表向きはゲーム業界や出版業界、アニメ業界などに顔が効く経済界の重鎮。裏の顔は大日本皇国の最大の闇。その男の娘の名は――。
左手で受話器を持って無縫から事情を聞きつつ凍子は器用に右手でパソコンを起動する。
調べ始めたのは、院内のデータベース――より正確に言えば現在の病室の空き情報だ。
凍子の頭の中に院内の病室の使用状況は粗方入っているため結果は分かり切っているのだが、一つでも空きが作れないかと一縷の望みをかけてキーボードを叩く。……だが。
「事情は分かったわ。……異世界のマフィアの手によって慰み者にされた女性達を経過観察するための場所、つまり病室と人員の手配を頼みたいということね」
『記憶抽出や薬物を体内から除去するといった物理的な処置はこちらで行います。精神と肉体、両面でできる限りの処置は施すつもりですが……肉体に深く刻まれてしまった傷や魂の奥深くまで入ってしまった傷は取り除くことはなかなかできません。中にはかなり精神がダメージを受けて廃人と形容する以外に方法がない酷い有様の方もいますが、ある程度平常な状態に近づけることはできると考えています』
「……本当に凄いわよね。その技術がもっと広まれば救われる人は大勢いるわ。……まあ、いずれも異世界で得られた貴重な技術なのでしょう? 無縫君という一人の人間に頼り切るのはあまり良い考えだとは思わないし、汎用的な医療技術に昇華させることができたらいいわね。……それで、肝心の病室に関してなのだけど……とても言いにくいのだけど、部屋を手配するのは難しそうだわ。先日の大規模侵攻の影響がまだ残っていて、退院できていない患者が多いのよ。自衛軍中央病院以外の地方の病院も確認してみたのだけど、期待に応えられるだけの病室の用意は厳しそうね。他の病院からの回答は既に聞いているかしら?」
『科学厚生省管轄の国立高度医療センターと防衛医科大学校病院には既に連絡を入れましたが、国立高度医療センターの総長からも防衛医科大学校病院の病院長からも満足いく回答が得られませんでした。……やはり、大規模侵攻の影響でどこも病床は満員のようで。一応電話をさせて頂きましたが、ダメ元だったので気にしないでください』
「力になれなくて申し訳ないわね。……それで断った私が言うことではないと思うのだけど、アテはあるのかしら?」
『えぇ……個人的にあまり頼りたくないし、貸し作りたくない相手ですが、一箇所だけ心当たりがあります』
電話口からでも分かる不快そうな感情が篭った声に、凍子は申し訳なさを感じつつ電話を切った。
◆
「……残念ながら、三箇所目も空振りだった」
ブラックナイトファミリーの本拠地、ボスの間にて――無縫は通話を切ってスマートフォンを懐にしまった。
既にディアボロスに囚われていた女性達へのスキルを利用した簡易的な診察は済ませており、全員の状態は確認済みだ。
大半が心的外傷後ストレス障害、PTSDを発症しており、現代の医療技術ではかなりの時間が掛かり、更に患者自身への負担も大きい。
一方、無縫が有する異世界の技術を使えばPTSDの原因となる記憶そのものを消し去り、不安を取り除くことができる。
もう一つ厄介な女性達に使われた薬物も完全に体内から除去する方法を無縫は有している。この方法であれば百パーセント体内から薬物を取り除くことが可能だ。
だが、それだけで治療は完結しない。
例え外傷を消し去っても、薬物を抜き去っても、ディアボロスの手によって身体に本能の如く刻み込まれたものはどうしても残ってしまう。例え記憶を消し去っても、そういった感覚はなかなか消えてくれないものであることを無縫は過去の経験から知っていた。
更に薬物のせいでおかしくなった脳内報酬系――快感中枢も正常な状態に戻すのは厳しい。
そして、何よりも厄介なのが魂の奥底まで付けられた傷だ。人の根源たる魂、そこに刻まれた傷というものは、それこそ魂に干渉する力がない限りは修復できない。自然治癒にも頼れない極めて厄介な症状だ。
ただ治療をすれば解決するという訳ではない都合上、治療後の経過を観察する機関と人材が必要となる。
清潔な病室、心得のある医師や看護師……しかし、人数が多いため受け入れ先を見つけるのも一苦労だ。
「ねぇ、無縫君。東帝大学附属病院や西京大学附属病院はどうかしら?」
東京帝国大学――通称、東帝大学と西京帝国大学――通称、西京大学。
国立大学の中でもツートップの大学の医学部に附属する国内トップクラスの病院の名前を口にするフィーネリアに、無縫を首を横に振る。
「あの二つは医学の名門だけど、伝手がない。それに、国立高度医療センターと防衛医科大学校病院、自衛軍病院のトップは異世界などに関する情報を有しているけど、基本的にはトップクラスの秘匿情報だ。東京帝国大学と西京帝国大学は当然その情報を知り得ない。超えるべきハードルが多過ぎて、あの二つを含めて他の病院には頼れない状況だよ」
「……でも、電話でアテはあるって言っていたわよね? そうなると、国家関連の医療組織となるけど、そんなところあったかしら?」
「いや? 頼るのは民間だよ?」
再びスマートフォンを取り出し、徐に番号を入力し始める無縫に、フィーネリアは首を傾げる。
「……えっと、流石におかしくないかしら? だってさっき言ったわよね? トップクラスの秘匿情報を伝えるハードルが高い点が問題だって。それに、仮に伝えたところで実際に入院できるかどうかはまた別のお話。そこで、なんで民間の医療機関を頼るってことになるのよ」
「フィーネリアさん、要するに事情説明がネックになるなら事情を知っている民間の医療機関の力を借りればいいんだよ」
「……理屈上はそうでしょうけど、そんな医療機関なんて存在するの? 異世界に関する情報はトップクラスの極秘事項じゃない。それこそ、ロードカオンの実態やネガティブノイズの正体、地底人達に関する情報並みの」
「まあ、でも世の中にはいるんだよ。そういう極秘事項すら独自に入手できる奴らが。……今から頼るのは、大日本皇国という国に潜む闇だ。暗黒世界の投資令嬢なんて異名で知られる奴らは、国内の犯罪組織ですら迂闊に手を出すことはできない。実際に、連中と敵対して壊滅している犯罪組織の数は数え切れないくらいだ。悪名高き司法省すら保身のために捕まえることを放棄した。日本皇国政府も知らぬ存ぜぬを決め込んでいるし、かくいう俺もお関わりになりたくない。貸しを作るなんて真っ平御免だ。……奴らとの取引を避けるためなら百兆円くらい安いものだよ」
「いくら無縫君でも百兆円は安くないお金よね……本当に申し訳ないわ。私が助けたいなんて無責任なことを言い出さなければこんなことには」
「まあ、フィーネリアさんの言葉に同意したのは俺だからね。だけど、これだけは覚えておいて欲しい。生臭い話だけど人を助けるにはお金が必要だし、ツテも必要となる。善意の心だけでできる話じゃない。……気持ちはよく分かるけどね」
◆
フィーネリアに精神安定を狙って魔法で眠らせた女性達を経過観察に向かわせた後、無縫は溜息を吐いて通話ボタンを押した。
『こちらは私立白百合大学医学部附属病院の総合受付です』
「お世話になっております。私立白百合大学学長の門無平和氏とお話ししたいことがありまして、面会のご予約をお願いしたいのですが」
『……門無病院長との面会ですか? 失礼ながら、紹介状等はお持ちですか?』
「いえ……ただ、『内務省の庚澤が面会を希望している』とお伝えすれば応じて頂けると思います」
『……では、その旨を病院長の方にお伝え致します。私の方では確認が取れませんので、許可が出ましたら何らかの形でご連絡差し上げます。お電話番号をお伝え頂けないでしょうか?』
無縫が電話番号を伝えると、電話担当者は電話を切った。
恐らく、イタズラ電話か、あるいは礼儀を弁えていない者の電話だと判断されたのだろう。
私立白百合大学医学部附属病院も実績のある大病院だ。基本的に紹介状無しでは往診してもらえないか、特別料金が発生する。
その後、無縫はフィーネリアと共に女性達の容態を見て回っていたのだが……二十分後、無縫のスマートフォンに一件の通知が入ったことを無縫が確認すると、フィーネリアにその場を任せてメールに返信をしてから時空の門穴を開く。
「……気が重いなぁ」
無縫は小さく伸びをしてから、緊張の面持ちで時空の門穴を潜った。
◆
東京都新宿区歌舞伎町――飲食店・遊技施設・映画館などが集中する日本最大の歓楽街である。
「夜の街」や「眠らない街」と呼ばれるこの街の真骨頂はやはり夜だ。……しかし、無縫がこの地を訪れたのは真昼。まだほとんど店も空いていない状態である。
目指す場所は歌舞伎町ナンバーワンのナイトクラブとして名を馳せる『月光乱舞』。
源氏名『胡蝶』の名で通っている美空華菜というホステスがナンバーワンホステスとして活躍してあるお店である。ちなみに、華菜は百合派学会と呼ばれるGLの研究と発展に尽力する学会において、有名な文学研究者や作家などを差し置いて副理事を務めるだけのGL愛を持つ女性として知られている。
ナイトクラブ特有の裏ではギスギスしているといったこともなく、華菜の心配りもあって歌舞伎町で最も働きやすいナイトクラブとして夜の蝶達にも知られているようだ。
「……店は開店前。さて、どうしたものか?」
「普通に入れば良いんじゃないかな? 約束の時間と場所通りなんだし」
背後から掛けられた声に、無縫は一瞬だけビクッと震える。決して気配に気づかなかったから……などではない。
その可憐な少女のような声が耳朶を打った時、無縫の心臓がドクンと跳ねた。
その声で恋に落ちたとか……そういう甘酸っぱい話ではない。無縫がその時感じたのは、恐怖や嫌悪感といった、そういう類の感情であった。
まるで心臓を鷲掴みにされているような嫌悪感を抱きつつ、無縫は振り返る。
やっぱり、何度会っても慣れないなぁ……と感じつつ、無縫は平常心を装って視線を向ける。
姫カットに整えられた腰まで届く艶やかな濡れ羽色の黒髪。白磁のような白肌。黒々とした瞳。小さく形の良い鼻。可愛らしい唇。
まるで人形のような可憐な容姿に相応しい薄桃色を基調とした甘ロリに袖を通し、同系色のヘッドセットを身につけ、足には可愛らしい桃色の靴。
上から下まで完璧に決めたその姿を見て、その性別が男であるとは誰も思わないだろう。
この大日本皇国で確実に三本の指に入る可憐な容姿を持つ男の娘こそ百合薗圓。
表向きはアスセーナ社の筆頭株主兼会長、ゲーム業界や出版業界、アニメ業界などに顔が効く経済界の重鎮。
その裏の顔こそ、暗黒世界の投資令嬢の異名で知られる大日本皇国の最大の闇だ。
「門無平和……いや、化野さんなら中にいるよ。詳しい事情は聞かされていないから、ボクにも是非話してもらいたいものだねぇ」
粘つくような特徴的な口調が、無縫の耳の中で幾度となくリフレインする。
◆ネタ等解説・五十四話
科学厚生省
旧内務系の厚生省と新設された科学省が合併して誕生した作中の行政機関。詳細は同ページの「行政組織図」を参照。
現実世界では厚生労働省と文部科学省に当たる(一部のみ)。
国立高度医療センター
現実世界で言うところの国立高度専門医療研究センター。
組織の構造的には二〇一二年からテレビ朝日系「木曜ドラマ」枠で放送されている『Doctor-X 外科医・大門未知子』の第三期に登場した国立高度医療センターに近く、元ネタも同作品の国立高度医療センターである。
PTSD
別名は心的外傷後ストレス障害。
東京帝国大学
略称は東帝大学。現実世界で言うところの東京大学である。
略称の元ネタは『Doctor-X 外科医・大門未知子』に登場する東帝大学そのまんま。
西京帝国大学
略称は西京大学。現実世界で言うところの京都大学である。
名称の元ネタは『Doctor-X 外科医・大門未知子』に登場する西京大学そのまんま。
門無平和
初出は『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』で、同作の主人公陣営に属するマッドサイエンティスト。本名は化野學。
別世界における彼の活躍は語ると長くなるので、本編を読んで頂きたい。
本作時空は、初出の物語の舞台である虚像の地球とも、初出の世界のパラレルワールドとも違う世界であるが、やっていることは大凡同じ。
表向きは百合薗圓が理事長を務める私立白百合大学の学長及び私立白百合大学医学部附属病院病院の病院長を務めており、その裏では人体実験などに手を染めている模様。この世界でもかなりのイケメンで女性に好かれやすいが女性運は相変わらず皆無であり、よく寝取られる。そして、寝取られた女性と寝とった相手の男を薬物等の人体実験の材料にするまでがセット。また、裏では核実験なども独自に進めており、反物質爆弾の製造にも成功している。ぶっちゃけ、作中でも上位クラスの危険人物。
余談だが、偽名である門無平和は、「門のところに平和はない」――つまり、ナイアーラソテップ、ナイアルラトホテップ、ナイアーラトテップ、ニャルラトホテプ、ニャルラトテップなどの様々な名称で知られる外なる神Nyarlathotepを指す。ちなみに、Nyarlathotepは二十世紀にハワード・フィリップス・ラヴクラフトなどが中心となってアメリカで創作された架空の神話『クトゥルフ神話』に登場する架空の神性である。
その偽名が示す通り、化野學の正体はかつて別世界(異世界カオス)に存在していたNyarlathotepの化身【這い寄る混沌】の転生体に当たる。より、厳密にはNyarlathotepの化身【這い寄る混沌】の転生体である化野學(『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』時空)が、天寿を全うした後に転生した存在ということになり、『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』における化野學と本作時空の化野學の存在は陸続きとなっている。
美空華菜
初出は『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』。別世界における彼女の活躍は語ると長くなるので、本編を読んで頂きたい。
本作時空でも、圓が出資する東京都新宿区歌舞伎町ナンバーワンのナイトクラブとして知られる『月光乱舞』でナンバーワンホステスとして名を馳せている。源氏名も虚像の地球と同様に『胡蝶』。
百合派の急先鋒であり、百合派学会で副理事を務めているのも同様である。
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◆行政組織図
・内閣
内閣官房
内閣法制局
人事院
内閣府
宮内庁
神祇省(伊勢神宮派と出雲大社派を国家神道の中心に据えている。神祇の祭祀と行政を掌る)
金融庁
消費者庁
災害対策復興庁
内務省
公害等調整委員会
消防庁
国土交通省(旧内務省系)
観光庁
運輸安全委員会
海上保安庁
科学厚生省(旧内務系の厚生省と新設された科学省が合併)
気象庁
スポーツ振興庁
外務省
出入国在留管理局
財務省
国税局
文部省
文化庁
労働省
農林水産省
林野庁
水産庁
経済産業省
特許庁
中小企業庁
環境庁
原子力技術委員会
防衛省
自衛陸軍
自衛海軍
自衛空軍
防衛装備庁
◇内務省
大臣官房
行政管理局
行政評価局
異界特異能力特務課(表向きは存在しないことになっている、内務省直轄)
自治行政局
自治行政局
自治財政局
自治税務局
国際戦略局
情報流通行政局
総合通信基盤局
統計局
政策統括官
サイバーセキュリティ統括官
◆立法
・皇国議会(三院制)
衆議院
参議院
貴族院
◆司法
・司法庁
裁判所
検事局
警察庁(旧内務省系、司法庁に統合される形で合併)
国家公安捜査局
◆外部機関
・鬼斬機関(旧鬼部)
・陰陽連(旧陰陽寮)
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◆キャラクタープロフィール
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・美空華菜(並行世界/大日本皇国)
性別、女。
年齢、三十六歳。
誕生日、九月五日(『百合好き悪役令嬢の異世界激闘記』の化野學と同じ)。
血液型、O型Rh+。
出生地、東京都。
一人称、私。
好きなもの、美女、美少女、百合文芸。
嫌いなもの、百合に挟まる男。
座右の銘、百合が彩る世界。
尊敬する人、特に無し。
嫌いな人、特に無し。
好きな言葉、特に無し。
嫌いな言葉、特に無し。
職業、ホステス。
主格因子、無し。
「歌舞伎町ナンバーワンのナイトクラブとして名を馳せる『月光乱舞』でホステスをしている女性。源氏名は胡蝶。ナンバーワンに輝くほどの話術や美貌を持つ女性だが、実は百合好きであり美人のホステス目当てで働いている節がある。男嫌い……とまでは言わないものの苦手で、普段はおっさん相手に商売をしているせいでやさぐれている。不思議な引力、影響力のようなものがあり、美空が入ってすぐの頃はギスギスした職場だったが、美空がホステスを始めるようになってからはホステス同士の仲も少しずつ良くなり、中には百合に目覚めた人もいたという。百合派学会の副理事を務めている」
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