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キムラヌート区画にて、審美眼を問う十の試練。 上

 無縫達はキムラヌート区画の領主公館に向かい、受付を務める純魔族の男性職員に手帳を手渡して受付を済ませた。


 キムラヌート区画の領主公館の活気は他の地域とほとんど変わらないが、幹部巡りの受付だけは閑散としていて職員もたった一人配置されているだけという省エネ人事である。

 一日に一件もないどころか、一年で一回挑戦者が来るか来ないかというレベルのようで、受付の職員は生欠伸を噛み殺しており、受付のやり方を忘れてしまっていて他の区画の三倍ほど時間が掛かった。


「……しかし、領主公館は公営だったと聞いているが……あれで本当に良いのか?」


 心底やる気が感じられない職員に苛立ちを覚えたのだろう。

 領主公館で教えられたジェイドの館へ向かう道中、ヴィオレットが愚痴をこぼした。


「確かに、他の区画はどこもテキパキとしていて事務処理も早かったわよね。花形部署って感じがしたわ。……キムラヌート区画は幹部挑戦が少ないし、窓際部署みたいな扱いを受けているのかもしれないわね」


 キムラヌート区画の領主公館の職員のレベルは全体的に高かった。

 キムラヌート区画に幹部巡り目的で訪れる挑戦者はアィーアツブス区画よりも遥かに少なく、最早皆無と言っても過言ではないレベルのため、もしかしたら窓際部署になっているのかもしれない。


 実際、無縫達の手続きを受け取った職員は年嵩で、お世辞にもあまり仕事ができるタイプでは無かった。

 残念なことであるが年功序列で一定の役職は持っているものの仕事は全くできない厄介な者を放流する先として幹部巡り課が使われているのだろう。

 まあ、そもそもキムラヌート区画の魔王軍幹部の試練は挑戦者がそもそもいないため、最低限の職員を配置していれば、それで十分なのかもしれないが。


「……ここが教えてもらった屋敷だな」


 とはいえ、幹部巡り課の職員もジェイドの居場所を伝えるなど最低限の仕事はしている。

 愚痴を言っている間に目的地と思われる屋敷に到着し、無縫は来客を知らせるために玄関の門に取り付けられた小さな鐘を鳴らした。


 ――カランカランカランカラン。


 鐘の音の余韻が消える頃、バタンと音を立てて屋敷の扉が開けられる。


「ゴ、ゴブリンじゃと!?」


 扉を開けて中から出てきた者の姿を見て、ヴィオレットが思わず声を上げた。

 その姿は、最弱の名を縦にする最弱の亜人系魔物――緑小鬼(ゴブリン)だ。


 勿論、魔族の中には魔物が知恵を得た者も多い。

 例えば、緑小鬼の皇帝(ゴブリン・エンペラー)も魔族の一員として認められてクリフォート魔族王国内で暮らしていることもある……が、そういった魔物は大多数が所謂上位種の魔物だ。

 このような緑小鬼(ゴブリン)のような魔物が知恵を獲得し、魔族の一員として暮らしているという前例を様々な異世界を渡り歩いたヴィオレットも見たことは無かった。


「ふん、どうやらキサマの目は節穴のようだな。表面ばかりに見て本質を見極められない者に興味はない。お引き取り願おうか」


「……うちのヴィオレットが失礼なことを申し上げました。謹んでお詫び申し上げます」


「で、キサマらはなんのようだ? ワタシをジェイド=ニェフリートと知って屋敷を訪ねてきたということは、ワタシの芸術を買い求めにきたのか? 生憎と、ワタシは芸術の価値を分からず、誰かの付けた価値をただ受け入れるような輩に売るつもりはないのでな! お引き取り願おうか!」


「……いえ、俺達の目的は幹部巡りです」


「……ほう?」


 「幹部巡り」という単語を聞き、ジェイドの目が細められる。


「申し遅れました、俺は庚澤無縫と申します。俺と、もう一人、こちらのエルフの女性――レフィーナさんが挑戦希望で、ヴィオレット、妖精のシルフィア、それとフィーネリアさんは観覧希望です」


「そこの純魔族の小娘が挑まないのは良い心掛けだな。ワタシを見てただの緑小鬼(ゴブリン)だと侮るような輩に試練は突破できん!」


「……まあ、こいつは魔王の娘なので芸術などの分野については多少なり教養を持ち合わせていると思いますが。こっちの妖精は常識すらも持ち合わせているかどうか甚だ疑問ですけどね」


「酷いなぁ、無縫君! 私は至ってまともだよ!!」


「……法律すら遵守できない、家族から盗みを働く魔王の娘と妖精に常識があるかは甚だ疑問よね」


「フィーネリアまで、酷過ぎるのじゃ!!」


「ふん、まあいい。試してみれば分かることだ。ただ見ているだけでは暇だろう? キサマらも一緒に試練を受けるがいい。別に危険はないのだからな! それに、キサマらが紛い物かホンモノかは知らないが、どちらにしろワタシの客に違いない。長らく誰一人として挑まなかった試練に挑む者が現れた、それだけでも喜ぶべきなのかもしれんな」



 無縫達はジェイドに先導された屋敷の奥にある晩餐室へと案内された。

 五人分の椅子を引き、無縫達に座るように促すと、タキシード姿のジェイドは無縫達の対面に座った。


「では、ワタシの試練の内容を説明しよう。まず、ワタシは先ほども述べたように物事の本質を見抜く審美眼が重要だと思っている。ワタシが描いた絵画だから、作った壺だから、作った曲だから……そんな理由で価値が付けられても意味がないからな! 芸術は価値がある者が持つべきであってお金儲けの道具ではない。ワタシの試練はそんな審美眼を見されてもらうものだ。まず、試練は合計十問出題する。芸術的な価値があるものや値打ちのあるものと、素人が用意したものや値打ちがほとんどないもの――そういったものを二つか三つ並べる。その中から芸術的な価値があるもの、値打ちがあるものを選んで答えてくれ。ちなみに、昔はエーイーリー区画で魔王軍幹部をしていた。その時は十問中三問正解で合格にしていたが、それでも散々な結果だった。キムラヌート区画に移ってからは五問正解をボーダーラインとしている。まあ、ワタシとしては全問正解してもらいたいものだがね」


「二択クイズか三択クイズということじゃな……」


「というか、どう考えてもお正月とか改変期にテレビでやっている一流芸能人の格付けをする某番組だよね?」


「あの番組は四から六問だったけど、こっちは十問もあるから大変ね。それにあれってかなり難易度高いイメージだけど……本当に大丈夫かしら? 五問でいいと言われても自信ないわ」


「そういえば、魔王軍の連中が何か言っていたな。庚澤無縫に対しては本気の試練を提供しろという話だった気がするが、キサマも五問で構わないぞ。まあ、だが、ここまで九人の魔王軍幹部に勝っているのであればホンモノの可能性もない訳ではない。少し期待しておくとしよう」


 ジェイドが指を鳴らすと五人の侍女達が部屋に入ってくる。

 純魔族、有翼の乙女(ハルピュイア)、狐人族、雪女、人狼或いは狼人間(ワーウルフ)――侍女服に身を包んだ五人の美女達は一人ずつ無縫達に手にしていた黒いアイマスクを手渡していく。


「一問目は、ヴァイオリンの聞き比べだ。今から二挺のヴァイオリンを演奏する。演奏が終わったところでアイマスクを外してくれ給え。その後、侍女達に札を手渡してもらうので一番目と書かれた札か、二番目の書かれた札を上げてもらいたい。ああ、分かっているとは思うが上げてもらうのは高級な方のヴァイオリンの札だからな。間違えないでくれ給え」


 全員が目隠しを終えたところでジェイドが侍女から一挺目のヴァイオリンを受け取り演奏を始める。

 そして、演奏が終わると二挺目のヴァイオリンを受け取って演奏を始めた。


 演奏する曲はどちらもクリフォート魔族王国に昔から伝わっている古い曲だ。

 古の時代の有翼の乙女(ハルピュイア)の王国時代から伝わってきた曲で、彼女達の美声によって奏でられてきたものをヴァイオリン用に楽器を使った演奏にアレンジしたものである。


「……では、どちらが高いものだと感じたか札を上げてもらおう」


 侍女達が無縫達に耳打ちしてアイマスクを回収し、代わりに札を手渡す。

 無縫、ヴィオレット、フィーネリア、レフィーナの四人が一番目の札を、シルフィアだけが二番目の札を選んだようだ。


「クリフォート魔族王国で最高級のヴァイオリンといえば、ソラファーレ一族が製作したソラファーレとデルフィアーノ公房で制作されたデルフィアーノの二系統が有名ですね。前者は俺の故郷――地球におけるストラディヴァリウスのように華やかな高音が特徴的で、一方の後者はグァルネリ・デル・ジェズのように低音成分が強調された重厚な音が特徴とされています。……今回演奏されたのは音の性質からしてソラファーレでしょう。もう一つの特徴としてソラファーレには密度の濃い音を、大きなホールの最後列まで届けられる遠鳴りがありますが、この晩餐室では限界があります。その点が少し残念だと感じました」


素晴らしい(エクセレント)!! その通り、ワタシが演奏したのはソラファーレB189と呼ばれるヴァイオリンの名器だ。エルフ族のソラファー一族によって制作されたヴァイオリン達はヴァイオリンの頂点として演奏家達に愛されている。ちなみに、もう一方は当家の侍女であるアナスタージア=ウゥルペースのお手製のヴァイオリンだ。素人の作品としてはなかなかのものだが、高音も低音も正直あまり良い響きではないな」


 狐人族のメイド――アナスタージアがスカートを摘み、美しいカーテシーをする。

 淑女の顔を一切崩していない……が、スカートから顔を覗かせている三本の狐の尾は楽しそうに揺れている。自分の作品で騙せたことがやはり嬉しいのだろう。


「……まあ、ワタシも演奏の専門家ではない。楽器の製作も多少なり心得があるがそれだけだ。仮に良い楽器を作れるとしてもその人が良い演奏をできるとは限らないからな。……ヴィオレットだったな、審美眼がないと言ったが良い音を聞き分けることができる才能はあるようだな。少しは見直したぞ」


「これでも一応魔王の娘じゃからな。……見た目だけで判断をしたこと、謹んでお詫びする。人は見かけによらないという言葉もある。先入観でものを見るべきではないな」


「あの……いい雰囲気をぶち壊って申し訳ないんだけど、なんで誰も私が一人だけ間違えたことに触れてくれないの!?」


「いや、シルフィアには誰一人期待していないからな」


「流石に酷過ぎるよ、無縫君!!」


 シルフィアが無縫の周りを飛び回って断固として抗議するが、無縫はあらぬ方向を向いて知らぬ存ぜぬを決め込んだ。

 まあ、予想できていた話である。ヴィオレットやフィーネリアのように育ちがいい訳でもない。

 娯楽の乏しいフェアリマナ出身の妖精で、地球に来てからも高級料理よりもジャンクな料理の方が口に合うと堂々と宣言したり、オーケストラのコンサートに無縫の付き添いで同行しても開始五秒で爆睡したり、美術館に行っても絵の良さが分からず楽しめなかったり……と色々と芸術とは相性の悪さを見せてきたのだ。


 どんな名画よりも音楽よりも、動画サイトの動画やライトノベルや漫画やアニメの方が好きで、万馬券を追い求め、ギャンブルを楽しむことを生き甲斐にする――そんなシルフィアとは絶望的に相性の悪い試練だろう。


「……まだまだ時間が掛かりそうだな。では、次の問題に移ろう。寒河江(さがえ)紗希子(さきこ)、執事長を呼んで来給え」


「執事長……ということは、アレ(・・)ですね。承知しました」


 雪女の侍女は恭しくカーテシーをすると、晩餐室から姿を消した。

◆ネタ解説・百六十一話

一流芸能人の格付けをする某番組

 朝日放送テレビの制作のチェック型クイズバラエティ番組。

 同局制作により、同系列で放送された『人気者でいこう!』内のコーナーから派生した特別番組である。

 本作の幹部巡りの試練はバトルに関係のない能力が必要となるものを多く取り入れており(過去に解説した『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』のジム戦の影響によるものが大きい)、これまで登場したパン作り、訓練への参加、図書館探索、ファッションショー、組み手、天空鬼ごっこ、薔薇迷路、筆記試験、ウィンタースポーツのうち、半数ほどが戦闘とは無関係なものになっている。そのトリを飾るもの、かつ、ジェイドに相応しいものとして格付けのようなものを最後の試練にすることを構想のかなり早い段階で決めていた。

 ちなみに、メープルの試練はメープルのキャラ造形が『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』のジムリーダーであるカエデに影響を受けたものであることからパン作りを思いつき、ファッションショーは『ポケットモンスター ブラック2・ホワイト2』のライモンシティのジム戦からランウェイでファッションショーの要素を混ぜたバトルをしたら面白そうと思いつき、薔薇迷路に関してはマラコーダのキャラ設定をするにあたり大きな影響を受けた玉響なつめ氏のライトノベル『転生しまして、現在は侍女でございます。』のナシャンダ侯爵から薔薇を取り入れつつ難易度の高い試練をと考えてデザインしている(J・K・ローリングが2000年に発表した『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の第三の課題である迷路からもかなり影響を受けている)。

 ウィンタースポーツについては、『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』のナッペ山ジムのチャレンジから影響を受けてウィンタースポーツを取り入れたいと思ったことが発端。


ストラディヴァリウス

 イタリアのストラディバリ父子三人(父アントニオ、子フランチェスコ、オモボノ)が製作した弦楽器。

 特にアントニオ・ストラディバリが十七世紀から十八世紀にかけて製作した弦楽器が有名である。

 グァルネリ、アマティと共にヴァイオリンの三大名器の一つに数えられる。


グァルネリ・デル・ジェズ

 イタリア・クレモナ出身の弦楽器製作者一族であるグァルネリ一族中でも最も名声の高い、バルトロメオ・ジュゼッペ・アントーニオ・グァルネリの製作するヴァイオリンのこと。

 胴の中に貼るラベルの意匠に、イエス・キリストを表すIHSの三文字と十字架を組み合わせた「ベルナルディーノの徴」と呼ばれる当時流行のロゴマークを採用したため、イエスのグァルネリの意である「グァルネリ・デル・ジェズ」と名付けられた。

 個人的にこのヴァイオリンの持ち主として好きな演奏家は古澤巌氏。ちなみに、長らくヴァイオリンの弓ではなくチェロ用の弓を使用していたというエピソードがある。

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