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回想シーンから物語が始まることってありがちだよね? って話。

 大男の脚が猛烈な勢いで少年の腹へと放たれた。

 既に顔面はボコボコになり、身体のあちこちから血を流していた少年は、腹部に蹴りを喰らった衝撃で血を吹き出す。


 しかし、それほどの暴力に晒されても少年が少女――白石(しらいし)美雪(みゆき)を庇う姿勢を崩すことはない。

 そんな少年の態度が気に食わなかったのだろう。男達の暴力は更に苛烈さを増した。


 その日、美雪は雷鋒市の商店街に一人買い物に来てきた。

 人口約四十万人、都心へ地下鉄一本で行ける好立地のベッドタウンとして親しまれてきた雷鋒市は近年になって再々開発が行われている。より便利に、より住みやすい街に、というコンセプトで高層マンションの建設ラッシュや大型ショッピングモールの誘致などが進められている一方、昔ながらの街並みも残り、現代と過去が共存する混沌とした地域になっている。


 その景観がそのままそこに暮らす人々にも当て嵌まり、上流階級から庶民まで幅広い人々が暮らしていた。高級住宅地のすぐそばでホームレスが貧しい暮らしを送る姿は、まさに社会の縮図であると言えるかもしれない。


 そんな雷鋒市で暮らす人間の中には真っ当ではない者達もいる。その混沌とした地域の性質、都市から近いという立地から様々な非合法組織の人間が裏で暗躍してきた地域でもあった。

 特に歓楽街周辺の治安は最悪であり、麻薬の密売、人身売買などなど多くの犯罪が日常的に行われている。

 警察も動いてはいるが、犯罪組織側も巧妙でなかなか摘発ができないというのが実情だ。


 今回、美雪が買い物のために訪れたのは歓楽街からも距離のある商店街だったのだが、ここも決して安全では無かったらしい。


 男達は人身売買を生業とする暴力団の下部組織の者達であったらしい。

 必死に逃げようとするも、徐々に距離を詰められ……恐怖に駆られて何もできなくなってしまった美雪の元に現れたのが件の少年であった。


 怯えている少女を救うために現れたヒーロー気取りの少年に神経を逆撫でられたのだろうか? 男達の標的は少女から少年に切り替わった。

 どれだけ時間を掛けても問題はないという自信が彼らにもあったのだろうか。すぐにでも美雪を捕らえてこの場を立ち去るという選択肢を取れたにも関わらず男達は少年を甚振るという選択肢を選んでしまった。


「おいおい、どうしたァ? 格好良く登場してその程度かよ?」


「お前は商品になりそうにねぇからな! 日頃の鬱憤、晴らさせてもらうぜ!!」


 どうやら人攫いの実行犯である男達も大した報酬が出ず不満が溜まっていたようだ。しかし、裏社会も縦社会――素直に不満をぶつける訳にはいかない。

 大きい組織の庇護化に入っているからこそ仕事ができるということもある。そういった事情から溜まっていたストレスをヒーロー気取りの少年にぶつけて発散しようという考えだったのだろう。


「……一つ、いいかい?」


「おっ、遺言か? まあ、俺達も寛容だからな! 聞いてやってもいいぜ?」


「……チェックメイトのようだよ」


 少年がニヤリと笑った瞬間、路地裏に大勢の警察官が突入してきた。

 商店街と反対側も大勢の警察官が取り囲んでおり、男達の退路は完全に塞がれている。


「俺が蛮勇で、無鉄砲に飛び込んだと、本当にそう思っていたのか? ここに来る直前に警察には連絡済みだ。後は警察が駆けつけるまで耐え切れば俺の勝ち、俺が力尽きて少女が連れ去られれば俺の負けという実に単純な賭け事(ギャンブル)だよ。俺がお前達の注意を引きつけられた時点で半分は勝利していたということだ……まあ、それでも俺を殴殺して少女を連れ去るという展開もあった訳だけど、残念なことに俺の命はまだここで終わるものでは無かったらしい」


「――ざけんなよッ!! クソッ! そうなったらお前らを人質にして――ッ!!」


 男達の判断は完全に後手に回っていた。慌てて少年を人質にしようとするも、その前に警察官が傾れ込んできて白石を保護し、大男達も警察官に逮捕された。


「……さて、俺は失礼するよ。事情聴取はその少女にしてくれると助かる」


「ま、待つんだ! その怪我で……それに、君にも事情を聞く必要が」


 警察官の一人が少年を止めようとするが、少年は意に介した様子もなくその場を立ち去ろうとした。


「あっ……ありがとう……」


 恐怖から解放されたばかりの美雪は既にいっぱいいっぱいだったが、身を挺して美雪を守ってくれた少年になんとかお礼を伝えようと掠れた声で必死に言葉を紡いだ。


「お礼を言われるようなことはしていない。……しかし、残念だ。……また死ねなかったか」


 その時、振り返った少年の顔は今でも脳裏に焼き付いて離れない。

 この世の全てに絶望したような感情の抜け落ちた顔、闇よりも深い黒く濁った瞳。


「まあ、でも、ヒリヒリする賭け事(ギャンブル)ではあった。……予定調和なのが残念だけどね」


 その瞳に、白石美雪の姿など一片も映っていない。



 そして、時は流れて現在――。


 一時間目の授業を終えた雷鋒市立雷鋒高校の二年一組の教室の扉を一人の男子生徒が開けた。


 背中には学生鞄用のリュックサックを背負い、生欠伸を噛み締めた明らかに不健康そうな少年は到着早々にクラスメイトの大半から突き刺さるような視線を向けられた。

 無関心を貫かれるのはまだマシな部類、大半の者達からは舌打ちや睨み、中にはあからさまに侮蔑の表情を向ける者もいる。


 そういった分かりやすい反応を示す者達の大半は男子生徒だが、だからといって女子生徒達から好意的な視線を向けられる訳でもない。

 クラスメイトの大半がその男子生徒――庚澤(こうさわ)無縫(むほう)に対して大なり小なり悪印象を抱いているようだ。


 一方、無縫の方はというと鋼の心臓でも持っているのだろうか? 全く動じた様子もなく自分の席へと向かった。

 冷たい視線を向けるクラスメイトに対して僅かでも感情を動かさない無縫の姿をただ一人――凛々しい(かんばせ)で校内の女子生徒達から高い人気を誇る王子様風の美少女、黒崎(くろさき)波菜(はな)が遠くから悲愴感たっぷりの表情で見つめていたのだが、そのことに気づく者はいない。


 席について荷物を片付け始めた無縫の側に複数の男子生徒達が近づいていく。

 クラスメイトの大半が遅刻常習犯かつ早退常習犯という明らかに不真面目な無縫から距離を取っているのだが、一体何が面白いのかクラスメイトの中には無縫にわざわざちょっかいを掛ける者達もいるようで……。


「よぉ、キモヲタ野郎。また徹夜でゲームでもしていたのか? どうせエロゲでもしていたんだろう?」


「うわぁキモッ! 挙句、それで遅刻とか……ねぇよなぁ。もう学校辞めちまえよ! ギャハハ!」


 何が面白いのか絡んできた無縫にとっては面倒な生徒達――城野(じょうの)猟平(りょうへい)具堂(ぐどう)海介(かいすけ)久米島(くめじま)渉琉(わたる)に到着早々絡まれた無縫は心の中で溜息を吐いた。

 しかし表情にはおくびにも出さず、無縫は猟平達をいない者として扱い、淡々と荷物を片付けていく。


 そんな無縫のことが気に入らないのだろう。猟平達の悪口も次第にヒートアップしていった。

 いくら無縫が不真面目な生徒だとはいえ、彼に対して行われる仕打ちが――虐めが容認される理由などありはしない。


 しかし、無縫のクラスメイトの大半はそれを咎めることなく見て見ぬふりをしている。彼らもまた無縫を傷つける加害者なのだが、彼らはそれに気づいていないのだろう。


(……本当に悔しいね。()との約束さえなければ、無縫君の擁護に回れるのに。……無縫君が本当は凄い人だってことを伝えられるのに)


 波菜は心の中で己を呪った。ここで歯痒さを感じながら無縫のことを見守っていても、その行動は表面上は彼への虐めを見て見ぬふりをする生徒達と何ら変わらない。

 しかし、だからといって無縫の援護に回るという選択肢を取ることができないのも実情である。何故なら、波菜はある人物と約束を結んでしまったからだ。



 世間一般では時代の移り変わりと共にかつてオタクと蔑まれてきた者達も少しずつだが市民権を得てきている。

 しかし、そうした状況でも無縫に対する風当たり異様なほど強い。では、何故、男子生徒のほぼ全員が無縫に対して敵意や侮蔑を露わにするのか――その理由は火に油を注ぐとある女子生徒の存在にある。


「おはよう! 無縫君!!」


 ニコニコと微笑を浮かべて無縫に近づく少女に一瞥を与えた無縫の表情がほんの僅かだが不機嫌そうに歪んだのを波菜は見逃さなかった。


 波菜の異名が王子様であるならば、彼女――白石美雪の異名は女神というところか?

 腰まで届く濡れ羽色の髪と深雪や白磁を彷彿とさせる白い肌。まるで神が造形したかの如く大きな瞳と小ぶりな鼻、薄桃色の唇が完璧に配置されている。


 素晴らしいのは何も容姿ばかりではない。非常に面倒見のよく責任感も強いため誰からも頼られる。それを嫌な顔を一つせずに真摯に受け止めるのだから、高い人気が出るのも頷ける。

 教師達からの信頼も厚く、まさに絵物語に出てくる完璧超人のような彼女だが、何故か無縫をよく構うのだ。仮に無縫が美雪に釣り合う人物ならばともかく、無縫本人の容姿は決してイケメンではなく、普段の素行もマイナスになる要素しかない。


 ……まあ、当の無縫本人は面倒ごとを呼び込む美雪のことをあまりよく思っておらず、距離を取ろうとしているのだが。

 そうした無縫本人の気持ちを斟酌せず、「自分のことを危ないところから命懸けで助けてくれたあの少年に似ている無縫君」をなんとか振り向かせようと良かれと思って距離を詰めているあまりにも自己中心的な美雪の姿に、「本当に他者に寄り添える女神様なのかな? 私にはただの自分本位で身勝手な女にしか見えないんだけどね」と波菜が密かに呟いたのだが、その声は誰の耳朶も打つことはない。

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