カイツール区画の領主は腐り切った腐女子の有翼の乙女のようだ。ペンネームはフレスベルグのハルピュイアなのにラタトスクという名前らしい。いかにも曲解カップリングを生み出しそうな名前である。
――その日、カイツール区画は常識を根底から粉々に打ち砕く様々な事象に遭遇することとなった。
例えばそれは、巨大な鉄のドラゴンの如き存在。一人の女性を乗せたドラゴンは天空の城へと飛翔する。
例えばそれは、空を駆ける純魔族の少女――謎のドラゴンと並走するという人外じみた動きで天空の城へと迫る。
その隣には翅を羽撃かせる小さな妖精の姿もあった。
当初は襲撃者を警戒した天空騎士団の面々だったが、すぐに彼女達に敵対の意思がないと分かると腕章をつけていないこともあってそのまま天空の城へと通した。
「天空騎士団の隊長を務めるアデール=オーキュペテーだ。天空の城に来た目的をお尋ねしたい」
「天空の城で行われる幹部巡りの見学者じゃ。これから天空の城へとやってくる無縫、レフィーナ殿、レイヴン殿の試合の見学を希望する」
「承知した。だが、残念ながらご期待には添えないようだ。私達がその三人の捕縛に成功し、天空の城には辿り着かせないのだからな! 天空騎士団! これより、幹部巡りの挑戦者との交戦に入るッ!!」
アデールの指示のもと巨大な槍を持つ有翼の乙女が一斉に飛び立つ。
その狙いは、空中を蹴りながら空を走る人間――無縫と、妖精のような翅を持ち飛翔するエルフの女性レフィーナ、そして翼の扱いに難儀しつつもなんとか空を飛ぶことができているレイヴンの三人だ。
「き、来ているでござる!! 天空騎士団!」
「……流石に交戦する気満々だな。命までは流石に狙わず適当に弱らせてから捕縛って流れだろうが……しかし、面倒だな。攻撃を仕掛けて万一重傷を負わせてしまったら遺恨が残る。回復魔法で傷は治せるけど、一々治癒しつつ天空の城を目指すとなれば効率がいくら何でも悪過ぎる。それに傷は治っても痛いものは痛いだろう? だから取れる選択肢は二つ。一つは俺達が天空の城に到着するまで襲撃を仕掛けてきた騎士達を拘束する。空間魔法で創り出した異空間が望ましいかな?」
「とんでもない作戦ね。でも、物理的に騎士の数を減らすのは良い案だと思うわ」
「中に珈琲とお茶菓子でも用意しておけば収容されている間のストレスも減らせるだろう。それと、もう一つは物理的に俺達に攻撃できないようにする方法。こっちの方がコストもあんまりかからないし現実的だ。さて、どっちがいい?」
「あっ、これ拙者達に選択する権利があるんでござるか!?」
「俺としてはどっちでもいいからね」
「じゃあ、後者かしら? 後者の方がコストが掛からなくて現実的ならそっちの方が良さそうね」
「了解」
さて、アデールの指示のもと襲撃を仕掛けた騎士達だったが、唐突に攻撃の手が止まる。
無縫達の周囲に、三人を守るように謎の見えない壁が出現したのだ。
魔法の結界が張られたのではないかと考えた騎士達は魔力を凝縮して纏わせた槍で攻撃を仕掛けるが、その槍は謎の力場に阻まれて音を立てて弾かれる。
「な、何が起きているんでござるか!?」
「まるで、そこだけ空間が歪んでいるようだか……一体何をした!?」
レイヴンと女性騎士の双方から驚嘆の声が飛び出す。
「空間魔法の応用で空間を歪ませて障壁のようなものを作り出したんだ。空間に作用して創り出した障壁だから、当然ながら破壊するためには空間に作用するほどの破壊的なエネルギー、或いは空間そのものに作用する魔法が必要となる。この空間障壁は俺達を取り囲むトンネルのようなものになっていて、地上と天空の城を結んでいる。つまり、天空騎士団の皆様は俺達が飛んでいくのをただ黙って見ているしかないってことになる」
「……勝負あったわね」
「くっ……もう一度全員で攻撃を仕掛ける。破壊できなかった場合、挑戦者達の証言を真と置き、捕縛任務を放棄する! 全員、構え!!」
アデールが再び指示を出し天空騎士団所属の有翼の乙女の騎士達が攻撃を仕掛ける……が、全ての攻撃が弾かれてしまう。
アデールはその瞬間、自分達では無縫達の捕縛は不可能だと確信。無縫、レフィーナ、レイヴンの三人を見逃すことを決め、他の幹部巡りの挑戦者達に狙いを定める。
この瞬間、無縫達の試練クリアが決定的なものとなったのだ。
◆
無縫達がアデール率いる天空騎士団を掻い潜り、天空の城ハーピィ・シャトーがある浮島に辿り着くと一人の有翼の乙女が無縫達の前に降り立った。
どうやら彼女に敵意は無いらしい。
「皆様は試練に合格致しました。改めまして、天空騎士団所属のイリィーシャと申します。騎士団長は引き続き他の挑戦者の方々の対応をする予定なので、騎士団長に代わり皆様を領主公館へとご案内致します」
イリィーシャを先頭に無縫達は領主公館――天空の城ハーピィ・シャトーを目指す。
その道中でフィーネリア、ヴィオレット、シルフィアとも無事に合流を果たした。
ちなみに、無縫達の前方にも後続にも他の挑戦者の姿はない。無縫達が一番乗りだったらしく、他の挑戦者達はまだ騎乗用の空飛ぶ魔物の選定をしている段階か、天空騎士団の騎士達に追いかけられているかのいずれかのようだ。
挑戦者達が天空騎士団の騎士達の包囲網を突破できない姿を見るに、少なくともしばらくは新たな挑戦者が浮遊島に辿り着くことは無さそうだ。
領主公館に辿り着き、イリィーシャが領主公館の扉の前で警備をしていた二人の衛兵に一言二言伝えると、領主公館の扉が開いた。
真紅の絨毯で彩られた豪奢なエントランスに入ると、一人のメイド服に身を包んだ有翼の乙女がふんわりと無縫達の前に降り立つ。
「……試練を突破された幹部巡りの挑戦者の方々ですね」
「我々の守りを呆気なく突破して私の知る限り最速でこの地に辿り着いた、歴史に名を刻むかもしれない挑戦者達よ。それで、領主様にこれから三名との試合をお願いしたいのだけど……」
「それが、ですね……大変心苦しいのですが、今のイリア様はとても試練を担当できるような状況ではなく……」
「待って!? 天空騎士団には全くそんな情報入っていないわよ!!」
「ここしばらくは天空騎士団の皆様の活躍でここまで辿り着いた挑戦者も現れませんでしたし、もうそろそろ完成すると思うのでそれまで持ち堪えて頂ければ大丈夫かと報告をしておりませんでした。業務の方は既に前倒しで進めていましたので今のところ問題は起こっておりません」
「……はぁ、そういうことはしっかりと連絡してもらわないと。折角わざわざ挑戦しに来てくださったのに、領主様が試練を行える状況じゃないなんてここまで辿り着いて領主様に挑戦する気満々の挑戦者に伝えられる訳ないでしょう! ……この件はアデール騎士団長に報告します。その上で、アデール騎士団長の指示に従います。内勤の貴女方――使用人班からの苦情は受け付けないのでそのつもりで」
「…………委細承知しました」
内勤の使用人達には「甘え」があったのだろう。
ここまで挑戦者達を長きに亘って阻んできた天空騎士団の力があれば、領主がとても幹部戦をできる状態ではないことを報告せずとも問題ないと。
だが、結果として問題が生じてしまった。無縫、レイヴン、レフィーナという三人の挑戦者達がここまで辿り着いてしまったのである。
無縫達に一言断りを入れてから一人城を後にしたイリィーシャは十分ほどで戻ってきた。――アデールの指示を携えて。
「アデール騎士団長より許可を得たわ。イリア様の元にご案内なさい」
「…………承知致しました」
本来、内勤組の使用人達と外勤組の天空騎士団や衛兵の立場は対等なものである。
しかし、今回は完全に内勤組の不始末である。そのため、高圧的な態度で命令口調で指示を飛ばすイリィーシャに有翼の乙女のメイドは何も言い返すことができない。
有翼の乙女のメイドは無縫達を二階へと続く階段の方へと案内する。続いて右と左方向に伸びる廊下を右へと進み、ずんずんと奥へと進んでいった。
領主公館の執務室があるのは一階、かつて王城の応接室や談話室として使われた部屋を改装した部屋を執務室として使っている。
一方、二階の区画は領主のプライベート空間や使用人達の部屋が用意されている生活空間である。
それは即ち、領主である魔王軍幹部が魔王軍幹部の仕事以外の何かしらの事情で手を離せないということを意味しており……。
イリィーシャは有翼の乙女のメイドに案内された目的の部屋に辿り着くと、ここに異性である無縫やレイヴンがいることも気にせず強引に扉を開け放つ。
中にいたのはイリィーシャ達と同じ有翼の乙女の女性だ。
ダークブラウンから明るいブラウンへとグラデーションしていく茶色の髪、琥珀色に煌めく美しく澄んだ瞳。
有翼の乙女は美形揃いだが、その中でも彼女は一際美しい容姿をしているのだろう。
……無論、しっかりとお洒落をすれば、の話ではあるが。
折角の美しい髪は何日も洗っていないのかボサボサで、美しい瞳は分厚い瓶底眼鏡に覆い隠されている。
異世界の文字で「一筆入魂」と書かれた鉢巻を巻き、何日も洗っていないのであろう薄汚れたジャージ姿。
例え素材が美しい女性であっても、これほどまでにマイナス要素が蓄積されればどうしても残念系女子にしか見えなくなる。
明らかに古のヲタクの姿をした有翼の乙女の女性は一心不乱に筆を走らせながら「時間が、時間が……新刊を同人即売会で販売する予定なのに……」と譫言のように繰り返していた。
「……この世界、同人誌ってあるんだなぁ。本当に変な異世界だなぁ」
「どこかの異世界転生者が持ち込んだのか? ごくたまに遭遇する異世界にある筈がない文化の流入じゃな」
「というか、どんな同人誌書いているの?」
「……イリア様はラタトスクというペンネームで百合とBLをメインとした同人誌を執筆しております。界隈ではそれなりに名の知れたお方です」
有翼の乙女のメイドの返答に無縫がほんの少しだけ顔を顰める。
ちなみに、レイヴンとレフィーナは同人誌という概念を知らないのか、揃って首を傾げていた。
「薄い本、しかもBLと百合……百合は、まあ、ともかくBLは腐っているとしか言えないなぁ! 腐女子を量産する腐女子量産機かよ! というか、元祖腐女子!? ラタトスクって名前も嫌な印象しかないんだが……ユグドラシルの梢に住んでいるフレースヴェルグと、根元に住んでいるニーズヘッグを中継して喧嘩を煽り立てている厄介な奴をペンネームに据えるのってどんな感覚しているんだよ!!」
「誰かは知らないですけど、失礼な人ですね!! 大体なんなんですか!? 締切が近くて忙しいんです! 帰ってください!!」
「幹部巡り挑戦者だボケが!! 俺は同人作家にはいい思い出がないんだよ!! たく、好き勝手書きやがって!! 茉莉華の奴、魔法少女プリンセス・カレントディーヴァとカップリングさせた同人誌が出た日には薄い本描いたサークルに襲撃を仕掛けてようとしたこともあった。内藤さん達に止められて致し方なく断念したけど」
「……本当に無縫君、何やらかそうとしているのよ!?」
「ちなみに長文の抗議文をサークルに送りつけたし、茉莉華の奴も【スターライト・トゥインクル】のメンバーに説得されて武力行使を諦めて長文の抗議文を送りつけたらしい。……本当に思考回路が似通っているみたいに思われるから話を聞いた時に最低な気分だったよ」
「まあ、当のサークルのトップの同人漫画家東京都在住二十八歳女性は『推しから届いた手紙』とでも勘違いしたのか嬉々としてその抗議文をSNSに投稿していたようだがな……」
「メンタル強いわよね、あの人達も」
「男性と女性の恋愛なんて何がいいんですか! いいですか!! 男の人は男の人同士で、女の子は女の子同士で恋愛すべきなのです!! 分かりましたか!! 分かったと言えッ!!」
「……全く、なんでこんなんが、魔王軍幹部やっているんですか!」
「こんなん、ってなんですか!? 酷くないですか!?」
「……魔王軍幹部は実力主義です。強さが最も大きな評価要素となります。このお方は有翼の乙女の中でもフレスベルグの力を有する【フレスベルグの有翼の乙女】、特別なお方であり、高い戦闘能力を有しておられるのです。……職務よりも同人活動を優先しておられますが、その強さ故にそれが認められているのです」
「……なるほど、メープルさんや白雪さん、アルシーヴさんやエスクードさんみたいなしっかりと職務に忠実な幹部殿達とは違うってことだな。……とにかく、同人作家に与える慈悲はない。単刀直入に言う! 俺達は幹部戦の挑戦者だ! しっかりと試練には打ち勝った! とっとと魔王軍幹部戦の準備を整えろ!!」
「そ、そんな横暴な!!」
「さ、流石にこの姿のイリア様を外に出す訳には参りません! こ、ここは我々メイドがしっかりと準備を致しますので!!」
「待ちなさい! 後少しで、後少しで完成するのよ!!」
「そう仰られてから、もう三日です!! 流石に挑戦者の方々を待たせるのは……」
「埒が明かない。……レフィーナさん、レイヴンさんを部屋から退出させてくれ」
「ど、どういうことでござるか!?」
「要するに外に出ていける身なりにすればいいんだろ? 俺がなんとかする」
「さ、流石に男性の方にお願いする訳には――」
「これでもまだ問題が?」
無縫は瞬時に魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスに変身して、有翼の乙女のメイドを睨め付ける。
例え数人で束になって挑んだとしてもイリスの説得ができない有翼の乙女のメイドは魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスにそれ以上何も言えず、レイヴンとレフィーナを別室へと案内した。
ヴィオレット、シルフィア、フィーネリア、イリィーシャも去っていき、部屋には魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスとイリアだけが残された。
「た、助けて……イリィーシャぁ、ミリィアぁ……」
イリアの涙声が響く中、魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスが仄暗い笑みを浮かべ……そして、イリアの部屋の扉がバタンと音を立てて閉まった。
◆ネタ解説・百二十一話
ラタトスク
北欧神話に登場するリス。
世界樹ユグドラシルの幹に住み、頂の大鷲フレースヴェルグと根を齧る竜ニーズヘッグとの間を行き来し、互いのメッセージを伝えている。
だが伝える内容はラタトスク自身が滅茶苦茶に誇張しているため、両者の仲が非常に険悪だと言われている。
百合とBLの同人誌を執筆する作家のペンネームにこの名前がつけられた時点で火種になる予感しかないんだよなぁ。……今回はとばっちりだったけど。
ニーズヘッグ
「怒りに燃えて蹲る者」を意味する名前を持つ北欧神話に登場するドラゴン。
『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』第十五章によれば、ニーズヘッグはニヴルヘイムのフヴェルゲルミルの泉に多くのヘビと共に棲み、世界樹ユグドラシルの三つ目の根を齧っている。
その傍ら、『古エッダ』の『グリームニルの言葉』第五十五節によれば、リスのラタトスクを介して樹上の大鷲フレースヴェルグと罵り合っているという。
フレースヴェルグ
「死体を呑み込む者」の意味する名前を持つ北欧神話に登場する鷲の姿をした巨人。
本作ではフレスベルグという表現も使われている。
『ヴァフスルーズニルの言葉』第三十七聯によると世界のあらゆる風はフレースヴェルグが起こしたものであるという。
またスノッリは『ギュルヴィたぶらかし』の中でこの部分を引用し、フレースヴェルグがいるのは天の北の端であり、また風が起こるのはフレースヴェルグが飛び立とうとして翼を広げるからだと補足している。
鷲の姿をしていることや、その名前が「死体を呑み込む者」を意味することから、『巫女の予言』第五十聯に言及される、ラグナロクのときに死者をその嘴で引き裂くとされている鷲は、このフレースヴェルグであるという説がある。
本作においてはツカサ氏のライトノベル『銃皇無尽のファフニール』に登場する抗体竜種の一体であるイエロー・ドラゴン/"黄"のフレスベルグから大きく影響を受けており、魂に纏わる力を操ることができるという設定が付与されている。