クラスメイトside4. 時風燈里誘拐事件。
時風燈里、茨城県水戸市出身、四十六歳。雷鋒市立雷鋒高校日本史担当教諭。
彼女は常に時代というものに翻弄された人生を送ってきた。
不景気の煽りを受けて大学を中退。その後、就職氷河期の影響で碌な仕事に就くこともできず非正規雇用で職を転々とした。
四十歳間近にしてようやく軍資金を得て大学に再入学し、教育大学の教育学部で必要な単位を取得して教員免許を取得。その後、念願の教師となる。
遅咲きという言葉も生ぬるい過程を経て教師となった燈里の中で『教師』という存在に対する考え方は、まだ就職氷河期も不景気も経験しておらず、「これから教師になるために勉強をするんだ!」と内なる炎を燃やしていた大学入学当初から大きく変化を遂げていた。
かつての燈里にとって、『教師』とは己の最も身近に存在する仕事であった。子に物事の何たるかを教え導く――そんな教師達かっこいい背中を見て、自分もいつかそんな先生になりたいと朧げながら思っていた。
義務教育の領分を逸脱した専門的な知識を生徒達に教えて学業の成績の向上に努め、生活が模範的になるよう指導する――そんな教師として当然の責務を熟した上で生徒達の最も近くにいる頼れる大人、家族以外の味方と呼ぶべき存在として在りたい。
かつて、高校時代に教師を目指したいと思う切っ掛けとなった憧れの、理想とすべき教師の背中をあの頃の燈里は追いかけていたのだ。今思い返せば随分青臭いことを考えていたものだと当時を振り返って燈里は苦笑する。
そんな燈里の思いは時代の荒波に飲まれ、大きく変化することとなる。
世の中とは理不尽なものだ。常に情勢は刻々と変化し、唐突に牙を剥いて残酷な運命を突きつけてくる。
理不尽に抗うためには知識が必要だ。人類は知識を積み上げ、経験に裏打ちされた様々な知恵を編み出してきた。
燈里が教師を目指す際に「日本史」という科目を選んだのも、そんな過去の失敗を糧として未来へと繋げる「歴史」という学問に魅力を感じたからなのかもしれない。
そんな過酷な半生を送ってきたからか、燈里のスタンスはスパルタ寄りだ。
学校という場所は社会の縮図である。そこにあるのは華々しい青春だけではない、イジメなどの闇も同じだけ存在している。丁度、陽の光によって暗い影が生じるように。
教師が介入すれば、そんな暗い影を、イジメを消し去ることはできるかもしれない。それだけの力を教師、大人という存在は持っているのだから。……だからこそ、教員が子供達に同調し、或いは率先してイジメを行うとなかなか厄介な状況になる訳だが。
燈里は表面上は生徒達の味方として振る舞った。しかし、実際のところ本気でイジメの撲滅のために動いたことはない。
超えてはならない一線だけは超えないように注意し、それ以外の細々としたイジメは黙認してきた。
社会に出たら自分の身は自分で守らなければならない。学校という小さな社会ではイジメを解決してくれる教師という存在がいるが、社会に出たらそのような存在はいないのである。
――教師という期間限定の機械仕掛けの神に頼ることなく、自分達の手でイジメを解決するように力をつけなければならない。そのような考えがちっこい系小動物アイドル教師と外見からかけ離れた中立かつほんの少しだけ冷淡な立場に彼女を立たせたのかもしれない。
或いは、早くから成長が止まり、幼児体型故にイジメを受けてきた過去が、いじめられっ子に簡単に救済を与えてはいけないという歪んだ考えを生み出しているのかもしれないが。
そんな冷淡で中立的な視座から俯瞰するように様々なものを見つめてきた燈里だが、少なくとも表面上は優しく生徒思いの教員を演じてきた。
時風燈里のソトヅラと呼ぶべき、理想の教師である彼女は無理やり異世界に召喚して戦争に参加させることに対して一体どのような考えを巡らせるだろうか。
……否、そのようなことを考える必要など燈里には無かった。
異世界召喚など実際に生きていて直面するような理不尽ではないのだ。そのため燈里は中立のスタンスをかなぐり捨てて必死に白花神聖教会に抗議を行ったのだが結果は芳しくない。
状況は最悪だ。クラス一のカリスマを持つ生徒によって話が纏められてしまい、生徒達は既に戦争の準備を始めてしまっている。
何度春翔達に説得の言葉を掛けても、生徒達が歩みを止めることはなくルインズ大迷宮に赴き、そして一人の生徒が命を落とした。
これ以上、生徒達の命を落とさせる訳にはいかない。――ならば、せめて生徒達と共に戦って側でみんなを守る! などと息巻いた燈里だったが、保有する技能の希少さ、有用さから戦闘とは無縁の農地改良及び改革という任務を言い渡されて体良く王宮から追い出されてしまった。
燈里は必死の抵抗を見せるも生徒達自身にまで説得されてしまう。
適材適所などという言葉を持ち出されてしまえば反論の余地など残されておらず、結局ルーグラン王国の要求を受け入れざるを得なかった。
だが、燈里は諦めなかった。ルーグラン王国の要求を受け入れる対価として燈里は「私の生徒に近寄るな! 戦争を強要してこれ以上追い詰めるな!」と声高に叫んだ。
結果としてルーグラン王国は希望しない生徒達への強引な戦争強要を行わないと燈里と約束を結ぶこととなる。
だが、ここで予想外の事が起きる。
燈里の頑張りに心震わせてただでさえ高かった人気が更に高まり、戦争なんてものはできそうにないが、せめて任務で国内外を走り回る燈里の護衛をしたいと奮い立つ生徒達が少なからず現れてしまったのだ。
少しでも戦いから遠ざけようとした結果、戦いを望まない生徒達を自ずから危険に近づけてしまったというのはなんとも皮肉が聞いた話である。
「戦う必要なんてない」、「派遣された騎士達が護衛をしてくれているから私は大丈夫」――燈里は説得を試みたが、結果は逆効果。燃え上がった油に水をぶち込むように生徒達は情熱を燃やし、「燈里ちゃんは私達が守る!」とやる気を漲らせていく。結局、燈里は押し切られて生徒達が農地巡りに同行することとなってしまった。ちなみに、彼ら彼女らはその後燈里親衛隊を自称することになるのだが、それはまた別の話。
生徒達がここまで頑なになった理由は、燈里の護衛役を任命された騎士達が燈里に協力して生徒達を説得しようとしたからだったりする。
燈里という人材を王国や教会に繋ぎ止めるために騎士団の中から選抜した選りすぐりのイケメンを護衛騎士に任命し、ハニートラップを仕掛けてきたのである。
生徒達の危機意識は、道中の賊や魔物以上に燈里の専属騎士達に向けられることとなる。
彼ら彼女らが異口同音に発した「燈里ちゃんをどこの馬の骨とも知れない奴に渡せるか!」という台詞に全てが詰まっていると言っても過言ではない。
一方、燈里をハニートラップで味方につけるために派遣された護衛騎士達だったが、木乃伊取りが木乃伊になるというべきか、あっけなく燈里の虜になってしまった。やはり、庇護欲を掻き立てる容姿や仕草がやべぇほどに影響力を持っていたのだろうか?
かくして護衛騎士達と燈里親衛隊――燈里を守護する勢力が誕生したのである。
◆
農地を巡る旅は順調そのものだった。
――しかし、平穏は突如として崩れ去る。
これまでも魔物や賊が牙を剥くことはあった。その度に燈里専属護衛隊隊長のリック率いる燈里専属護衛隊と燈里親衛隊のリーダーを務める薗咲晴香が率いる燈里親衛隊が燈里を守り抜いてきた。
ちなみにこの晴香、逃げ遅れたところにデモニック・ネメシスの攻撃を向けられ、無縫の手によって間一髪命を救われた例の女子生徒だったりする。
――だが、今回ばかりはいつもと様子が違った。
その身に纏うのは漆黒の軍服。背中からは漆黒に染まった天使の翼のようなものが生えている。
全員が泡粒をモチーフとしたような奇妙な紋章の描かれた仮面をつけ、軍服の襟章にも同じ紋章が使われていた。
少なくとも人外じみた姿をした明らかに敵意を持つ集団の出現に、晴香達は警戒を強める。
「……魔族かッ!? 何故ここに!?」
リック達は魔族と思われる敵勢力に殺意に満ちた視線を向ける。
少しずつ支持者を増やし、今や『豊穣の女神』と呼ばれている燈里。その求心力は凄まじいものがある。
魔族にとっては人間勢力の旗印になりかねない燈里の存在が邪魔になる筈だ。……いや、実際には魔族側に戦争の意思はないため、そもそもそのような考えを持つこともないのだが、リック達はその事実を知らないのである。
なお、求心力を持ち始めている燈里に危機感を覚えているのは寧ろ白花神聖教会だったりする。燈里が人気になることで白花神聖教会や女神エーデルワイスに対する信仰心が薄れることを危惧していたのだ。
しかし、教会としては燈里をもう少しだけ有効に活用したい、あわよくば説得して味方に引き入れたいという思惑があった。
襲撃を仕掛けてきたのが明らかに異形の姿をしているため、この点からも彼らが教会の刺客であるとは考えにくい。
『我々の名は「Yesterday Once More」』
くぐもった声がどこからか発せられると同時に仮面の男達は一斉に軍刀を抜刀する。
それと同時に男達は一斉に燈里専属護衛隊と燈里親衛隊の面々に肉薄した。
それぞれ咄嗟に武器を構える晴香達。抜刀から攻撃まで数秒も間がなかった『即撃』と呼ぶべき一撃を防いだのは見事だった……が、その瞬間に勝負は決していたのだ。
「はっ離してください!! なんなんですか、貴方た――」
燈里の声が唐突に途絶える。襲撃を仕掛けてきた仮面の軍人の手刀が燈里の意識を刈り取ったのである。
「――ッ!? 燈里ちゃん!!」
状況は最悪の一言に尽きる。それでも、晴香達は燈里を助けようとした。
だが、晴香達は仮面の軍人に阻まれて燈里の元まで辿り着けない。
前線で戦い続けている訳ではないとはいえ晴香達は異世界から召喚された勇者であり、リック達はルーグラン王国でも優秀な騎士達だった。
そんなルーグラン王国の上澄の戦力として数えるべき彼ら彼女らと仮面の軍人達の実力は伯仲していた。それどころか、仮面の軍人達の方が優っているのかもしれない。
何故なら、彼らの目的は晴香達を殲滅することではないのだから。
『――目的は達した』
気絶した仮面の軍人が地を蹴ってどこかへと去っていく。その後を追うように仮面の軍人達も晴香達を力任せに吹き飛ばしてから一斉にその場を後にした。
「燈里、ちゃん…………守れな、かった」
晴香達は仮面の軍人達を追いかけようとしたが、既に仮面の軍人達の姿は跡形もなく消えていた。
幸い、晴香達にはほとんどダメージが無かった。しかし、その心には深い深い傷が刻まれることとなる。
その日、異世界召喚された勇者一行から二人目の行方不明者が出た。
燈里の行方はその後、ルーグラン王国によって調査されたが、残念ながら現在に至るまで燈里の行方を指し示す情報は入ってきていない。
◆ネタ解説・百二十四話
機械仕掛けの神
演出技法の一つ。
古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ神のような存在が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。
「Yesterday Once More」
カーペンターズが1973年に発表したシングル「Yesterday Once More」では多分ない。
元ネタは2001年4月21日に公開された『クレヨンしんちゃん』の劇場映画シリーズの九作目『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』に登場したケンとチャコをリーダーとする秘密結社。
作中では時風燈里を攫うために現れたが、その目的は不明。燈里専属護衛隊の面々は魔族ではないかと睨んでいたか、様々な疑問が残る。
えっ? 名前からなんとなく正体が明らかだって? 気のせい気のせい。忘れてくれて大丈夫です。