方位を狂わせる魔法が施され、絶えずランダムに成長と枯死を繰り返しながら変化する薔薇迷路をギャンブルだと定義するのは流石に暴論がすぎるんじゃないかな?
マラコーダに案内された中庭には巨大な薔薇の生垣の迷路があった。
薔薇の代名詞を持つマラコーダが手塩にかけて育てているだけあって様々な種類の薔薇が咲き誇っており、鑑賞する者の心を飽きさせない。
「さて、君達にはこれから一人ずつ順番に迷路に入ってもらう。試練の課題は迷路から脱出することだ。もし、迷路の攻略を断念した場合は雷撃玉を打ち出すこの魔道具を空に向けて打ち上げてもらいたい。私や使用人が救助をさせてもらうよ」
中庭はかなり広く、迷路そのものもかなり大きめだ。
それこそ屋敷が丸々一つ入るほどの巨大な薔薇の迷路には見える範囲に入り口が一つあり、覇霊氣力を使用した探知を使うと反対側にも同様の入り口が一つあることが分かった。
入り口は一つで、出口も一つ。普通に考えれば、闇雲に迷路を探索していけばいつかはゴールできそうなものだが、ギブアップの手段が用意されている時点で迷路の探索をそれ以上進められなくなるほどのナニカがあることな容易に想像がつく。
「では、無縫さんから先にどうぞ。次にレフィーナさん、レイヴンさんという順番で挑戦してもらおうかな? それぞれの間隔は五分間、迷路に入ったらすぐに探索を始めてもらいたい。入り口で合流されてしまっては意味がないからね」
「でも、偶然迷路の中で顔を合わせることもあると思うでござるが、その場合はどうすればいいでござるか?」
「ふむ、なるほど、面白い質問だね。勿論、コメントは差し控えさせてもらうよ」
「その場合でも協力はしないようにしてもらいたい」、或いは「その場合は協力をしても良いということにするよ」――本来、レイヴンの問いに対するマラコーダの答えはこのいずれかになる筈だが、マラコーダは言葉を濁した。
この瞬間、無縫は薔薇迷路の性質の一つに気づいたらしく、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「試練の間、お客人には当家が責任を持っておもてなしをさせて頂く。細やかながらお茶とお菓子を用意するのでゆるりと寛がれよ。――それでは、ツァーカブ区画の試練、開始だ!」
◆
ところで、迷路を攻略する方法の一つに「右手の法則」や「左手の法則」というものがある。それぞれの手で自分の手と同じ側の迷路の壁に触れて歩いていくとゴールに辿り着くことができるという法則だ。
ちなみにそれぞれの手を使って通った部分を重ね合わせると迷路の全てを通ったことになる。確実に遠回りをすることになるが、確実に迷路の半分の通路を通るだけでゴールに辿り着けると考えればコストパフォーマンスも存外悪くないと思うこともできるかもしれない。
しかし、迷路に入ってから十五分が経過しても無縫は一向にゴールに辿り着く気配は無かった。
レイヴンの質問に対するマラコーダの回答からある程度確信に至っていたが、自分の置かれている状況から無縫は迷路の秘密の正体について確証を得る。
「やはり、迷路そのものが大きく形を変えるタイプのようだな」
「右手の法則」や「左手の法則」が通じないもう一つの例が存在する。それは、迷路の探索中に迷路そのものの形が変わってしまう場合だ。
当然ながら壁の位置が変わり、新たな通路が誕生すればゴールに通じる正しい道も変化してしまえば、それはもう突入当初のものとは全く異なる他の迷路である。当然、ここまで探索してきた情報は無に帰してしまう。
無縫は迷路が変化する瞬間を目撃してはいない。恐らく挑戦者の視覚で把握できない場所の迷路を構成する薔薇が成長と枯死を繰り返して迷路を変化させているのだろう。
つまり、「右手の法則」や「左手の法則」といった迷路を解く定石を用いるのではない、もっと別のアプローチで迷路を脱出することをマラコーダは求めているのだろう。
そもそもマラコーダは七番目、後半の魔王軍幹部である。ただ法則に従って迷路を解くだけという簡単な試練を出す筈がないというメタ的な考え方をすればもっと早く迷路の本質に気づくことができたかもしれないが……。
「さて……そろそろ迷路を攻略するとしますか」
無縫はニヤリと人の悪い笑みを浮かべながら覇霊氣力と魔力を薄く広げて迷路全体を覆うように展開する。
鬼斬の気配を読む力と魔力による探知技術――二つの探索技術を使って迷路の地形情報を常時収集可能な状態にしたのだ。
無縫の予想通り、薔薇の迷路は成長と枯死を繰り返しながら地形を変化させていた。更に、ご丁寧に探索者の方向感覚を狂わせる魔法が施されており、挑戦者の邪魔をするように合計六体の魔物が設置されている。
その中の一体は迷路のゴール地点に配置されており、一体も魔物と遭遇せずにゴールに到着することはできないようだ。
無縫は魔法そのものを破壊する魔法「術式霧散」を用いて方位を狂わせる魔法を破壊すると、ゴールへの最短ルートを計算しつつ地を蹴って加速――ゴールを目指して迷路を突き進む。
「あっ、無縫殿でござる!!」
「方位を狂わせる魔法が解除された感覚があったけど、やっぱり無縫さんの仕業だったのね」
その途中で無縫はレイヴンとレフィーナに相次いで遭遇した。
ちなみに二人とも「遁甲の羅針盤」と呼ばれる方位を狂わせる魔法を中和して正しい方向を指し示す魔道具を持ち込んでおり、迷路の形状が自動で変化することも把握していたため、迷路の変化も計算に入れた上で「とにかく前に進むこと」を意識して探索を進めていたらしい。
レフィーナ曰く、「迷路の形状は変化しても自分の居場所が変化する訳ではないから、方位を狂わせる魔法さえ無効化してしまえば現在位置に留まることができるのよ。少なくとも後退することは無くなるのだから、後は少しずつ前に進んでいけば迷路のゴールに辿り着けるという寸法ね」ということのようだ。
余談だが、レイヴンの「でも、偶然迷路の中で顔を合わせることもあると思うでござるが、その場合はどうすればいいでござるか?」という質問は無縫にさりげなくヒントを与えるためのものだったらしい。シェリダー区画やカイツール区画で受けた恩に細やかな形ではあるが報いたいと思った故の行動だったようだ。
別にヒントがなくても無縫は答えに辿り着いていただろうが、ネタバレにならないギリギリの範囲での絶妙なヒントをもらえたのはありがたかったので、無縫はレイヴンにお礼の言葉を掛けた。
迷路の変化も基本的にはランダムになるため、この方法では運に身を任せて少しずつ先に進まなければならない。
場合によってはかなりの時間を迷路内で過ごすことになり、お世辞にも効率的とは言えないが、地形把握能力を持たない大半の挑戦者にとってはこの方法が最適解とされているようだ。
――だが、何らかの地形把握能力を使用し続けることができれば話は大きく変わってくる。
丁度、今の無縫達のように。
「次を右、その次を左、後は真っ直ぐだな。予定通り、遭遇する敵も一体だ。……ただ、その間に迷路が変化されると少し回り道をせざるを得なくなる。迷路の変化のアルゴリズムは限りなくランダムに近いもの。常に的確に俺達を妨害する最適解の手を打ってくる訳ではない。……まあ、誰にも解けない迷路では試練にならないから当然と言えば当然だが……」
「……つまり、どういうことかしら?」
「――この迷路は結局のところギャンブルってことだ」
「……あっ」
「……あっ……確かに、そういう捉え方もできるでござるな」
「ということで、俺はこれから一度も薔薇の壁に妨害されずにゴールまで辿り着ける方に賭ける!」
――この瞬間、勝負は決した。無縫が迷路の変化がランダムだと読み切り、これをギャンブルであると定義した時点で勝敗は決してしまったのだろう。
絶えず形を変える迷路だが、その影響は欠片も無縫達三人に不都合に働かず、否、寧ろ無縫達にとって有利にしかなり得ない構造へと変化し続け、そして――。
「あれがゴールね! 黒薔薇の翼竜……ここまで薔薇の守り手に遭遇しなかったから一度も遭遇せずに切り抜けられると思っていたけど……現実は甘くなかったということかしら?」
全身が黒い薔薇と蔓によって構成されたドラゴンを彷彿とさせる魔物が一斉に荊棘を触手の如く打ち付けてくる。
「鬼斬我流・厄災ノ型・神避!」
しかし、荊棘が到達するよりも早く無縫の右手が刀の柄に掛けられる。
刹那――刀を鞘から抜き払うと同時に膨大な覇霊氣力が黒い稲妻と化して放出される。
そして、荊棘による攻撃を全て紙一重の神技で潜り抜け、すれ違い様に黒薔薇の翼竜を薙ぎ払った。
胴のところから真っ二つにされた黒薔薇の翼竜は内部から溢れ出す膨大な覇霊氣力に耐え切れず暴発し、塵一つ残さず世界から消え失せる。
最早、薔薇迷路に無縫達を阻むものなど存在しない。
無縫を先頭にレイヴンとレフィーナが相次いでゴールへと駆け込み、最後にレフィーナが迷路の外へと飛び出した瞬間、ツァーカブ区画の試練は無縫達の完全勝利で幕を閉じたのだった。