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…死ね…っ!死ね…っ!死ねぇ…!!――!」

「――……!!」


 ばっ、と顔を上げると、目の前には長閑な授業風景が広がっていた。

先生は呪文のように教科書の言葉を読み上げながら黒板に授業内容を書き、生徒は先生の早書きに負けまいと必死にノートへ黒板の文字を写していく。

教室の外、グラウンドでは当然のように体育の授業をやっていて、さっきと何も変わらない。

何も変わってない筈なのに、一方の僕は何かよからぬ夢を見ていたのかと思うほど汗を諾々(だくだく)にして、目の前の光景を有り得ない物でも見たかのように凝視していた。


「…ん、どうしたの?成宮君。体調悪い?」


 そんな僕の姿に疑問でも抱いたのか、先生は不思議そうに僕を見て近づいてくる。

寝ていたのがバレてしまう。

今まであまりそんな姿を見せなかったのにな。

……だめだ、正直に言おう。


「あ…えと…ごめんなさい、寝てました…」


 僕は少し頭を下げた。

だけど先生は僕の汗と表情を読み取ったのか、心配そうな表情を見せている。

そんな先生の口から出たのは、想像通りの言葉だった。


「でも凄い汗、保健室へ行って少し休みなさい」

「…はい」


 言い返す言葉が見当たらない。

結局僕はノートを畳んで保健室へ足を運ぶ。

体から噴き出る汗は寝ていた間に見た夢の産物だ。

僕は僕の体に馬乗りになって、呪いを叫びながら何度も腕を振り上げては振り下ろしていた。

あの夢はなんだったんだろうか。

保健室へ向かう足に対して、頭では夢のことばかり。

何故?どうして?そんな感情も、言葉も、考えたことが無くて疑問ばかり先行する。

僕は誰かを殺したいのだろうか?それとも、誰かが僕を殺したいのか?

または、僕はその光景を見たのか。

いや、そんな光景を見た記憶は無い。

或いは僕の意識がその光景を見たという事実を隠している?

だとすれば無意識であることは確かだ。

でも、いつ?どうして?

考えるだけで頭が痛くなる。

 きっと疲れているんだ、僕は強制的に考えを終了させた。

保健室に到着したからだ。

ベッドを借りて早く眠って、気持ちをスッキリさせよう…。

そんな気持ちでベッドに潜ると布団の温かさが僕を迎えてくれた。

何故かすんなりと意識が深く落ちていって、心地よさと共に僕は……


「翼、おはよう」

「…え?」


 目の前の光景は現実か?

眠ったと思ったら、目の前に僕がいた。

自分でも何を言ってるのかわからない。

にっこりと笑ってるけど何処か冷えているその表情は中学の頃の、僕。

これは…どういうことだ?


「お前さ、高校生活、満喫してるようだけど…楽しいか?」

「は?」

「楽しいかって聞いてんだよ。まるで俺を忘れたみたいに生活してるけどよ、それで満足か?」

「どっ、どういう事だよ…」

 過去の僕がとても腹の立つ、人を見下したような表情で僕を見ている。

「ああ、満足だよ。君がいなくなったことで僕は、今の生活がとても楽しく感じるよ!過去の地獄はもう無くなったんだ!」

「へぇ、その偽りの生活で満足か。そりゃ大層なこった!心の底では日々満足できず、過去に縛られて身を隠しているような生活をしているのに満足か!お前の世の中って小せぇな。そんな奴に殺されたんだな、俺は……うぜぇ」

「…っ」


 突然豹変したように僕を睨み付ける過去の僕。

過去の僕のような、何か。

こんな奴、僕は知らない。

過去の僕は、こんな奴じゃなかった。

こんなに常に何かを求めてるような姿はしていなかった。

人をうぜぇとか悪い言葉を使うようなこともしなかった。

お前は、誰だ?


「うぜぇな、お前。そりゃ誰にだって苛められる訳だ。俺の分身でありながらこんな虫けらみてえな生活で満足?俺はそんな生活許せねぇ!そんな生活、俺が変えてやる。今度は、お前が殺される番だ!」


 過去の僕は血相を変えて僕の首を絞める。

さっきの夢と少しだけ違うけど、馬乗りになって首に圧をかけてくる。

夢ならさっさと覚めて欲しい。

なのに彼の指は僕の首に食い込むし、苦しくて、全然呼吸が出来なくて、変な感情が少しずつ上ってくる。


「がっ……ぐっ……!」

「さっさと死ねよ…ほら、替われ、替われよ!!」

「ぐ…うっ…」

「――成宮、成宮!?」

「――!!」


 布団から急いで身を起こすと僕の隣に、保険医がいた。

どうやらずっと声をかけていたようで、僕と目が合うと「よかった…」と安堵の声を漏らしている。

一方の僕は訳が分からず、混乱したまま。

さっきの全てが夢だったことに安堵と不安を抱きながらべっとりと汗をかいていた、そんな客観的な感想しか生まれない状況に立たされている。


「よかった…成宮、大丈夫か?ずっと(うな)されてたんだ。何度も声をかけたが全然起きなくて…すごく心配したよ…」

「えと…すみません…。あ、ありがとうございます…」


 とりあえず何か言わなきゃと感じた僕はそんな程度の言葉しか出なくて、俯く。

保険医は安心したように肩を竦めたけど、まだ満足していなさげな雰囲気を漂わせている。


「いや…多分疲れているんだろう。何かあったら相談に乗るから、今日はもう帰ってゆっくり休むと良い」


 先生はどうやらまだ心配してくれているようだ。

二度も夢見が悪かった。

それは事実。

だから…僕は素直にその提案を受け入れた。


「えっと…そうします」

「じゃあ早退のことは僕が伝えておくから、なんなら明日も調子が悪ければ電話して休むといいよ。できれば病院が一番だけど」

「はい、わかりました…」


 保険医の言葉に頷く僕はベッドからゆっくり這い出る。

床に足を乗せた瞬間、室内に軽いノックが響いた。


「開いてるぞ」

「失礼します。あ…成宮君…」

「せ、瀬戸さん…?」


 入ってきたのは瀬戸さんだった。

カバンを持って、薄らと笑みを見せながら僕の前まで歩いてくる。


「体調、大丈夫?多分早退すると思ったから…ほら、カバン」


 そう言って、彼女は手に持っていたカバンを僕の前に差し出す。

その表情はやけに優し気だ。


「あ、ありがとう…」


 一応感謝しつつもカバンを受け取り、僕は中身を確かめる。

ノート、筆箱、プリント用のファイル、教科書…

確かに、僕のカバンで間違いない。

だけど一番確認したかったのは…――


「――でも何で僕が早退するって…」

「だって成宮君、今日は特に酷いけど最近調子悪そうだし…心配なの」

「そ、そう……ありがとう…」


 嬉しいとか、感謝とか、そんな気持ちが出てこない。

それよりも瀬戸さんって何者?

そういえば、先生に呼ばれた後もそうだった。


「あ、あの…失礼します。えっと…先生も、瀬戸さんも…あ、ありがとう。また明日…っ」


 なんだか怖くなって、僕は逃げるように保健室を出た。

何だろう。

この気持ちは、何なんだ。

怖い。

だけどそれだけじゃなくて、本能が悲鳴を上げている、そんな感じ。

 逃げるように、足早に、苦しみから抜け出す気持ちで僕は玄関で素早く靴を履き替える。

急いで、慌てて、焦って、そんな言葉が似あう程早く帰路に着いた。

朝や夕方と比べて車通りがかなり少ない帰り道は太陽が真上にありながら熱さを感じさせない。

ただいつもとは違う帰宅時刻に戸惑いつつも、体調が悪くて早退したという事実を踏まえて、僕はいつもより早く家に着いた。

鍵を入れて、回す。

ドアノブに手をかけて回しながら引こうとしたら、大きくガチャン!と音が立った。

どうやら鍵がかかったらしい。


「あれ…誰かいる…?」


 急いで開錠しドアを開けると、廊下の先からテレビの音がする。

誰がいるのかを確認したくて、靴を脱いで廊下にカバンを放ってリビングに向かった。

テレビの音がだんだん大きくなって、リビングへのドアを開ける…――が、誰もいない。

不思議と不安に駆られながらも無駄に電気を消耗しているテレビを消そうとしたら、突然視界の端に何かが映った。


「んー……うにゃ…」


 振り返ると、だらしなく涎を垂らし幸せそうに眠る姉がソファーを占領していた。


「テレビ見てたら寝たな…。姉ちゃん、こんなとこで寝てたら風邪引くよ。あとテレビつけっぱなしは母さんが怒るよ」


 姉の姿と言ったらなんて無防備で腹の立つ。

ぺちぺちと、幸せそうな姉の頬を叩く。


「うーん…あと5分……10分……ん…、んん?」


 寝返りというよりは蛇のようにぐねぐねと姉は動き始め、声が出る。

突然ばっと顔を上げて視線がぶつかった。

その表情は眉間に皺ができて、死活問題でも起こったような顔をしている。


「つっ、つつつ翼!?え、ウソ!もうそんな時間!?ちょ、え、え??」


 慌てて飛び起きた姉はそのままソファーを立って、グシャグシャの頭を抱えて部屋中を見回す。

なんだか話しにくい状況だ。

それでも「大変大変」と焦り出す姉が少しだけ可哀想になって、状況を説明してみる。


「ね、姉さん落ち着いてよ…。早退してきたんだ…」

「あ、早退?早退かぁ、安心した…姉ちゃんバイトかと思っちゃった……え、早退?」

「うん、早退」


 目が覚めて落ち着いた姉はほっと一息。

……で納得できる訳は無く。


「早退って、あの早退?」

「多分その早退」

「体調悪いの?」

「らしいね…保健の先生に帰って休めって言われたよ…」

「ふーん…」


 素直に答えると姉は黙り込み、沈黙が流れる。

さて、これはどんな空気だろうか。

動くことも何か言葉をかけることも難しい空気で、先に口を開いたのは姉だ。


「…あのさ、翼」

「ん、何?」

「休まないの?」


 姉の変わらぬ態度をずっと見ていたけど、そうだ。

休む為に帰ったのに休まなきゃ意味が無い。


「そうだね、お茶一口飲んだら寝るよ。せっかくこっちに来たんだし…」


 僕は立ち上がって台所へと足を運び、食器棚からコップを取り出す。

冷蔵庫のドアを開ければ中は相変わらずぎっしりみっちり。

一通り眺め回してから扉に置いたお茶ポットを取り出しコップに注いだ。

とぷとぷとお茶が流れていく音は耳障りが良い。

ポットを片付けて冷蔵庫を閉めながら、注いだばかりのお茶を一気に飲み干す。

お茶の冷たさと喉に流れていく感覚が、どこか気分をスッキリとさせてくれた。


「ふう…。それじゃあ寝るよ」

「ほーい、おやすみ。…あ、ねぇ、お昼どうすんの?」

「あー…じゃあ、ご飯できたら呼んで」

「うっす。ま、お腹減らなかったら減らなかったで。あとで何か作って食べると良いよ」


 姉の言葉に頷いて、僕はリビングを出る。

廊下に放ったカバンを拾い上げて、部屋へ向かった。

机の上にカバンを置いて制服の上着だけを脱いだ僕は、ベッドに倒れ込む。

それだけで体が重たくなって、自然とため息が出た。


「疲れたな…」


 教師に呼ばれたかと思えば変なことを聞かれ、授業に出れば急な睡魔に襲われて謎の夢を見た。

挙句に保健室に行けばまた夢を見て。

きっと疲れてるんだ。

そうに違いない。

あの人はもう、忘れよう。

もう一度記憶の、意識の、僕の中の、何処かの箱へと忘却しよう…――

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