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キムラヌート区画にて、審美眼を問う十の試練。 下

 紗希子は執事服の紳士を連れて戻ってきた。

 種族は龍人族(ドラゴニュート)のようだが、ドラゴンの翼も爪も――龍人族(ドラゴニュート)の特徴は全て消し去っており、完璧に人の姿に擬態している。

 ほんの少し黒髪が混じった白髪、カイゼル髭を蓄えたナイスミドルといった出で立ちだ。


 二人はステンドグラスを使った硝子のランプを持って現れた。

 どうやら、二問目はこのステンドグラスランプを見極める問題らしい。


「ランプと言ったらエミール・ガレとか、ドーム兄弟とかが有名だよね?」


「共にアール・ヌーヴォー時代を代表するランプじゃな」


「まあ、でも、ここは異世界だしガレやドームのランプではないのは間違いないわね」


「話し合いはそこまでにしてもらおうか? 今から十分やろう、その間に近くまで寄って観察するといい。ああ、ランプを触って確かめたい場合は手袋を着用するようにな」


 無縫、ヴィオレット、シルフィア、フィーネリア、レフィーナの順に立ち上がり、テーブルに置かれた二つのガラスのランプを観察する。

 ヴィオレット、シルフィア、レフィーナは執事や紗希子から白い手袋を受け取り、実際に触って感触などを確かめた。


「……では、どちらが高いものだと感じたか札を上げてもらおう」


 回収されずに机の上に置かれたままになっていた札を念の為確認し、それぞれ価値が高いと思った方の札を上げる。

 今回はレフィーナとフィーネリアが一番目の札を、無縫、ヴィオレット、シルフィアの三人が二番目の札を選んだようだ。


「では、答えを発表しよう。正解は二番目の方が高価なランプだ。グロワール工房で制作された通称グロワールランプだな。ガラスを何層にも重ねて成型し、カメオ彫りのように表面を削ってデザインを浮かせている。一番目のランプも同じ方式で作られているが、彫りに荒さが目立っている。ちなみに、一番目の方は執事長のロイド=ドラコの作品だな」


 彫りに粗が目立つといってもそれはジェイドの目から見てという話である。

 ロイドのランプは細密に作られており、色彩も実に豊かだ。


 アナスタージアが作ったヴァイオリンも見事なものであり、総じてジェイドに仕える使用人達の技量の高さが窺える。


「……では、次は宝石の見極めといこう。ミズファ=フルムーン、例のものを」


「承知致しました」



 三問目は宝石の鑑定だった。

 イエローダイアモンドとガラス玉を見極めるという内容で、無縫、ヴィオレット、フィーネリアが一つ目を、シルフィアとレフィーナが二つ目を選択――結果は一つ目がイエローダイアモンドで二つ目がガラス玉という結果だった。

 ちなみに硝子製のイミテーションを製作したのは狼人間(ワーウルフ)の侍女ミズファ=フルムーンだった。ジェイドに言わせれば一目見ただけで違いが明らかということだが、とても精巧に作られており、【鑑定】などの技能を使わない限りは熟練の宝石商の鑑定眼が必要になるレベルのものである。


 着飾ってパーティに参加する際に宝石としてこのイミュテーションの硝子玉を嵌めたブローチをつけていっても気づかれない可能性が高そうだ。


 四問目はワインの飲み比べ。赤ワインと白ワインをアイマスクをして飲み比べて高い方を選ぶというものである。

 しかし、白ワインの方はかなり赤ワインに近い渋みを持つものを、赤ワインはかなり飲みやすいものを選んでおり、決定的な差がある訳ではない。

 それに、仮にどちらが赤ワインか白ワインかを判断できたところでどちらが高級かは別の話である。


 第四問では無縫のみが二番目を選択し、一人で正解を勝ち取った。

 ちなみに、赤ワインの方がセグレートロマネスという銘柄、白ワインの方がホワイトウィンディアと呼ばれる銘柄で、ほんの僅差でホワイトウィンディアの方が価格が高いというなかなかの高難易度問題だった。……まあ、無縫は銘柄だけでなく年代まで正確に当ててフィーネリアとレフィーナだけでなく使用人達までドン引きさせていたが。


「では、第五問だ。絵画の鑑定だな。ミッシェル=アリシャー、ルビア=ポダルゲー、ミズファ=フルムーン、例の絵画を」


 純魔族のミッシェル=アリシャー、有翼の乙女(ハルピュイア)のルビア=ポダルゲー、狼人間(ワーウルフ)のミズファ=フルムーンが一度晩餐室から退場し、数分後にそれぞれ一つずつ額に入った絵画を持って現れる。


「今回の問題はこれまでと少し傾向が違う。ワタシの描いた作品を選び給え」


 ミッシェルが持っているのは風景画だ。アヴァランチ山の山頂からアィーアツブス区画を見下ろした構図で描かれており、過酷な環境と共存する活気溢れる街と鈍色の空がまるで対比されているような構図で描かれている。

 空を舞う雪も丁寧な筆致で描かれているようだ。


 ルビアが持っているのは人物画だ。ラミア族の美しい女性を題材にしており、薄衣を纏った女性が艶かしく描かれている。

 窓の外は雲の合間から光が差し込む、俗に天使の梯子と呼ばれる光景を描いており、官能的な中にある種の神聖さを感じさせる。


 ミズファが持っているのは他二つとは趣を変え、抽象絵画である。

 サルバドール・ダリの「時間の気高さ」を彷彿とさせる歪んだ時計、異常な形でカーブする激流の如き滝、歪んだメビウスの輪を彷彿とさせる湖の円環。

 滝は、直線的に流れる時間を彷彿とさせるものであり、一方で湖は春夏秋冬のような円環的な時間の流れ、或いはフリードリヒ・ニーチェの「永劫回帰」的な時間を彷彿とさせる。


 時の象徴たる時計と直線的な時間の流れを彷彿とさせる滝、円環的な時間の流れを彷彿とさせる湖――これらが歪んだ光景は、シュルレアリズム的な流れを感じさせ、時というあやふやなものへの絵画製作者の懐疑的な視座が感じ取れる。


 絵画とする大きな枠組みという点は共通しているが、どれもジャンルが大きく異なっている。

 迷った末にヴィオレットは一番目を、フィーネリアが二番目を、シルフィアとレフィーナは三番目を選んだ。


「……無縫、札を上げていないようだが、まだ決められないのか?」


「いえ、これが答えですよ。この中にジェイドさんの作品はありません」


 ミッシェル達――使用人達が「ゴクリ」と生唾を飲む音がシーンと静まり返った晩餐室に響く。


「――素晴らしい(エクセレント)!! その通り!! ここにワタシの作品はない!! よくぞ見破った!!」


 ジェイドが歓喜の声を上げる。

 その喜ぶ様はこれまで正解した時に見せたどの喜び方とも明らかに異なっていた。

 目をキラキラと輝かせ、まるで水を得た魚のように感情を爆発させる姿は、不健康で神経質で気難しい芸術家といった普段のジェイドの姿からは想像もつかないものであった。


 このように感情を爆発させるジェイドの姿を見たことがないのだろう。ロイドを含めた使用人達もあまりの変貌っぷりに呆気に取られていた。


「それは流石に狡いよ!!」


「そこの妖精、狡いとはなんだ? 審美眼を持っていれば真に価値があるかどうか見分けがつくだろう? そもそも、ワタシはワタシの絵を選べといったが、この中にあるとは一言も言っていないからな。現に、無縫はここにワタシの絵がないことをしっかりと見抜いていたではないか。まあ、実際にワタシの試練を合格できた者もこの問題だけは全員不合格だったがな」


 ちなみに風景画はミッシェル、人物画はルビア、抽象絵画はミズファがそれぞれ描いたものだったようだ。

 いずれも美術館に飾られていても遜色のないレベルだが、ジェイドに言わせればまだまだらしい。


「落ち込むでない、まだ五問目ではないか。合計五問正解すれば良いのだ。なんの問題もないだろう?」


 ジェイドは「まだ十分に挽回できる余地がある」と言っていたが、現実は非情だった。

 ここから難易度は更に増していったのである。


 六問目は地球で言うところの西洋剣の鑑定。二振りの両刃剣を見て高名な刀鍛冶が打った作品を当てる問題だ。

 無縫、シルフィア、レフィーナが二振り目の剣を選んで正解し、ヴィオレット、フィーネリアの二人は素人が売った剣を名品だと判断するという結果になった。


 ……ちなみに趣味で二、三年ほど刀を打ち続けているアナスタージアの作品であり、魔王軍の標準装備の武装と比較しても遜色のないレベルまで仕上げられていたが。

 毎度のことながら素人の目利きでは間違ってしまうほどのレベルの品を作ることができる使用人達に戦慄を覚えるレフィーナ達だった。


 続いて七問目はドレスの鑑定。人気過ぎるが故に普通に注文すれば三年ほど待つことになる人気デザイナーが作ったドレスと素人が作ったドレスを見分けて、より高い方――つまり有名デザイナーのドレスを見分けるというものだった。

 結果は無縫、ヴィオレット、シルフィア、フィーネリア、レフィーナの五人が正解。ヴィオレットは五問正解に王手をかけた。

 ちなみに全員正解だったため簡単な問題だったように思えるが、ルビアが作ったドレスも十分精緻で美しいデザインだった。使われている生地も高級なもので、ジェイドがいかに良い材料を使用人達に使わせているかが伝わってくる。


 例え良い腕を持っていても、材料や道具が揃っていなければ製作はできない。ジェイドは己の工房を惜しみなく使用人達に貸し出しているのだろう。

 そういった環境だからこそ、素人の域を超えた専門家のものと比べてもほとんど遜色のない作品が生まれるのかもしれない。


 八問目は壺の鑑定。三つの壺を並べられてそこから最も高い壺を選ぶというものだ。

 美しい白磁の壺、鮮やかな色彩で絵付けがされた壺、深い青が印象深い壺が並べられ、十分間各壺の観察や手袋越しでの質感の確認が許可される。

 シルフィアは五問目の問題で三択問題にトラウマでも持ったのだろうか? 「全部同じ値段」と回答。無縫とフィーネリアは三つ目の壺が最も高いと鑑定し、ヴィオレットとレフィーナは白磁の壺を選んだ。


 結果は藍色の壺が最も高いという結果だった。作られた年代が古く、数が少ないというのも大きな理由の一つだが、その他に希少な瑠璃(ラピスラズリ)が顔料として使われていたという理由もあるようである。


 九問目は四問目と同様にテイスト問題。しかし、今回のテーマは飲み物ではなく茶碗蒸し――食べ物である。

 どちらも同じシェフが作ったもので、片方は高級な食材で、もう片方は普通の食材で作られたもののようだ。


 この問題では無縫とレフィーナが一つ目を、ヴィオレット、シルフィア、フィーネリアが二つ目を選択した。

 結果は一つ目の茶碗蒸し。どうやら、ロック鳥の卵を中心に希少な魔物由来の高級な食材が多分に使われていたらしい。

 ちなみに、無縫は使われている卵がロック鳥のものであることまで完璧に当てていた。


 無縫が全問正解に王手を掛け、ヴィオレット、フィーネリア、レフィーナが五問正解のボーダーラインに王手を掛け、シルフィアが一人三問正解と最下位を独走する中、最終問題が幕を開けた。


 ジャンルは木彫りの像の鑑定、どちらも兎をモチーフとして彫られたもの……だが、どちらも彫りが細かく甲乙つけ難い。まさに、最終問題に相応しい逸品だ。


 二つの木彫りの像を前に悩む中、制限時間終了の宣言がジェイドからなされる。

 無縫が二つ目を、ヴィオレット、シルフィア、フィーネリア、レフィーナが一つ目を選択してこの場のほぼ全員が最終問題の結果を確信してレフィーナが落胆する中、ジェイドの口から最終問題の答えが発せられた。


「正解は二つ目の木彫りの兎だ。ちなみに、一つ目の方は執事長のロイド=ドラコの作品だな。素晴らしい、庚澤無縫! 全問正解だ!!」


 エーイーリー区画時代であればレフィーナも挑戦権を獲得できたが、キムラヌート区画の基準では不合格だ。

 白雪の試練とは異なりかなりいいところまで行っていたので、後一問正解できればと悔しい気持ちになるのも無理のないことである。


「他の参加者も見事だ。四問正解や三問正解でも、ワタシの基準は別として客観的に見て十分凄いと思うぞ。更に審美眼を磨いてまた挑戦するがいい……っと、既に幹部巡りの基準は満たしているのだったな? レフィーナよ、キサマとの本戦での戦いも楽しみにしているぞ!」


「もっと準備して挑むべきだったわね。……かなりいいところまで行っていたから悔しいけど、でも、ジェイド様から少し認めてもらえたのは嬉しいわ。今回は戦えないけど、決勝の舞台で戦うことになったら、その時はお手合わせ願います」


「うむ! では、無縫よ! 庭に出るぞ! ワタシとキサマで合作の時間だ!!」

◆ネタ解説・百六十二話

エミール・ガレ

 正しくはシャルル・マルタン・エミール・ガレ。

 十九世紀から二十世紀にかけて活躍したフランスにおけるアール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家、陶芸家、家具作家、工芸デザイナー、アートディレクター、工場経営者。


ドーム兄弟

 十九世紀後半から二十世紀前半にかけて活躍したフランスのガラス工芸家。

 兄オーギュストと弟アントナンの二人。

 ガラス工芸メーカーのオーナー一族として「ドーム兄弟」の呼称が定着しており、工房名にもDaum Frères を付していた。


サルバドール・ダリの「時間の気高さ」

 サルバドール・ダリが1977年に制作したブロンズ作品。柔らかく歪んだ時計と木々の枝、天使などからなる。

 死や時間の相対性、夢と現実の歪みなどを表していると言われているらしい。


フリードリヒ・ニーチェの「永劫回帰」的な時間

 フリードリヒ・ニーチェの思想で、人の生は宇宙の円環運動と同じように永遠に繰り返すと説き、生の絶対的肯定と彼岸的なものの全面否定を著書『ツァラトゥストラはかく語りき』で主張したもの。


時の象徴たる時計と直線的な時間の流れを彷彿とさせる滝、円環的な時間の流れを彷彿とさせる湖

 三島由紀夫の大河小説『豊饒の海』によって描かれる二つの時間のこと。作中には、滝と海が度々登場しており、前者は過去から未来へと真っ直ぐ進む直線的な時間、後者は四季のように巡る時間を示していると思われる。


ロック鳥

 中東・インド洋地域の伝説に登場する巨大な白い鳥。

 三頭のゾウやサイを持ち去って巣の雛に食べさせてしまうぐらい大きく力が強いとされる。

 ルフという別名もあるようだ。

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