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――それは、奴隷無き無法都市への小さな第一歩となった。

 瑠璃とフィーネリアが泊まるホテル『LUXURY DAYS』の208号室に『黄金の塔(トーレ・ド・オーロ)』から連絡が届いたのは、オスカーとベアトリンクスとの交渉の日の五日後だった。

 その間、無縫は何もしていなかった訳ではない。


 奴隷を解放して、「さあ、今日から自由ですよ」と放り出す訳にはいかない。元奴隷達がかつての生活を取り戻すか、再出発ができるようになるまで援助して初めて奴隷の解放が完了することになる。

 これから大量に受け入れることになる元奴隷達に暫しの間衣食住を提供する準備を整える必要があった。


 無縫は様々な異世界を旅した経験がある。

 その旅で得た王族や貴族の伝手を借りるといった方法やいくつかの異世界の宿屋の部屋を借りるといった方法もあったが、無縫は複数の異世界間の文化の違いなどから生じるトラブルへの危惧や王侯貴族に要らぬ借りを作りたくないと考えて早々に他の異世界に元奴隷達を連れていくという考えを放棄した。

 その代わりに選んだのが、地球に連れていくという方法だ。


 羽林家陽夏樹(ひなつき)子爵家――橘宿禰、後に橘朝臣と呼ばれる皇別氏族から分流し、明治時代には華族への移行に伴い子爵の爵位を与えられた名門貴族家の現当主である陽夏樹(ひなつき)枸櫞(くえん)の長男、陽夏樹伊予(いよ)は優秀な姉、陽夏樹(あかり)と比較されて育った。

 決して姉弟の仲が悪かった訳ではない。寧ろ燈は常に伊予のことを気にかけ、二人は良好な関係を築いていた。


 しかし、社交界の華と称され、皇族との縁談が持ち上がるほどの姉と社交界に馴染めない自分。

 姉に庇護されてようやく半人前であることは伊予にとってコンプレックスだった。


 そんな伊予にとっての転機は大学時代に訪れることになる。

 その頃は空前の起業ブーム。周りの大学生達が続々とその流れに乗って起業する中、大学の友人の勧めで起業することにした伊予は試行錯誤の末に新たなソーシャル・ネットワーキング・サービス「SUNRISE TALK」を発表。

 使い勝手のいいSNS 「SUNRISE TALK」は忽ち若者の人気を得て爆発的に使われるようになった。


 この起業経験で自身の中に眠っていた経営者としての才能を自覚した伊予は「SUNRISE TALK」で得た収益を元手に不動産業界に進出しここでも成功を収めた。その後はホテル事業にも進出して現在は大日本皇国最大のホテルグループと言われる「シトロンホテル株式会社」を創設。

 現在、伊予は「シトロンホーム株式会社」、「シトロンホテル株式会社」、「シトロン・サンライズ株式会社」を子会社として持つ「シトロンホールディングス」の社長として辣腕を振るっている。

 そんな伊予にとって無縫は恩人と呼ぶべき存在であった。


 伊予が陽夏樹家に帰省していた正月、たまたま陽夏樹邸の周辺でネガティブノイズの大規模侵攻が発生した。

 命の危機に陥った陽夏樹一家、そんな彼らを救ったのがネガティブノイズ出現の報を受けて内務省の一員として駆けつけた魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスだったのだ。


 大切な姉を、家族を救ってくれた無縫に伊予は恩を感じ、必ず無縫が望む時に力になると約束をした。

 最初は内務省の一員として当然のことをしただけだと、一度は伊予の提案を断った無縫だが、ある異世界でヴィオレットとシルフィアに懇願されて奴隷の解放のために奴隷商達を蹂躙と呼ぶべき一方的な戦闘の末に滅ぼして奴隷達の解放に成功すると、無縫は彼らへと対処に困った。

 流石にこのまま放り出す訳にはいかないと思った無縫は彼らが暮らしていけるだけの生活費をギャンブルで稼ぎつつ、可能な限り奴隷達を元の生活環境に戻してあげるべく情報の収集に努めた。その間、当然必要になるのが今回と同様に元奴隷達が当面の間、衣食住を得られる環境の用意である。


 伊予の存在を思い出した無縫は事情を説明して、協力を依頼。

 無縫は当然、人数分の部屋の代金を払おうとしたが、伊予はその提案を固辞。

 無縫への感謝と、「傷ついた元奴隷達の心の傷を少しでも癒すことができる環境を提供したい」という彼の善意からホテルの部屋を全室無料で提供してもらえることになったのである。


 過去に元奴隷達に対応したことで実績があるシトロンホテルを頼る選択は無縫にとってハードルが低く、方針を固めるまであまり時間は掛からなかった。

 具体的に必要な部屋数が分からない状態だったが、あらかじめ事情を伝えるべきであると考えた無縫はフィーネリアを異世界ジェッソに残して地球へ帰還。伊予に協力を依頼した。


 そして、伊予との白熱した協議の末に(伊予側は自身が全額出すと言う一方、無縫側は今回は流石にそこまで頼れないと全額支払いを提案し、両者の意見が対立。結果として伊予の妻で秘書室長の陽夏樹八重(やえ)の提案で両者が半額ずつ出すこととなった) 無縫はシトロンホテルの力を借りられることとなったのである。


 満を持して迎えた奴隷引渡しの日、無縫は瑠璃の姿でフィーネリアと共に手紙で指定された無法都市の入り口に程近い酒場へと足を運んだ。

 開店前の酒場で待っていたのは、ベアトリンクスと目の下に隈を作ったオスカーだった。他には数十名の奴隷と思われる男女の姿もある。


「待っていたよ……奴隷商達との交渉が長引いてね。彼らの仕事を奪うような話だ……普通に奴隷達を購入する以上の金額をふっかけられた大変だったよ。……幹部達が暴力に訴えて奴隷商達を黙らせようとした時にはどうなるかと思った。血が流れずに本当に良かった」


「それはご迷惑お掛けしました」


「……まあ、君が稼いだ額を支払えない代わりにという話だからね。奴隷達には事情を説明してある。それと、君が希望していた奴隷達の出身地に関する情報もベアトリンクスさんが集めてくれたようだよ」


「私にはこれくらいしかできのうござりんしたわ。改めて、本当は私達がするべき仕事を押し付けちまって本当に申し訳のうござりんしたわ」


「ベアトリンクスさん、ありがとうございます。お互い様ですよ……俺だってフィーネリアさんに頼まれなければ選ばなかった道です。お礼ならフィーネリアさんに言ってあげてください」


「私は大変さも考えずに無茶なことを頼んだだけよ。結局私は言うだけで何もできなかった……本当に申し訳なく思っているわ」


「お二人のおかげということで良いと思いんす」


「ああ、そうでした。ベアトリンクスさんにお渡しするものがあったんでした。こちらを」


 そういって瑠璃が時空の門穴ウルトラ・ワープゲートから取り出したのは指輪ケースだった。


「あら? プロポーズでありんすか?」


「ん? この中身は指輪型のデバイスです。魔力と陰陽術で姿を偽装できます。ベアトリンクスさん、魔族の姿で随分とご苦労されているようですから、差し出がましいとは思いつつ作ってきました。こういうのは得意ですので」


「貴方様は本当に……お言葉に甘えて頂戴しんす」


 ベアトリンクスは早速指輪を嵌める。すると、ベアトリンクスの身体から九尾狐であることを示す要素が消えた。


「指輪を嵌めて思い浮かべれば、全く異なった姿にも変身できます。長時間の使用にも耐えられることを確認していますから、安心してご使用ください」


 その後、瑠璃とフィーネリアはオスカーと人間の姿になったベアトリンクスと共に無法都市中の奴隷商を巡った。

 奴隷商から奴隷を引き受けては、奴隷を強制的に服従させる隷従の首輪を外し、ホテルの一室へと連れていく――その繰り返し。


 全ての奴隷商を巡って全ての奴隷をホテルまで移送するまで要した時間は三日だった。

 そして四日後――瑠璃とフィーネリアの姿はホテル待機ではなく無縫達に同行することを決めた二人の元奴隷と共に無法都市の門の外にあった。

 【666號(ザ・ビースト)】を時空の門穴ウルトラ・ワープゲートの奥から引っ張り出し、さあ、出発というタイミングで門の方から二つの人影がやってくる。


「オスカーさん、ベアトリンクスさん、わざわざ見送りに来なくても良かったのに」


「……流石にそういう訳にはいかないな。『黄金の塔(トーレ・ド・オーロ)』のボスとして、この街の顔役の一人として、これから大きなことを成そうとする君を見送るのは重要な役目だ。『黄金の塔(トーレ・ド・オーロ)』のボスとして、この街から奴隷という概念を一掃する。君との約束、必ず叶えると誓おう」


「これから貴方様達には幾多の大変なことが待ち受けているでありんしょう。……魔族の大半は人間を憎んでいると思いんす。どうかお気をつけて、達者で」


「ベアトリンクスさんも、オスカーさんもお元気で。オスカーさん、この世界でのやることが終わって落ち着いたら、また遊びに来ますね。その時はどうぞよろしくお願いします」


「――ッ!? って、また遊びに来るつもりなんですか!? 流石にやめてください!! 破産しちゃいますって!!」


 オスカーの絶叫が(こだま)する中、【666號(ザ・ビースト)】は走り出す。

 そして、世界各地を巡り元奴隷達を届ける無縫とフィーネリアの新たな旅が始まった。

◆ネタ等解説・六十話

橘氏

 日本の氏族の一つ。(カバネ)は宿禰、後に朝臣。

 飛鳥時代末期に県犬養三千代(橘三千代)および葛城王(橘諸兄)佐為王(橘佐為)を祖として興った皇別氏族。


羽林家陽夏樹(ひなつき)子爵家

 初出は『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』で、同作に登場する皇別系の橘氏の庶家。羽林家であるという設定は本作が初出となるが、『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』でも同様である。

 当主の陽夏樹枸櫞は『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』では友人となった、後に首都警察の捜査一課長にまで上り詰める松蔭寺(しょういんじ)辰臣(たつおみ)と意気投合し、「推理倶楽部 Bengal」を主宰したが、瀬島一派に数えられる暗殺者、田村(たむら)(いさお)の手によって暗殺されている。本作中では存命で、辰臣と出会っていないなど相違点がある。

 長女の陽夏樹燈は『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』においては暗殺事件後に身の危険を感じて執事の石澤(いしざわ)忠教(ただのり)と共に身を隠し、百合薗グループと合流した。その後、百合薗グループの幹部となり、メイド統括として職務に励んでいる。本作中では事件が起きなかったため、百合薗グループと関わることもなく社交界の華と呼ばれるほど美しく清楚な令嬢へと成長。皇族との縁談が持ち上がっている。

 百合薗グループとの関係がないため、同僚の斎羽(さいば)勇人(ゆうと)とも出会っていない。

 伊予(いよ)に関してはそもそも『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』の世界では生まれておらず、本作が初出となっている。

 枸櫞と伊予の名前はそれぞれ柑橘類から。また、陽夏樹という苗字は伊藤いづも氏の漫画『まちカドまぞく』の登場人物、陽夏木ミカンの苗字から着想を得ている(陽夏木と陽夏樹で文字は異なる)。

 また、羽林家等の家格の設定は三島由紀夫の『豊饒の海』を読んでから付けるようになった。また、本作の陽夏樹燈の設定は同書第一巻『春の海』に登場する綾倉聡子から着想を得ている部分が多分にある。

 一方、伊予の経歴はハーバード大学在学中にマーク・ザッカーバーグ氏とエドゥアルド・サベリン氏が起業した『Facebook』や元谷外志雄一族が株式を保有するアパグループなどから着想を得ている。

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