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『Boulangerie et Pâtissière ミルフィーユ』の店長はクリフォート魔族王国随一のパティシエールでありベーカリーでありショコラティエでもあるようだ。

 最初こそ無縫とフィーネリアに敵意を向けていた魔族達だったが、二人がこの世界の住人ではないことと、魔族を害する意志がないことが分かると少しずつ敵意は薄れていった。


「……それで、ロードガオンとやら出身のフィーネリアさんにはこの世界を侵略する意志があったのか?」


「まあ、その可能性もあったわね。少なくとも、無縫君を敵に回すよりもこの世界の人間と魔族を敵に回す方がまだマシだから、大迷宮の地下都市の権利を移譲してもらえたことと、異世界アルマニオスの移住予定の星を譲ってもらえたことがなければ方針の一つになっていたわ。……生活できる場所を譲ってもらって共存共栄するのが理想だけど、なかなか難しいわよね。私達も理想を掲げていられるほど時間が残されている訳でもないし」


「……侵略活動をしなくてもいい条件が揃っていて本当に良かったぜ」


 ……といいつつ、主に宿の常連客である人狼の男がフィーネリアにした質問のせいで若干フィーネリアに対するヘイトが高まっていたりはしたが。


「しかし、なんで大日本皇国を選んだんだ? 他にも国はあったんだろ?」


「私達が侵略を仕掛けた時期にネガティブノイズによる大規模が起きていて、世界各地が壊滅状態に陥っていたのよ。そこで、未知の敵との敵対のリスクを回避したい私達はほとんど被害が無かった大日本皇国に標的を絞ったの。二つあったロードガオンの侵略部隊の戦力を大日本皇国に集中させたけど、私達は浅はかな決断をしたと理解するまでそう時間は掛からなかったわ」


「あの……それはどういうことなんでしょうか?」


 宿の受付でお金勘定をしながら興味深そうに話を聞いていたスノウの問いに、フィーネリアは小さく溜息を吐き――。


「……当たり前のことだけど、ネガディブノイズという世界を混乱に陥らせるほどの敵がいたのに、大日本皇国はほとんどダメージを負っていなかった。それは、つまりネガティブノイズに対抗できるだけの戦力が揃っていたってことなのよ。その筆頭格が無縫君、何度も敗走する羽目になったわ。命を奪われなかったのが不思議なくらいね」


「最初は危険な芽を摘んでおきたいと思っていましたが……とにかく逃げ足が早いんですよね。最初はそれでトドメを刺す前に逃げられていましたが、一度完全に出し抜かれたことがありまして、面白いし、あんまり実害にもならないし交渉もできない相手じゃないし、生かしておいてもいいかと思いまして」


「……ってことは、やっぱり強いのか? 無縫さんって」


「自殺志願者でなければ、まず敵対するべきではない相手ね。私達と戦っていた時も欠片も本気じゃ無かったことがこの世界に来てようやく分かったし、これから無縫君と戦う羽目になる魔王軍の皆様には本当に頭が下がるわ。職務だから致し方ないとはいえ……」


「フィーネリアさんってナチュラルに失礼なこと言うよね。俺は普通の人間だって。ちょっと運が良くて珈琲と賭け事が好きなだけの」


「……普通の人間じゃないことだけは確かだと思うけど」


「そういえば、幹部巡りに挑むんだってな。どの八人を倒すのかとか考えているのか? いや、まだ来たばかりだし情報がないんだったか?」


「とりあえず、十人全員と戦うつもりだけど……」


 無縫の言葉を聞いた瞬間、宿屋の空気が凍りついた。


「おいおい、やめとけやめとけ! アィーアツブス区画は……まあ、なんとかなるかもしれないが、キムラヌート区画は無理だ!」


「あーッ! おい、ギミードっ! 嫌な名前を出すんじゃねぇ! ああっ、思い出しちまうじゃねぇか!!!」


 人狼のギミードの横では、トラウマを思い出した純魔族のワナーリが頭を抱えて発狂している。

 他の客達も似た寄りったりの反応で、よっぽどキムラヌート区画の魔王軍幹部にいい思い出がないらしい。


「……全く、どうしたのかしら? 騒がしいわね」


 そのタイミングで買い出しに出ていた女将さんが帰ってきた。

 雪女の女将さんは客達が騒がしいことと何故か宿に二人の人間がいることに驚いたが、スノウから事情を聞くと納得したようだ。

 どうやら、かなり柔軟な思考ができる人物らしい。


「幹部巡りに関して事前情報は聞かない主義だって言っていたよな?」


「そのつもりはありません」


「だがなぁ……うん、あれはなぁ。ちなみに、芸術や古美術、美食といった方面の造詣は深いのか?」


「まあ、総理大臣――国家元首の護衛として各国を巡っている関係でどうしても各国の歴史や特産品などの情報は頭に入れておく必要がありますし、公務の一環で博物館や美術館を巡ることもあります。楽団の演奏や贅を凝らした料理、特産のお酒などを持て成しの席でご相伴に預かることもありますし、自分から積極的に知識は集めていませんが、人並み程度にはあると思いますよ。……本来は未成年ですのでお酒は飲んじゃダメなんですけどね」


「政府の役人と聞いていたが、まさか外交に同行しているとはなぁ! 驚いたぜ! うーん、ならいけるのかぁ? いけるかなぁ……とりあえず、一つ幹部巡りで十人目の魔王軍幹部にボロ負けして一度心を折られたことがある先輩からのアドバイスだ。十個の区画の特産品……ワインとか、食材とか、まあ、そういった情報を集めておくといいぜ。後は学問の街シェリダー区画には博物館があったな。それと、芸術の街カイツール区画では音楽も盛んだ。……まあ、そっちは話を聞く限りあんまり気にしなくも良さそうか」


「ケムダー区画は魔王軍幹部との挑戦自体がなかなか厳しいし、アィーアツブス区画との二択になることが多いが……全部、全部かぁ。何も知らないからこそ言える蛮勇だとしても凄いと思うぜ」


 よく分からない尊敬の眼差しを向けられ、反応に困る無縫だった。



 宿屋『鳩の止まり木亭』宿泊初日の夜は女将さんであるビアンカ・アグアニエベの美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、宿泊客達と楽しい夕餉を過ごした。

 魔王軍幹部や魔王軍四天王、魔王などのこれから無縫が戦う者達に関する話題はできるだけ避けながらクリフォート魔族王国やルーグラン王国の情報を提供してもらうことができた。かなりの収穫で無縫もホクホク顔である。


「……まあ、話を聞く限りここ百年は魔族側からの侵攻はなく、ひたすら人間側の侵攻に対処しているだけって感じだな。人間側は自分達が攻撃しているという情報を隠し、魔族の反撃を魔族による侵攻であると情報操作をしているってのが実情だろうな。人間側の被害も、その反撃に巻き込まれただけってのが真相だろう」


「つまり、半分以上自業自得ということね」


「まだ情報の精査は必要だ。それに、人間側の情報も擦り合わせていく必要もあるし、その辺りは協力者に期待することになりそうだが……そろそろ決めておいた方がいいかもしれないな。ルーグラン王国の処遇について」


「意外ね。もうどんな裁きを下すつもりか決めていると思っていたのに」


「王族や教会上層部は……まあ、敵対してきたら殺すってことでいいと思う。それよりも、連中にとって辛いことがあるんじゃないかと思ってな。自分の体を引き裂かれるよりも辛い目に遭わせなければ、釣り合いは取れない。命一つで集団拉致と戦争強要の罪が消えるなど生温いだろう?」


「……ちなみに、その方法って?」


「無論、連中の信仰する神を、支配者気取りの女神エーデルワイスを盤面に引っ張り出し、この手で殺す。自分達の信仰する存在が人間程度の存在に抹殺される程度の矮小な存在だと思い知らせる。これ以上の罰はないと思うんだけどなぁ。……まあ、結局エーデルワイスとは敵対することになるんだから、あんまり関係ないと言えば関係ないことなんだけど」


「確かに、何かを信仰する者にとっては自分の死以上に辛いことよね、自分の信じる存在が地に堕とされて殺されるなんて。……まあ、でも、それだけ残酷なことをされても文句を言えない所業をしているし、致し方ないのかしら?」


「まあ、いずれにしてもまずは幹部巡りだ。明日に備えて早く寝るとしよう」


「……それ、絶対にカフェインたっぷりの珈琲を飲みながら言う台詞じゃないと思うわ」


 そして、翌日。無縫とフィーネリアは宿屋『鳩の止まり木亭』を後にし、受付嬢から受け取ったメモにあった店へと向かった。


「『Boulangerie et Pâtissière 千枚の葉(ミルフィーユ)』……ここだな」


 その店とは、バチカル区画で最も人気を誇るバン屋と洋菓子店を兼ねるお店だった。

 店長であるメープル=ミルフィーユは魔国有数のパティシエールとベーカリー、ショコラティエの顔を持ち、バチカル区画以外からもリピーターの客が押し寄せるという。

 宿屋の客の狐人族の男曰く、「バチカル区画の九十パーセント以上が必ず朝食に『Boulangerie et Pâtissière 千枚の葉(ミルフィーユ)』のパンを食べるという統計結果がある」というくらいにはバチカル区画、否、クリフォート魔族王国の食卓に浸透しており、特別な日に食べるケーキなども『Boulangerie et Pâtissière 千枚の葉(ミルフィーユ)』に注文することが王道とされているとかなんとか。


 そのメープルこそが、魔王軍幹部の一人でバチカル区画の領主――つまり、無縫がこれから挑む相手ということになる。


「あららぁ? 珍しいお客さんねぇ。パンをお求めかしらぁ? それとも、お菓子かしらぁ? 初めましてぇ、『Boulangerie et Pâtissière 千枚の葉(ミルフィーユ)』店長のメープルですぅ」


 賑わいを見せる店内を扉越しに見ていると、扉が開いて中から白いコックコートを着た女性が出てきた。

 ほんの少しふくよかで、どことなくおっとりとした雰囲気のエメラルドを彷彿とさせる碧眼を持つどこにでもいそうな女性だ。人間に紛れても彼女が魔族だと気づく者はいないだろう。……下半身に視線を向けなければ。


 茶色のスカートから伸びるのは、大蛇の尻尾だ。つまり、彼女は蛇足族(ラミア)ということになる。


「シトラス宰相閣下の紹介で『頂点への挑戦(サタン・カップ)』に挑戦することになりました庚澤無縫と申します」


「ってぇ、そうでしたぁ! うっかり忘れていましたぁ! そうですよねぇ、挑戦者さんですよねぇ! お話は聞いていたのですがぁ、お仕事忙しくて忘れていましたぁ。改めましてぇ、このバチカルを守る魔王軍幹部をさせてもらっていますぅ、メープル=ミルフィーユと申しますぅ。早速ですがぁ、私の甘ーぃチャレンジ、初めてもいいでしょうかぁ?」

◆ネタ等解説・七十七話

人狼

 狼の獣人を指す言葉であり、最も有名な獣人に挙げられることも。

 大抵、狼の頭と獣の後ろ足を持ち、二本足で直立し、全身が体毛に覆われた姿で描かれる。

 伝承では普段は人間の姿をしており、満月の夜に正体を現す事が多い。

 J・K・ローリングが創造した魔法の世界『ウィザーディング・ワールド』の登場、リーマス・ルーピンなどが例として挙げられるか? また、会話と推理を中心にしたアメリカ発祥のパーティーゲーム『人狼ゲーム』の村人の敵としても有名か。

 本作においては、狼人間の姿をした魔族を指す名前の一つとして挙げられる。しかし、必ず全ての異世界で人狼という種族が存在する訳ではなく、類似種族として狼人間(ワーウルフ)や狼人族なども存在する。また、人狼が魔族ではなく獣人族に区分されることもあり、他の動物系の種族と同様、その扱いは一定とは言い難い(純魔族や人間といったほとんど立ち位置が固定されている種族とは異なる。エルフやドワーフは亜人種に含まれる場合もあれば、善の種族として亜人種と分けられる場合もある他、魔族に区分される場合もあるため立場は一定ではないが、そんな彼ら彼女ら以上に不安定な立場の種族と言える)。

 クリフォート魔族王国には狼人間(ワーウルフ)と人狼のに種類が存在し、人狼は半狼半人で人間の要素が強めで人間に変身する能力を持つ、狼人間(ワーウルフ)は狼要素が強めで人間に変身できないという明確な違いが存在する。


Boulangerie et Pâtissière

 フランス語。職人自らが小麦を選び、粉をこね、焼いたパンをその場で売るお店のことを指すBoulangerieと菓子を作って販売する場所、つまり菓子店を意味するPâtissièreを合わせた店名。

 つまり、パン屋兼洋菓子店ということ。


千枚の葉(ミルフィーユ)

 フランス語。milleは1,000、feuilleは葉っぱを意味する。

 転じて、生地を何層も重ねて作る洋菓子のこと。

 ちなみに、店名は店長であるメープル=ミルフィーユの姓、ミルフィーユから取られている。しかし、随分と美味しそうな名前だなぁ、おい。


蛇足族(ラミア)

 古代ギリシアの民間伝承で,子供を攫っていく女怪のこと。

 ギリシア神話に登場する古代リビュアの女性で、ゼウスと通じたためにヘーラーによって子供を失い、その苦悩のあまり他人の子を殺す女怪と化したとされる。

 本作においては魔族の一種として登場。蛇の下半身を持つ。男性もいるが、女性が圧倒的多数を占めるとかなんとか。


◆キャラクタープロフィール

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・ビアンカ・アグアニエベ

性別、女。

年齢、三十九歳。

種族、雪女(魔族)。

誕生日、二月三日。

血液型、A型Rh+。

出生地、クリフォート魔族王国バチカル区画。

一人称、私。

好きなもの、宿屋の仕事。

嫌いなもの、部屋を汚す客。

座右の銘、温かいおもてなし。

尊敬する人、特に無し。

嫌いな人、特に無し。

好きな言葉、特に無し。

嫌いな言葉、特に無し。

職業、宿屋『鳩の止まり木亭』女将。

主格因子、無し。


「宿屋『鳩の止まり木亭』の女将。夫を若くして亡くし、現在は娘のスノウと二人で宿を切り盛りしている。美人故に妻にしたいと狙われたり告白されたりといった経験も豊富だが、全て返り討ちにしてきている。娘を宿の仕事に縛り付けてしまっていることに内心申し訳なさを感じているようだ」

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