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目の前の死体

 あれから一週間が経過した。

だけど僕は至って普通で、以降何もなく、平穏に暮らしている。

あいつはなんだったんだろうか。

疲れてたのかはわからないけど、割とスッキリしたし…気にしなくていいかな。

そんな風に思えた。


「へぇ?スッキリ、ねぇ。あんたは軽い人間で良いねぇ」

「…!?」


 歩いていた廊下の先。

妙に静かで、落ち着いた廊下の向こう。

何かを企んでいるような笑みで、()()()がやって来た。


「……僕に、何か用?」

「つれねぇ反応だな。アンタは俺だってのにその態度かよ?」

「僕はキミを拒絶したはずだけど」

「拒絶したってな…人間変わらねぇんだよ…。自分の中の何かを拒絶したって、新たな性格を作ったって、今までの自分が消える訳じゃない。お前は、それがどういう事か分からないか?」


 まるで、(さげす)む様な目。

何かを憎んでいるような、何かを否定するような、そんな表情。

どこか偉そうで、どこか苦しそうで、腹が立つ。


「わからないね。とりあえず僕は、キミを拒絶したんだ。もう出てこないでくれるかな?」

「……わからないのは、お前の方だ。俺は常にお前の隣にいた。拒絶したお前の、な」

「嘘だ。今まで…」

「今まで、お前は俺を見ようとしていなかったんだよ。最近やっと、こうしてお前は俺を見るようになっただけだ。…なあ、こんなごっこ遊びはもう止めたらどうだ?」

「ごっこ遊び…?」

「あぁ、ごっこ遊び。だってそうだろ?いつまでも『フツウ』の人間を真似て変わらない日常を演じて、自分の周囲には優しさと愛想を振りまいて。

 お前がやっているそれは、被害者が自分を隠す為にやっている、ただの真似事。おままごとと一緒なんだよ。そんなごっこ遊びは、さすがに流行らねぇよ」


 アイツの表情は何かを知っているかのような口ぶりで。

だけど僕はその全てが気に入らなかった。

箱の奥底に沈めたのに、忘却したのに、溢れ出てこようとする記憶が腹立たしい。

こういう過去があるから、未来が明るく見えない。

折角手に入れた幸せの形が消えていく。

望んだものが、離れてく。

隔離したことで、拒絶したことで、安定した苦しみのない平和な日々が、離れていく?

そんなこと、僕は許さない。


「…真似事?おままごと?僕はそんな事はしていない。僕は常に本心でこうして生活してる!これが普通だ、僕が望んだ平和なんだ…!」

「……」

「なんで邪魔するんだよ…!そんなに否定した僕を気に入らないのか?だから僕を苦しめるのか?だから僕から、何もかも奪うのか!?」

「……」


 あいつは、何も言わない。

一文字の口。感情もなくじっと見つめるだけの視線。あしらうような態度。

気に入らない。

何もかもが、心底気に食わない。


「何か…言えよ…!」


 噴火する。

その表現はきっと正しい。

怒りに震える僕に、あいつは口を開いた。


「俺は、自分であるお前が、そうやっていつまでも被害者ヅラしているのが気に入らねぇ。何もかも、全てが揃うこの世界、その中の一番だ」

「…あぁ、そうだよな…。お前が僕を嫌いなのは…そうだと思うよ。……でも、僕はお前がいると好きだと感じた日々さえ、地獄と変わらない……全く一緒だ…」

「……っ」

「だから…今度は拒絶じゃない……」

「俺を、殺すのか」

「あぁ、お前を殺す。今度こそ…何度でも、だ」


 苛立ちや怒りが具現化したように、いつの間にか右手にナイフを持っていた。

それからはもう何も考えられなくて、まるで意識だけ引き剥がされたみたいに体と声だけが勝手に動いているような感覚だった。

気付けば客観的にしか物事を見れなくなっていく。

僕があいつに突っ込んで、体にナイフを刺し、そのまま押し倒した。

馬乗りになって何度も「死ね」を繰り返しながら、胸や腹にナイフを刺す。

一度だけじゃない。燃料投下されていたように、ずっと繰り返していく。

そんなに殺る必要はあったのだろうか?そんな疑問すら浮かばない。

ただ、ただ、生温かい血が周囲へ、自分へ、飛び散っていくだけの光景。

それなのに、あいつはずっと僕を睨んでいた。

視線から、表情から、「それで気が済むのか?」と言われてる気がした。


 僕は落ち着ける訳がなくて、何度も刺す。

気付けば僕自身も、あいつも、床も壁も真っ赤に染まって、天井にも血が飛んでいる。

ナイフが体を刺す感覚が、僕の手にも伝わって、気持ちが悪い。

それでも、僕は手を止めなかった。

止められなかった。

何度も叫んで。叫んで。全身から力が抜けて。

気付けば手に持っていたナイフは消えていて、ナイフを握っていた手だけが、床を刺している。

僕は床に座り込んで、何かを床に突き刺しているような動作で、止まっていた。


「……成宮君、大丈夫?」


 その光景は周りにどんな風に見せていたのだろう。

いつの前にか、僕に向かい合うように瀬戸さんが座っていた。

まっすぐに僕を見て、瀬戸さんの温かい手が、僕の手を包み込む。


「ねぇ、成宮君。お話聞いてあげるから…教室に入ろ。大丈夫、成宮君の好きな現実は逃げないよ」


 にこりと微笑む瀬戸さんに引かれ、僕は誰もいない教室へ向かった。

中に入れば「どうぞ」と促されて適当な椅子に座る。


「はい、まずは飲み物。成宮君は何が好きか分からないからお茶にしちゃったけど…よかった?」


優しい表情で向かいに座る瀬戸さんはそう言いながら、カバンの中から紙パックのお茶を2本取り出した。

にこりと笑っては僕の前に1本置かれたので、何気なく手に取ってみるとひやりと冷たい感触が響く。

まだ買ったばかりなのだと気付いた。


「……ありがとう」


 何をするにもやる気が起きなくて、寧ろ何もせずそのままでいたいのに。

無意識に動く僕の体は飲み物を欲しがっていた。

喉を通るお茶は冷たさが口から胃へと流れていく。

そんな当たり前の感覚に少し癒された。


「こんな気分になったらね、冷たいお茶を一口飲んで、一気に息を吐くと良いんだよ。そしたら、良いことも嫌なことも全部忘れて、何も無い空を見るの。すると、この世界が異様に悲しいものに見えてくるの…」

「…悲しいもの?」

「そう、悲しいもの。この世界は色は鮮やかで、空も海も山も生き物も綺麗。だけど生きる為には何かを殺さないといけない。生きる為には何かと対立して、戦わないといけない。

 人の歴史だってそう。色んな思いがあるから良いことも悪いことも起きて今がある。…でもね、鮮明に覚えるのはいつも悪いことの方なんだ。だから、その全てが悪いように見えてくるの。きっと自然が悲しいから皆そうなのね。だから私達もきっとずっと戦わないといけないの」

「戦う?一体何と…」


 そもそも何の話をしているのだろう?

瀬戸さんは一気に視線を落とし、目を瞑って小さく答えた。


「自分自身と、だよ」


 時を忘れたように教室の静けさが増す中、瀬戸さんが出した答えに僕は黙るしかなかった。

これは僕の話だ。

ついさっきまで"あいつ"と戦っていた、僕自身の話。


「人には必ず、敵がいるの。自分自身っていう敵が。敵はこの人だ、とかこの軍団だ、とかよく聞くけど…その人たちは本当の敵が何処にいるのか気付いていないだけ。

 本当の敵に気付いている人は沢山いるんだよ?生まれてからどれぐらいの時が過ぎて現れるのかはその人次第だけど、敵は必ずやって来る。

 敵との戦いを終結させて、やっと私達は本当の現実を見ながら生活が出来るの…」


 瀬戸さんの話はどこかスケールが大きく感じて、だけどそうだと思う部分が無い訳ではない。

それよりも一番気になったのは、喋っている瀬戸さんの表情が一番悲しそうに見えたことだ。

この人も、自分自身と戦っているのだろうか。


「……瀬戸さん…は…戦ったの…?」


 聞けない訳がない。

今自分の状況が自分一人だけだなんて思いたくない。

どうにかできる方法があるのなら、聞いてしまいたいと思った。


「うん、戦ったよ。今はもう、普通の生活ができてるよ」

「この戦いに…終わりはあるの?」

「うん、あるよ。それぞれが、気に入る結果になれば…それは戦いの終わりだと思う」

「…そっか…」


 ふぅ、と瀬戸さんは一息つく。

だけどすぐに真剣な表情になって、瀬戸さんは口を開いた。


「成宮君は、どうするの?過去の自分を拒絶する?それとも肯定する?どちらにしても、成宮君は()()の合意を経てその結果を出さなきゃいけない事、忘れちゃダメだよ。お互いに納得しないと、いつまでも逃げてる結果になっちゃうから」


 まるで忠告とも聞こえるその言葉は、僕の考えを読み取っている気がして。

改めて僕は今の状況を見つめ直す。

過去の僕と、今の僕が同意できる結果。

僕は過去の僕を拒絶したい。消滅させたい。

出来るなら、今すぐにでも。

それが僕の理想であり、希望だ。

過去の僕は、何が望みであり、理想なのだろうか――。

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