高遠敦と高遠花鈴〜敬愛する師匠夫妻に捧ぐ、ブラックルシアン〜
ホテル『ロイヤルトゥインクル』の最上階、『ステーキ処 IWAMI』。
ドレスコードのある店内では昼の略礼装であるダークスーツを着用した男性やワンピース、スーツを着用した女性客が思い思いに食事を楽しんでいる。
中には昼の正礼装であるモーニングコートに身を包んだ男性客やアフタヌーンドレスに身を包んだ女性客もおり、大日本皇国の大都市東京の地上六十二階はある種、地上世界とは隔絶された上流階級の世界と化していた。
男女共にウェイターユニフォームを纏った精鋭のホールスタッフがそれぞれのテーブルの担当に割り当てられ、行き届いたサービスを提供する。
『ステーキ処 IWAMI』が高い評価を獲得している裏には、料理の美味しさだけではなく、この行き届いた従業員のサービスが正当に評価されているということもあるのだろう。
さて、一度宿屋『鳩の止まり木亭』に戻って正装に着替えた無縫一行は時空の門穴を通って『ロイヤルトゥインクル』の最上階のエレベーターホールへとやってきた。
当然のように無縫は魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカス、シルフィアも魔法少女シルフィー=エアリアルに変身しており、それぞれ藍色と深緑色をそれぞれ基調としたイブニングドレスを着用している。
ヴィオレットは真紅、フィーネリアは橙、レフィーナは黄色、タタラは緑色、スノウは水色のイブニングドレスを着用しており、この中で黒一点となってしまったレイヴンはモーニングコートに身を包んで借りてきた猫のようになっていた。
まさか自分が美少女や美女に囲まれてある種のハーレム状態になるとは想定もしていなかったのだろう。あの時、無縫に向けられた「羨ましい」という嫉妬混じりの視線がそのまま自分に返ってきたようでレイヴンはブルリと震えた。
純魔族、妖精、エルフ、――女ドワーフや雪女はともかく明らかに人間ではない要素を持つレイヴン達を見ても従業員達は動じた素振りもない。それどころか客達もあまり驚いていないようだ。
強いていうならヴィオレットの方を向いて少し顔を顰めた客もいたが、それは容姿というよりももっと別の何かが要因のように思える。
「お待ちしておりました、庚澤様とお連れ様。後ほど当店総料理長の祝井が給仕を担当させて頂きますが、それまでの間、私齊藤が担当させて頂きますのでよろしくお願いいたします」
黒い髪をポニーテールで結えたカッコいい系の美女が魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカス達に一礼してから席へと案内する。
梟帥が自ら給仕を担当することなど滅多にない。それこそ、国賓クラスや祝井と親交のある政府高官クラスが訪ねてきた時くらいである。
勿論、梟帥が来るまでの繋ぎの担当を引き受けた齋藤真琴も只者ではない。彼女は『ステーキ処 IWAMI』本店のフロアマネージャー、つまりフロアスタッフの頂点に君臨する人物である。
『ステーキ処 IWAMI』の創業当時から、スタッフとして働いてきた真琴は他のホールスタッフよりも更に頭一つ抜きん出た実力の持ち主だ。更に冷静に状況を見極めて的確に指示を飛ばすこともできる。
彼女無くして、『ステーキ処 IWAMI』が有名店になることはなかった……とは流石に言えないものの、その力が『ステーキ処 IWAMI』の評判を高めていることは言うまでもない。
「皆様、本日はスペシャルランチコースでよろしいでしょうか?」
「本日はジャンクフードの気分なのじゃ。ということで、例のものを頼む」
「承知致しました。それでは、ヴィオレット様のみ特別ハンバーガーセットをご用意させて頂きます」
フィーネリアはメニューを読んであまりの豪華さに恐れをなし、文字は読めずともフィーネリアの雰囲気から全てを察したスノウ、レフィーナ、レイヴンがガタガタと怯える中、既に話がついていたのか真琴がメニューを確認する。
躊躇なくメニューの変更を依頼したのはヴィオレットだけ。それも、高級ステーキ店を侮辱するようなジャンクフードの注文だったが、既に慣れているからか、将又従業員としてのスキルの高さ故か、真琴は嫌な顔を一つせず飲み物の要望を聞いてから去っていった。
「全然メニューが読めないでござるが、スペシャルコースの内容ってどうなっているでござるか?」
「白桃のソルベとヴィシソワーズ、フォアグラのテリーヌとコンソメジュレ、ズワイ蟹と和風出汁の洋風茶碗蒸し、夏野菜と鱧炙りのバイヤルディ・フレッシュトマトとシェリーヴィネガー、特選A5ランクフィレ肉ステーキ、バニラアイスと季節のフルーツ、炭火珈琲または紅茶と小菓子の構成ですよ。後は注文した飲み物ですね。……ヴィオレットの方はメインの特選A5ランクフィレ肉ステーキがラグジュアリーハンバーガーに変わり、付け合わせのポテトなどが追加されています。『ステーキ処 IWAMI』が看板背負って作ったメニューなので当然美味しいですが、このような場所ではあまり好まれない料理ですね」
「でも、食べたいんだから仕方ない」
「……まあ、そうなんだけどね」
悪びれないヴィオレットになんとも言えない顔になる魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスだった。
◆
コース料理が順番に運ばれてくる。一品一品を口に運ぶたび、フィーネリア、スノウ、レイヴン、レフィーナは食という概念の常識を破壊されるような、そんな感覚を味わった。
果たして自分達は元の食生活に戻れるだろうか? 満足できるだろうか? そんな不安に苛まれる。
「嬢ちゃん坊ちゃん達、心配になっているだろうが大丈夫だぜ。確かに人は美味しいものを知ったら知る前には戻れなくなる。だが、それでいいじゃねぇか。美味しいものを知らずに生きるより、最上のものを知った上で生きる方が人生は豊かになる。俺の師匠、高遠先生の言葉だ。美味しい料理をご褒美として、今日一日を、一週間を頑張る。美味しいものってのはモチベーションに繋がるんだ。それって素晴らしいことだと思わないか?」
「……祝井さん、圧強いですよ。四人とも引いちゃっていますよ」
「おっとすまない。まあ、思い思いに楽しく食べてくれよ!」
黒いコックコートを纏った豪放磊落な料理人、祝井梟帥に魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスが冷たい視線を向けると梟帥は持論を展開するのをやめた。
「全く、困った人だなぁ」と魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスは隠す素振りすら見せず溜息を吐く。
一流の料理人である梟帥。そんな彼にこのような態度を取れる人物などほとんどいないだろう。逆に言えば、無縫と梟帥はそれだけの信頼関係を築いているってことである。
「無縫、お前のブレンド、店で使わせてもらっているぜ! 本当にありがとうな! 客からの評判も上々だ。やっぱり珈琲については右に出る者はいないな! ということで、俺の店で出しているブラック・ルシアン、感想を聞かせてもらえないか?」
「世界的料理人にそう言って頂けるなんて光栄です。折角のご厚意に甘えさせて頂きますね」
【闇よりなお深い暗黒を湛える地獄よりも熱く苦い無縫ブレンド】を蒸留酒に浸透されたコーヒーリキュールにウォッカを組み合わせ、ブラックルシアンを作り上げる。
「美味しいですね。流石は祝井さんです。珈琲の香りと、甘味とほんの少しの苦味のバランスがクセになります。ただ難点はアルコール度数が高いことですね。魔法少女の身体はアルコールが効かないので大丈夫ですが、人間体だったら三杯以上は厳しいかもしれません」
「まあ、その年で三杯飲めるのは十分凄いと思うけどなぁ。無縫にお墨付きをもらえるなら胸を張ってお店に出せるぜ! 師匠にも喜んでもらえるかもな?」
「高遠さんですか?」
「ああ、高遠先生と奥さん、花鈴さんの結婚記念日が近くてな。二人を祝おうと秘密裏にちょっとした会を計画しているんだ。ただ、どんなメニューを出そうか検討中でな、ブラックルシアンを出してみるのもいいかもしれないと思ったんだ」
「それは光栄なお話ですね。良い会になることを心よりお祈り致します」
◆
楽しいランチの時間は恐ろしいほどに早く過ぎていく。
バニラアイスと季節のフルーツを食べ終え、最後の炭火珈琲または紅茶と小菓子まで到達してしまった。
とはいえ、その間ただ食事に舌鼓を打っていた訳ではない。午後からの予定もしっかりと話し合っていた。
「キムラヌートは終盤として、アィーアツブスは攻略済み、ケムダーは不在となると……難易度順だとツァーカブ区画、次点でカイツール区画でござるな」
「ツァーカブ区画は経由したことがあるのですぐに時空の門穴で向かうことができそうですね」
「なら、ツァーカブ区画に行くのが良さそうね。もし、今日の挑戦ができそうにないなら明日に回してカイツール区画に行くってのはどうかしら? 流石にどちらも挑戦できないってことはないでしょうし」
「当日に挑戦希望を出しても余程遅い時間じゃなければ幹部巡りは挑戦できるものでござる。きっと、少なくともどっちかは挑戦できると思うでござるよ」
珈琲や紅茶、小菓子を味わい尽くした魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカス一行はお会計を済ませて梟帥に夜にもう一度来店する旨を伝えた後、店を出て時空の門穴を開く。
宿屋『鳩の止まり木亭』でスノウと分かれ、着替えた後(正装はまた着る機会があるかもしれないということで、それぞれにプレゼントということになった)、時空の門穴を開いてツァーカブ区画へと転移した。
◆ネタ解説・百十八話
『ステーキ処 IWAMI』
祝井梟帥がシェフを務めているのに、IWAIではなくIWAMIと付けられた理由はロゴとしてIWとMIが点対称の形になっている方が見栄えがいいというものらしい。
ブラック・ルシアン
ウォッカをベースとしたコーヒー風味のカクテル。
第二次世界大戦後にベルギーのブリュッセルにあるホテル・メトロポールでチーフバーテンダーを務めていたギュスターヴ・トップが考案した。
氷を入れたロックグラスにウォッカとコーヒー・リキュールを注ぎ、軽く混ぜて作る。
◆キャラクタープロフィール
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・祝井梟帥
性別、男。
年齢、三十九歳。
誕生日、八月四日。
血液型、A型RH+。
出生地、千葉県我孫子市。
一人称、俺。
好きなもの、料理、楽しい食事風景。
嫌いなもの、特に無し。
座右の銘、「美味しいものを知らずに生きるより、最上のものを知った上で生きる方が人生は豊かになる」。
尊敬する人、高遠敦。
嫌いな人、特に無し。
職業、『ステーキ処 IWAMI』総料理長。
主格因子、無し。
「黒いコックコートを纏った豪放磊落な料理人。敦の弟子の一人であり、敦の縁で惣之助や無縫とも繋がりがある。優れた料理人として高い評価を受けているが、自分の力に慢心せず得意分野は他者に任せることができる柔軟さも兼ね備える。コーヒー分野においては無縫の方が上だと判断しており、助言を求めたり協力を得たりしている」
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・齋藤真琴
性別、女。
年齢、二十八歳。
誕生日、二月十八日。
血液型、B型RH+。
出生地、福島県福島市。
一人称、私。
好きなもの、海鮮サラダ。
嫌いなもの、特に無し。
座右の銘、「迅速なる給仕、気分のいいサービス」
尊敬する人、祝井梟帥。
嫌いな人、特に無し。
好きな言葉、特に無し。
嫌いな言葉、特に無し。
職業、『ステーキ処 IWAMI』フロアマネージャー。
主格因子、無し。
「黒い髪をポニーテールで結えたカッコいい系の美女。『ステーキ処 IWAMI』の創業当時から、スタッフとして働いてきた古参メンバーで、他のホールスタッフよりも更に頭一つ抜きん出た実力の持ち主。更に冷静に状況を見極めて的確に指示を飛ばすこともできる。『迅速なる給仕、気分のいいサービス』をモットーに、お客様に『素晴らしい時間だった』と感じてもらえるサービスを提供できるよう心がけている」
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