――かくして、寒々しい公房でただひたすら武器と向き合い続けてきた少女は親友との時間という温かな幸せを手にしたのだった。
魔王城の一角にある【満月食堂】は、主に魔王城職員向けた食堂でありながら、一般にも開放されており、職員以外の地域住民や魔都への旅行者や仕事のためにやってきたビジネスマンも食べに来る食堂となっている。
『大衆食堂 食道楽』の店主フローリアなど名だたる料理人を弟子に持つ緋月が店主を務める【満月食堂】はクリフォート魔族王国屈指の名店としてその名を知られており、特に看板メニューである麻婆豆腐は売り切れ必至の品となっている。
さて、【満月食堂】にやってきた無縫、リリィシア、シトラスの三人は長蛇となっている食堂の列に並んでいた。
今はお昼時のため、【満月食堂】は最も混雑している時間帯である。
例え宰相であっても魔王であっても特別扱いはなく平等に列に並ぶことが【満月食堂】のルールだ。
特別に用意された席などもなく、混雑時には席が空くまで待たざるを得ないこともある。
幸い、【満月食堂】の席数は大人数の客を想定して膨大な数用意されており、最近はそれでも足りないことや「外の景色を見ながら食べたい」という要望を叶えるためにウッドデッキスペースなどを設けて席数を増やしているため、三人が座れないということには流石にならないだろう。
「――ッ! 庚澤無縫! 残念だったな! 麻婆豆腐は売り切れたぞ!!」
無縫達が列で待っていると、食事を終えたばかりのヴィトニルが空になった丼を無縫の方へと掲げて勝ち誇った笑みを浮かべた。
『大衆食堂 食道楽』での借りを返したと言わんばかりだ。
無縫は折角【満月食堂】に来たのだから美味しいという噂の麻婆豆腐を食べたいとは思っていた……が、実はヴィトニルほど麻婆豆腐に固執している訳ではない。
「……シトラスさん、おすすめの料理って何がありますか?」
「そうですね。久しく利用していませんが、私はカルボナーラが好きですね。美味しいのもそうですが、手っ取り早くカロリーが取れるので重宝しています。普段は開発した軍用レーションにも組み込んでいるイモのパンのようなものをよく食べています。手早く食べられてカロリーを取れるのは最高です」
「同意ですね。俺も面倒な時は軍用に開発されたゼリー飲料でお茶を濁していました。最近はしっかりと食べていますけどね」
「それは興味深いですね。是非、交易の際には売っていただきたいものです」
麻婆豆腐を無縫より先に手に入れて悔しがる姿を見たかったヴィトニルは無縫が欠片も悔しがっていない様子を見せず、ヴィトニルを歯牙にも掛けない様子でシトラスと話をする姿に悔しさを感じたのだろう。
すっかり涙目になったヴィトニルは「これで勝ったと思うなよ!」と叫び、食べ終えた麻婆豆腐の食器を回収エリアまで運んだ後、猛スピードで食堂から去っていった。
涙目になりながらも律儀にしっかりと回収エリアにいた食堂のスタッフに「美味しかったです、ご馳走様でした」と伝えて去っていく辺り、育ちの良さを感じさせる。
「……まあ、本当は少し食べたかったですけどね。緋月さんの麻婆豆腐」
「それをそのままヴィトニルに言ってあげれば良かったのでは?」
「なんか調子乗りそうで嫌だったんですよ」
「……本当にお二人は似たもの同士ですね」
「心外です……って言いたいところですけど、こういう関係って嫌いじゃないんですよね。茉莉華っていうアイドルやっている魔法少女仲間がいるのですが、そいつとバチバチやっている時も振り返ってみると楽しかったって感じることが多いですし。真っ向から対等に感情をぶつけに来てくれるって、やっぱりいいなぁ、と思います。……あっ、当人には伝えないでくださいよ」
シトラスは無表情で相変わらず何を考えているか分からないが……少しだけ微笑ましそうに無縫を見ているような幻視を無縫は見た気がした。
◆
食堂の列を進んでいくと、注文をする場所に緋月の姿があった。
「あら、来てくれたのね。おばちゃん嬉しいわ。……もう既に売り切れている料理が沢山あるから期待に添えないかもしれないけど、良かったら食べていってもらえると嬉しいわ」
「緋月さん、いつものカルボナーラをお願いします」
「じゃあ、俺も同じものを」
「では、私はお任せランチをお願いしようかしら?」
「分かったわ。カルボナーラを二つとお任せランチね。完成まで少し時間をもらうことになるから、先にお会計を済ませて席に座っていてもらえると嬉しいわ」
支払いを済ませ、待っていると緋月がカルボナーラを運んできた。
忙しい時間帯は緋月が厨房の方で働いていることが多く、配膳に携わらないことが多いため、珍しい状況であると言えるかもしれない。
緋月からすれば、やはり特別なお客様という扱いなのだろう。……まあ、その特別というのは『頂点への挑戦』で食堂に来るように誘ったからというもので、それ以外の意味は特にないのだろうが。
無縫のトレーには注文していないケーキがデザートとして載せられていたが、これも緋月からのサービスだ。
「ありがとうございます。いただきます」
緋月の好意に感謝しつつ、無縫はシトラスとリリィシアと共に食事をした。
美味しい食事に舌鼓を打ちつつ、無縫、シトラス、リリィシアはしばし談笑していた……が、その内容は主に異世界間の通商網への加盟に向けた通商条約やその後の取引に関するお話……つまり、お堅い仕事の話であり、「食事の時間くらい仕事のことを忘れてもいいんじゃないか?」と周囲の食堂利用客達は呆れの視線を向けていた。
食事を終えてトレーを回収場所に返したところで、シトラスは執務に戻るために一足先に食道を後にした。
「リリィシアさん、俺達も帰りますか」
「無縫さんには『帰る』って言葉が自然と出てくるくらい馴染んだのですね。はい、帰りましょうか? 宿屋『鳩の止まり木亭』へ」
◆
幹部巡りを終えた時には一流のお店で最高の料理を……と、『L'Assiette Blanche』で祝勝会をしたが、魔王への勝利を成し遂げた今回は大日本皇国にある人気店で食事をする……という形ではなく、宿屋『鳩の止まり木亭』で細やかな身内の会をすることになった。
……といっても、フィーネリア達ロードガオン組や惣之助を含む内務省組、鬼斬機関の面々、陰陽連の面々、無縫と『頂点への挑戦』で鎬を削ったライバル達に、魔王軍幹部や魔王軍四天王、魔王テオドアとシトラスに、ベンタスカビオサ、ジュドゥワード、ベンマーカコクリコといった魔族のレジェンド達――更には科学戦隊ライズ=サンレンジャーやログニス大迷宮の攻略に参加した玉藻楪や三栖丸雪芽までもが参加したため、過去最高の規模となったが。
まるで、異世界ジェッソの旅の総決算のような宴会だ。
宿屋『鳩の止まり木亭』の一階を貸し切って行われた祝勝会は無縫達にとって最高の思い出となった。
……まあ、無縫達にはまだルーグラン王国や白花神聖教会との最後の戦いが残っているのだが。
この会が終わったところで、無縫はタタラに声をかけた。
その話とは勿論、クリフォート魔族王国に拠点を移さないかという話だ。
その話をしている最中に、シトラスやバチカル区画の領主であるメープルもやってきて、「私達はタタラさんのことを歓迎するわぁ」との言葉をかけてくれた。
「……本当に、夢なんじゃないかっていうくらい、とてもいいお話。でも、私はルビリウス王国の鍛冶屋スミス。……ルビリウス王国にはとても返しきれない恩がある」
遠くから隠れてことの成り行きを見守っていたスノウの方にも視線を向けてから、タタラはほんの少しだけ躊躇をして……しかし、覚悟を決めたのか笑顔を浮かべた。
「だから、ルビリウス王国と話をしてくる。……私だって、スノウさんと……この世界でできた友達と離れたくないから」
そんなタタラに耐えきれなくなったスノウが物陰から飛び出して涙を浮かべながらタタラに走って抱きつき、タタラも嬉しそうに涙を流した。
そんな二人の姿を、無縫達はビアンカと共に微笑ましそうに見つめていた。
そして、祝勝会の翌日――つまり、『頂点への挑戦』の翌々日ということになるが、タタラは無縫、リリィシア、シトラス、メープル、そしてスノウと共にスーツやドレスといった正装に着替えてルビリウス王国へと向かった。
事前に無縫が連絡を入れていたこともあって、すんなりと謁見の間に通された五人はそこでルビリウス王国国王マルグヴァルド=ルビリウスや王妃ミラニア=ルビリウス、第一王女エリザヴェート=ルビリウスをはじめとする王家の面々、更には宰相を務めるワイルド=ロマネコンティ公爵をはじめとする多くの貴族達と対面することになった。
本来の謁見であれば、王族が許可を出すまでは顔を上げられず発言も許可されない……というのが通例だが、無縫達は特例があるため王族達がいる壇上の玉座付近からは多少見下げる位置にいるものの無縫達も頭を下げずに真っ向から王族と対峙している。
スノウは「本当に頭を下げなくていいのでしょうか?」とあわあわしていたものの、特にシトラスなどは豪胆で相変わらずの無表情を貫いている。メープルもほんわかとした雰囲気を漂わせつつも動じた様子を見せずに王侯貴族と対面しており、流石は魔王軍幹部という風格があった。
「……無縫殿、今回の件は事前にもらった書面で確認させてもらった。……我々の国の中で長きに亘った議論に終止符を打つ大きな手伝いをして頂けたこと、心より感謝したい。……本当に様々な議論があった。あの戦争の時代を超え、タタラ殿をはじめとするスミスの一族には本当に感謝をしているのだ。……しかし、その一方で戦争は終わり平和な時代になったことで、武器が必要なくなりつつある。勿論、それは喜ばしいことだ。……だが、それ故にこれ以上スミスの一族をこの国の税金で養う必要があるのか、という疑問が出てくるのも……非常に残念だが致し方ないことだった思う。……だが、我は王族ではなく、一人の人間としてタタラ殿に申し訳ない気持ちでいたのだ。父亡き後、その仕事を受け継いて、残された寒々しい工房に閉じ込め、自由を奪う……本当にこのままで良いのかと思っていた。だが、王である我が無責任にタタラ殿をあの場所から解放する訳にはいかなかったのだ。それは、これまでルビリウス王国が行ってきた支援を打ち切るに等しいことだからだ。……だから、今回の申し出はとてもありがたいことだ。それに、我は……いや、私は心から嬉しく思う。タタラ殿、良き共に出会えたのだな」
謁見の場で緊張し、強くタタラの手を握っている雪女の少女に視線を向け、マルグヴァルドは厳格な表情を崩し、にっこりと微笑んだ。
「タタラ殿、今後はブルーベル商会を通して対等な関係で取引をさせて頂きたい。今まで、本当にありがとう。そして、これからもよろしく頼む」
「ん……承知致しました、国王陛下」
こうして、タタラはルビリウス王国を離れ、バチカル区画で第二の人生を送ることとなった。
メープルが用意してくれた宿屋『鳩の止まり木亭』に程近い空き地に、無縫が【万物創造】で新たな工房を建て、同じく無縫の【万物創造】で建てられたブルーベル商会のバチカル支店が正式稼働する日と同日、つまり謁見の翌々日にタタラはクリフォート魔族王国へと引っ越してきた。
大量の仕事道具と、亡き父――先代スミスの笑顔を写真を携えて。
これから、彼女は第二の人生を送ることになる。
ブルーベル商会の助力を得てルビリウス王国とも取引を続けつつ、今後はクリフォート魔族王国をはじめとする多くの国々と取引をしていくことになるだろう。
今まで以上に忙しい生活をすることになるであろうタタラだが、その顔は笑顔に溢れていた。
その理由は、三食食事を食べに行く宿屋『鳩の止まり木亭』の看板娘――親友のスノウと一緒に過ごせる幸せな時間のおかげなのだろう。