三頭騎士団合同訓練 その肆
カタカタとキーボードを操作し、最後にエンターキーをカチッと鳴らす。
その瞬間、北側の扉がガチャリと音を立てて開いた。
「準備ができたようだな! よし、扉に突入を――」
「いえ、ディージスさん。その必要はありませんよ」
扉が訓練施設に繋がっているのは確実だ。しかし、無縫は扉を潜る必要はないと語る。
「一体どういうことなのか?」と考える暇すら与えず、ディージス達の体を眩い光が包み込み始めた。
「な、何が起こっているっすか!?」
「これ一度言ってみたかったんだよ。いざワープってね!」
無縫の声が耳朶を打ったと認識した瞬間、しゅわしゅわという音を聞いたような気がした。
それと同時にミリア達の視界は白く塗りつぶされ……そして――。
◆
東京都千代田区霞が関――かつてこの地には政府の中央合同庁舎が置かれていた。
しかし、大日本皇国が未曾有の大震災に襲われた際に中央合同庁舎も崩壊の憂き目に遭った。
災害の爪痕が残る瓦礫の霞が関――辛うじて被害の少なかった地域にいくつもの仮設住居が建てられ、その中で行われた通称『災後会議』において、時の首相が三都市機能分散計画を提言。
この提言が受け入れられ、これまで東京都に置かれていた庁舎の機能を東京都、西京都、中京都に分散することとなった。
また、同じ東京都内でも近くに庁舎が密集していれば災害で纏めて共倒れしてしまうのではないかという危惧から合同庁舎を建て直すという方針は早急に捨てられ、東京都の各地にそれぞれの省庁の考えで庁舎が建てられていった。
現在、内務省は東京都千代田区霞が関の旧中央合同庁舎跡に内務省庁舎一号館を、中京都名古屋市中区伏見に内務省庁舎二号館、西京都大阪市北区に内務省庁舎三号館を置いているが、そのいずれも他の省庁の庁舎とは隣接していない。
今回、無縫が訓練の場所として選んだのは西京都大阪市北区の内務省庁舎三号館だった。
見た目は地上二十五階建ての現代的なビルで、地下は四階建て。シェルターも備えられている。
他の庁舎が災害で崩壊した場合でも、この庁舎さえあれば内務省の機能は果たせるように設計されており、実際に内務省職員の三分の一はこの内務省庁舎三号館で職務に励んでいる。
……まあ、内務省異界特異能力特務課は基本的に東京都を拠点として動いており、内務省庁舎二号館や内務省庁舎三号館には全体の十分の一にも満たない人員しか配属されていないのだが。
更に言えば、震災で粉々になってしまった国会議事堂に代わり、国会の機能を有する新たな国会議事堂が東京都の他に中京都、西京都にも作られたが、結局東京都で国会が開かれることが大半で必然的に東京都への機能集中が完全に解消された訳ではなかったりする。
このような状況を改善すべきではないかという意見が与野党問わず出されており、前回の国会では一年ごとに国会を開く場所を変える三都国会ローテーション案が両議会で賛成数九十八パーセントという異次元の数値で可決しており、来年は中京都で国会が開かれることになるのだが、今回は関係ないので割愛するとしよう。
「……ここはどこっすか?」
ミリアがゆっくりと目を開けると、そこは先ほどまでいた真っ白な部屋ではなかった。
どうやら会議室のような場所らしく、机が口の字が型に並べられている。陽が差している窓に近づくと、ミリアの背中にゾクッとした感覚が走った。
「たっ、高いっす!!」
地上二十三階建て――カイツール区画にでもいかない限りは味わえない高所からの景色にブルリと身体を震わせてミリアが目を逸らすのとほぼ同時にどこからともなく声が降ってきた。
『――訓練参加者に連絡します。繰り返します。訓練参加者に連絡します。本訓練は西京都大阪市北区の内務省庁舎三号館が複数の敵勢力による襲撃を受けたことを想定して行われています。職員のほとんどは地下四階のシェルターに避難を完了していますが、ごく一部の職員がまだ施設内に取り残されています。戦闘が可能な職員は敵と交戦しながら逃げ遅れた職員の捜索を進めてください。また、東京の内務省庁舎一号館からの増援は東京での大規模侵攻発生によって期待できない状況となりました。戦闘が可能な職員は逃げ遅れた職員のシェルターへの移動が完了したことを確認した後、敵勢力の殲滅に努めてください。施設内に逃げ遅れた職員は七名。――七名います。また、逃げ遅れた職員一名死亡するごとに大きなデバフが発生します。ご注意ください。――訓練参加者に連絡します。繰り返します。訓練参加者に連絡します……』
「あれ? 無縫っちってなんか簡単なルールにするとか言っていたっすよね? 一体これのどれが簡単なんすか!?」
ミリアはこの建物が地上二十五階建てということを知らない。
外の景色からかなりの高さであることは分かっているが、それだけなのだ。
それに、そもそも建物がどのような構造をしているのかも分からない。これほど巨大な施設の中で仲間と合流するところから始めなければならないのだ。これを果たして『簡単』と呼べるだろうか?
「と、とにかく外に出ないと……まずはそこからっすね!」
扉を開けて会議室から飛び出すと、廊下の先に人影が見えた。
背丈の二倍ほどの『戦鎚』を持ったぴょこんと二つの耳が立っている特徴的なシルエットを見つけた瞬間、ミリアは駆け出す。
「シエルっち、会いたかったっすよ!!」
自己紹介をしてからそれほど時間が経っていない筈だが、既に共に数多くの戦場を駆け抜けた戦友か、友情を温めた掛け替えのない親友と再会した時のようなテンションでミリアはシエルの方へと向かう。
「み、ミリアさ〜〜ーーん!! 会いたかったですぅ!!」
一方、シエルの方も一人で心細かったのかミリアの姿を見つけるなり駆け出した。
駆け出した二人が丁度真ん中の位置で合流する――そのタイミングでドーンっ! と爆音が響き、扉がミリアとシエルの方へと飛んできた。
「「…………はっ?」」
予想外の状況に二人揃って固まり、慌てたシエルが『戦鎚』を振り回して扉を破壊すると、身体全身が分厚い装甲に覆われている黄色の異形の生物が姿を見せた。
分厚く黒い特殊なゲル状の何かに守られた目のような感覚器官がぐるぐると不気味に動く。
その姿は蜘蛛のような脚と蠍の尻尾、蟷螂の上半身を合わせたような異形だ。
「お、奥に誰かいるっすよ!」
バケモノを前にしてもミリアは冷静に状況を見ていた。
部屋の奥に逃げ遅れた人間の女性と、彼女を狙う緑色の小さな翼が生えた蟷螂のような異形と、彼らとは明らかに毛色が違う波紋のような紋様を持つ一つ目を闇の中に内包したような特徴的な顔を持つ金属の装甲で身体が覆われた蜘蛛型の化け物の姿が視界に映る。
「救護対象は一人っすね。……敵は目の前に一体と救護対象の近くに二体……目の前の奴ら任せたっすよ!」
「はっ、はい!! 『破壊鎚』!!」
シエルが『戦鎚』を大きく振り回して黄色のネガティブノイズを殴り飛ばした瞬間――ミリアは地を蹴って一気に加速した。
更に悪魔の翼を大きく広げて羽搏かせることで加速を上乗せし、たった今、女性職員を殺そうとする緑色のネガティブノイズと夜蜘蛛刃の前に割って入った。
「ワーブリングシステム起動っす!」
ミリアが宣言した瞬間、ミリアの身体がワーブル体に換装される。
悪魔の翼などはそのまま、白と黒を基調としたボディースーツのような装備に換装したミリアは手に出現した二本の黒い筒にエネルギーを流し込むイメージをした。
「内務省式ワーブウェポン・双影! っす!! なんかいつもの武装より手に馴染んでいる気がするっす!!」
左の剣で緑色のネガティブノイズの放ってきた斬撃を受け止め、右の剣で刺突を放つ。
ミリアの放った突きは分厚く黒い特殊なゲル状の防御を突き破ってネガティブノイズの核を破壊した。
しかし、まだ敵を全て撃破した訳ではない。黄色のネガティブノイズはシエルの手で一撃で粉砕され、緑色のネガティブノイズはたった今ミリアが討伐したが、まだ夜蜘蛛刃が残っている。
夜蜘蛛刃の刃がミリアに迫り、刃がミリアの頬を擦過する。各個撃破を狙うためにやむを得なく受けた一撃だが、傷口からワーブルが流れ出し、少しずつ体力が削られていく感覚を味わうと「もっといい方法があったのではないか」という考えが脳裏を過ぎる。
とはいえ、ここで後悔していても何も生まれない。ミリアは攻撃のダメージを最小限で済ませつつカウンター攻撃を放った。
左の剣で夜蜘蛛刃の脚を破壊し、守りが崩れたところに右の剣を突き刺す。
夜蜘蛛刃の目の部分――コアが破壊されたことで動きが止まったことを確認し、ミリアは「ふぅ」と息を吐いた。
「た、助けてくださりありがとうございます!」
彼女は訓練施設が生み出した幻影の筈だが、そうは思えないほどしっかりとした自我を持っているように感じた。
人間に対して敵意はほとんどないとはいえ、心のどこかでは人間に対してあまり良い印象を持っていなかったミリアは助けた人間から感謝され、ほんの少しだけ変な気持ちになった。
上手く言語化できないが、少なくとも悪い気持ちはしない。
「地下に行きたいんすけど、どうすればいいっすか?」
「地下のシェルターですね! ご案内します!」
「助かったっす!! とりあえず地下に行けばみんなと合流できるかもしれないっすよね?」
その後、助けた女性職員に案内され、地下シェルターを目指すミリアとシエル。
彼女達はその後幾度かの遭遇戦に巻き込まれることになるのだが、それはまた別の話。
◆ネタ解説・百三十三話
「いざワープってね!」
元ネタはクトゥルフ神話TRPGリプレイ投稿者のパスティ氏の動画より「神すら核で蒸発する神話TRPG【世界平和は混沌に堕とした後で】」に登場するニャルラトホテプのセリフ。