Opus.5 - No.2
夜、消灯された暗い部屋の中。乱暴に扉が開かれる音がして、軍服を着た一人の男が中へ転がり込んできた。
その男は慌てた様子で、部屋の奥にある書斎の机に向かっていた一人の女性に向かって敬礼する。
「どうしたのかね? 月が綺麗な夜なのに、やけに騒がしいが――」
真っ暗な部屋の中、闇に紛れるように書斎に腰掛けていた女性は、どうやら「外の月が綺麗だから」という理由だけで、部屋の明かりを全て消していたらしい。開け放たれた窓から、波風の音が微かに聞こえてくる。時折吹き込んでくる温い潮風にあおられ、結わえていないカーテンが幽霊のようにふわりと揺れていた。
「Sクラス能力者の居住区画が襲われた?」
部屋に入ってきた男の報告を聞き、女性の声が少しだけ硬くなった。
「相手は誰かね? Sクラス区画にも一個中隊分の守衛を駐在させていたはずだが?」
女性がそう返すと、扉前に建っていた男は声を詰まらせながらも、中隊は敵を防衛できず、敢え無く全滅したと答えた。
「ふむ……おかしいね。私の記憶が正しければ、今日Sクラス居住区の守備を担当していた部隊は405部隊で、ピュグマリオン保安軍内でも屈指の精鋭が揃っていたはずなのだが……」
「はっ、認識に相違ありません」と男は答える。男の喉から、固唾を呑み下す音が聞こえた。
女性は深いため息を吐く。
「……まったく、五十四名もの精鋭で固めていた中隊の壁を、いとも容易く潜り抜けてしまうとは、どうやら相手は相当な手練れのようだね。相手の戦力は?」
女性がそう尋ねた刹那、それまで涼しい風がそよそよと吹いていた窓辺から、ドーンと鈍い音が聞こえ、部屋全体がミシミシと揺れた。そして次に、タタタタと軽快な銃声が聞こえ、最後にはけたたましいサイレン音が鳴り響く。
「ふむ……あの音は対戦車ミサイルの弾けた音だね。M60も元気に唸っているじゃないか。複数のローター音から察するに、武装ヘリコプターが四機。兵員輸送用だと仮定すると、相手は三十五から四十人といったところかな?」
その女性は、遠くで爆発音が絶えない中、取り乱す様子もなく、音だけで相手の勢力を見破った。
「仕方がない……保安軍全部隊に通達。起きている者全員を第一級装備で招集し、至急現場へ向かわせろ。――あ、あとすまない君。私の部屋の電気を付けて行ってくれないか?」
そう言われて、男は不思議そうに首を傾げながらも敬礼し、手さぐりに部屋の電気を付けてから、慌てて部屋を出て行った。
男の足音が遠ざかり、明るくなった部屋の中には女性のみが残され、外では相変わらずドーン、ドーンと花火のような爆発音が聞こえていた。
「Sクラスか……皆無事だと良いのだが……」
その女性はボソッと独り言を漏らし、書斎の上に置かれていた軍帽を被り、身を翻す。彼女のトレードマークである若草色の長髪と、羽織っている白衣の裾がはためき、軍帽のつばから鋭い眼光がきらりと覗いた。
――彼女、特任機関「ピュグマリオン」の副司令官である如月海女子の、スイッチが入った瞬間だった。