の王族と無縫が対等な存在であるというアピールに繋がることを理解した上で無縫は戦略的にマナー違反な態度を取っているのである。
「……お忙しい中、わざわざ時間を作ってくださりありがとうございます。王女殿下」
「お久しぶりですわ。……普段は全く王城に来てくださらないのにどういう風の吹き回しかしら?」
「まあ、基本的に王宮に用事がないですからね」
「あら? たまには顔を見に来てくれてもいいのよ? 王族として丁重におもてなしをさせてもらうわ。美味しい紅茶とお菓子でね。……それで、基本的に王宮に用事がない無縫様がわざわざ王宮にいらしたということはやっぱりあの件かしら?」
「ええっ、流石は聡明な王女殿下……って流石に分かりますか?」
「いっ、痛い!! 痛い痛い痛い! 痛いのじゃ!!」
古拙の笑みという名のポーカーフェイスを貫きつつ、左足で隣にいるヴィオレットの足をぐりぐりと踏み付ける。
あまりの痛さにヴィオレットは涙目になりながら絶叫したが、無縫は全く気にした様子もなくヴィオレットの足の上から左足を退けた。
「ええ、ご存知の通りこの莫迦のやらかしのせいで厄介なことが起きています。このままでは折角尽力して築き上げた人類と魔族の和平も粉々になってしまいそうですからね。……ミシャエリーナ王女殿下もこの状況に頭を悩ませているのではないでしょうか?」
「この問題は魔王国ネヴィロアスの問題でしょう? 私が動いても内政干渉と思われかねない。それを交戦論派に利用されると厄介だし困っていたのよ。それで、聡明な無縫様はどのようにお考えなのかしら?」
「……まあ、この事実を知らされたのも昨日今日の話でして、未だにこの莫迦共が引き起こした惨状を前に頭を悩ませている最中なのですが……とりあえず、ヴィオレットから国庫のお金を溶かしたカジノの場所と金額は聞き出したので、謁見が終わり次第取り返しに行くつもりです」
「それが妥当よね。……とはいえ、お金が戻っても信頼までは簡単に取り戻せないわ。信頼は積み上げるのは大変だけど崩れるのは一瞬のものよ。私が実質王位についているこの状況がそれを物語っているわ」
名目上、この国の王はミシャエリーナの父であり、ミシャエリーナの地位は第一王女に過ぎない。
しかし、この国を実質的に支配しているのはミシャエリーナだ。
イシュメーア王国は異世界人を見下す一部貴族達が原因で無縫との敵対寸前の状態になってしまったことがある。
暴走をしたのは一部貴族だが、イシュメーア王国の王族の大半はそれを黙認していた。彼ら自身も内心では召喚された異世界人など捨て駒に過ぎないと考えていたからだ。
ミシャエリーナの尽力もあって、無縫は矛を納めた。しかし、それでもイシュメーア王国の民を危険に晒したという事実だけは残ってしまった。
「あのままでは当然ながらイシュメーア王国は滅ぶことになっていたでしょう。お父様……いえ、国王陛下は無縫様と敵対する切っ掛けを作った貴族を黙認したことについてどのように責任を取るつもりでいらっしゃいますか? ……まさか、このまま為政者として君臨し続けるなどそのような恥ずかしい真似はされませんよね? それとも、まさか責任を取って王位を譲るのですか? 国の危機を目の当たりにしながらも己の保身のために姿を眩ませていた臆病者のお兄様――第一王子殿下に? おほほほ、面白いことを仰るのですわね。まあ、そういうことでしたら私は隠遁させて頂きますけど。勿論、無縫様にはイシュメーア王国を好きにして良いとお伝え致しますわね。……それに、民よりも保身を優先した王や王族を果たして誰が王として認めるのかしら? 貴族達は認めるかもしれないわね。でも……この世で一番恐ろしいのは数、民衆だと私は思いますわ。彼らが反乱を起こしてしまったら、この国はどうなるのかしらね? まあ、いざとなれば騎士団を派遣するだけでしょうけど……でも、それって同じ国の中で争っているだけですわよね? そのような暴力に身を任せた政治をして果たして国は国の形を保っていることができるものなのかしら?」
これまで「政治は男の領分、女は口を出すべきことではない。国の繁栄のために淑女としての役目を果たすことがお前の役割である」とミシャエリーナを政治から遠ざけ、発言力を奪ってきた王もこの時ばかりはミシャエリーナに反論することができなかった。
既に民衆は危険を顧みず無縫と交渉をして国を守ったミシャエリーナを英雄視していた。
民衆から高い支持率を誇るミシャエリーナをこれ以上冷遇し、ミシャエリーナが万一姿を眩ましてしまえばどうなるだろうか?
当然、国を危険に晒しながら玉座に居座る王族や権力を握り続ける貴族を民衆達は良しとしないだろう。そうすれば、国を倒すべく民衆達が革命に動き出す可能性が高い。
勿論、騎士団を使えば鎮圧させることもできるが、その結果として得られるのは低下した国力だけだ。それに、内乱に乗じて諸外国が戦争や内政干渉を仕掛けてくる可能性も十分に考えられる。
最早、王に選択肢など残されていなかった。
現在も王位にミシャエリーナの父がついているものの実際のところそれは名目上の話であり、政治の実権は全てミシャエリーナが握っていた。
そんな民衆の支持を集めて事実上の国の頂点に君臨するミシャエリーナは誰よりもよく知っている。信頼というものがどれほど重要なものなのかを。
それ故に、ミシャエリーナには完全に信用が失墜した状況から巻き返す方法など存在する筈がないと、そう考えていたのだが……。
◆ネタ等解説・八十八話
古拙の笑み
古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる表情。
紀元前六世紀の第二四半期に例が多い。
顔の感情表現を極力抑えながら口元だけは微笑みの形を伴っているのが特徴で、これは生命感と幸福感を演出するためのものと見られている。