合意
「……」
いつの間にか、保健室のベッドで寝ていた。
白いベッドに白いカーテン。
今、僕は制服を着ている。
カーテンの隙間には保険医の机とパソコン、保健に関しての本が並んで見える。
保健室の光景だ。
ズキズキと煩い頭を押さえながら僕は、起き上がった。
「…よぉ、アイツには、会えたみたいだな」
「…!?」
カーテンの向こうから人が現れた。
それは、中学生の頃の『僕』だ。
だけど最近まで見ていたアイツとは違う。
服はナイフで切られたようにボロボロで、火で焼かれたように制服の裾は黒く焦げて穴がある。
顔も手も傷だらけで、滲んだ血が体の至る所に見えた。
「何で…」
「この体か?昨夜、アイツに会ったんなら分かるだろ?これで分かったか?もう、俺らはただの精神状態じゃないってことだ」
『僕』の表情は明らかに疲れ切っている。
何があったのかは分からないけど、その姿で想像つく。
『僕』も"僕"にやられたんだ。
あの恐怖で意識が途絶えた先があったんだ。
そう思うと……『僕』に今更攻撃しようなんて思えない。
「……」
「俺だけじゃない。お前もそうだし、アイツもそうだ。体は今アイツに乗っ取られてるし、お前も俺も家に居れば殺される。だから記憶を辿ってこっちに逃げてきた。時間は関係なく進んでいるが、俺らの姿は一部を除いて誰にも見えてないから安心しろ。少なくともお前の覗く"平穏"は崩さねぇ」
「だからって、どうして学校なんだよ…。アレは一体何なの?」
「それは…」
『僕』が言いかけたところで、ガラガラと保健室の扉が動く音がした。
現れた影は小走りにこちらに近づいて、カーテンが開かれる。
「二人とも、大丈夫?」
白いカーテンが避けられた先、そこには瀬戸さんが居た。
どうして、ここに。
「せ、瀬戸さん…?」
「悪い、呼んで」
「ううん、良いよ。それに…成宮君が居なくなるのは、寂しいから」
何故か瀬戸さんは中学生の『僕』を知っているかのように返事している。
寧ろ『僕』も瀬戸さんを理解しているのか?さっき誰にも見えないって……
「成宮君…あ、えっと…どっちも成宮君だもんね。んー…じゃあこっちが成宮君、こっちを翼君って呼んで良いかな?」
優しさと別の『何か』を帯びた笑みが、瀬戸さんの綺麗で整った顔に浮かんで指を差された。
どうやら僕が成宮、中学制服姿の僕を翼と呼ぶようだ。
…僕もアイツを自分と呼ぶと混乱する。同じように呼ぼう。
「気にしないよ」
「ま、どっちも同じ存在だから普通に考えりゃめんどいわな」
「仕方が無いよ。いろんなことが起こって、精神が分断したりっていうのは人間の弱さだけど…結局人間の"心"の中で起きた最終的な『自己保護活動』だもの。
嫌なこと、耐え切れないことが起きて考えが別れれば、それぞれを拒絶してしまう。それが更に分断して新たな存在が生まれてしまえば…。…だから、生まれてからじゃ仕方が無いわ」
「でも、その保護活動がこんな結果を生むんなら世話無いぜ…」
翼の言葉に瀬戸さんは息を吐く。
そしてゆっくりと口を開いた。
「それは…それは、貴方達の時間がもう無いからよ。成宮君は気付いてるかわからないけど、翼君はわかってるんじゃない?心のどこかでは、気付いてたんじゃないの?その体、もう、辛いでしょ?」
「……っ」
言葉を詰まらせ、俯き、瀬戸さんを見る翼。
その表情には若干の焦りが見えた。
「いや、まだ大丈夫だろう。少なくとも、こいつの救済できる時間はな」
翼はびしっと、僕を指す。
「え…」
「…どうかしらね。翼君が危ないなら、少なくとも成宮君が危険ではないはずが無いの。
貴方達は云わば二重人格になっただけで、体も精神も元々は一緒のはず。
存在が分かたれたからと言って、別々の道を走ることは出来ない。貴方達二人で、"彼"を何とかするべきよ…」
「…そうか……」
目を瞑り、壁にもたれかかる翼。
腕を組み、静かに仰いだ。
その間に僕は、一番気になることを瀬戸さんに聞いた。
「…ねぇ、瀬戸さん。あれは、あの新しい"僕"はなんなの?すごく…冷たい目をしていた。まるで、全てを憎むような…」
「――あれはね、成宮君。あれは、成宮君の一番底にいる、深くにいる成宮君だよ。
一番深くにいて、今の成宮君が何をどう考えていて、何をしたいかを心の底で、本人さえも気づかない場所で一番強く考えている…深層心理の核。本当の、成宮君。
知識や記憶、何も持たず着飾りもしない、自分が本当にやりたいことだけを果たす為に生まれた存在。
何故彼が生まれたのか…それはね、貴方達がいつまでも合意できる結果を求めないからだよ。だから、彼が生まれるの」
「そんな…じゃあ僕は、自分が死にたいって考えてるってこと?」
「じゃあ…成宮君は彼に、何を言われたの?」
「え…?」
瀬戸さんの質問に、僕は過去を遡る。
ひやりと冷たい目。
憎悪と殺意の篭った、身の毛も弥立つ様な…
『ボクは、生まれ変わる。
そう、生まれ変るんだよ。
過去のぼくを殺したり、それを当然と思い偽者の毎日を送り、他人に変に思われるのを気にして、他人に心配されることが大切で、教師・生徒や学校自体がぼくの大事な居場所で、他人に優しくし、こそこそ隠れて本人も気付かない程度に偽った平和を生きていく…
そんな事はもう、有り得ない。
そう、有り得ないんだよ。
何故ならボクは、生まれ変わるから。
偽者でも良い、夢でも良い、瞬間の天国でも、ボクが抱えた幻想でも何でも良い!
キミ達の言葉が、もうボクにはどんな意味も成さなくなった今から、ボクは生まれ変わるんだ。
だからね、今までのぼくはさようなら。
とても、とても…最低な人間だったよ、キミは。』
今の言葉は頭の中で流れた筈だ。
だけど、あまりにも生々しいあの記憶はにたりとした気持ち悪い笑みを浮かべて、まるで目の前に現れたように僕の中にはっきりとその姿を映し込んだ。
それだけであの時の恐怖が再発して、僕は頭を抱えて叫んだ。
「あ…あぁ……うわあぁぁぁぁ―ッ…!!」
「…それが、成宮君の一番嫌いなもの。嫌いなものを壊して、成宮君として彼は生きる」
目の前が真っ暗だ。
瀬戸さんの声が遠くに感じる。
そうだ。
僕は、僕が嫌いだ。
だけどこの世界も嫌いだ。
目的も何も無い。
ただ、全てが嫌いだから、壊したい。
なんでも壊したい。
壊して、壊し尽くして、僕は…生きることを、やめたい…」
「今の成宮君はどう?生きることを続ける?やめる?」
じっと瀬戸さんの丸い目が僕を覗く。
僕自身じゃない、僕の心を覗くような、そんな目。
僕は、生きるの?それとも、生きることをやめるの…?
生きることをやめるって……死ぬってこと?
そんなの、嫌だ。
「…っ!……僕は、続ける。生きるのを、続ける…!」
「あのね、成宮君。私は思うの。人はこうなったら死を選ばない。そういうものだって」
僕の答えに瀬戸さんは今までに無い笑顔を見せた。
「これからの成宮君が、どうか自分に騙されません様に」
僕の手を握って、笑う。
「もう、私は要らないよね?心が別れても、二人が同じ道を目指せば元に戻るし、時間はかかるかもしれないけど、明るい未来も見えると思うの」
手を離して、僕の目をじっと見る。
「だからね、あとは…二人のやりたいようにやれば、彼も解ってくれるよ。頑張ってね」
にっこりと笑って、彼女は手を振った。
カーテンの奥へと消えてしまう訳ではない。
体が薄っすらと消え始めて、視界から消える。
消えてしまう。
「待っ――」
ベッドから身を乗り出して手を伸ばす頃には、彼女の姿は無かった。
キラキラとしたものが彼女が居た空間を舞っている。
「瀬戸…さん……」
まるでそこには何も無かったかのように、空間は日常に溶けていく。
そこには同じ年齢の少女がいた筈なのに。
何かあったら助けに来てくれる、クラスメイトが居た筈なのに。
まるでぽっかりと心に穴があいたような感覚、それでも僕の心の底にはぽつりと言葉が浮かんだ。
「……。僕は、素で生きることにするよ。嘘はつかない。例え言えなくても、言いたいことは言う。正直に生きる」
「俺はただ、お前の生き方が嫌いだっただけだ。分かってくれるなら別に何をしようと気にしない」
浮かんだ言葉を吐いたら許して貰えたような、そんな言葉が返ってきた。
今までに感じた嫌な感じも全然なくて、顔を見れば普通の顔をしていて…そう答える翼の返事に僕は安堵した。
「…あいつに会ってくるよ」
「当然だ。このまま俺達を潰されてこの後の人生も壊れるのは嫌だからな」
翼は吐き捨てるように保健室を出て行く。
僕はその背を追いかけ、僕の部屋で待つ"僕"に会いに行った。




