Opus.5 - No.15
そうして、しつこく迫ってくる白霧を阻止するのにすっかり疲れてしまった錐波は、力尽きてその場に座り込んでしまう。
「まぁでもよ、お前も中々面白い能力持ってんじゃねぇか。何が『自分は何もできない~』だよ。嘘付きやがって。アタシ、こんなにワクワクしたのは久しぶりだぞ」
「………は?」
意気消沈している錐波を前に、白霧はれっきとした態度でそう言い放つ。
「ブリゾアクト・フロートに居た頃とは大違いだよ。まったく、あそこは監獄だったぜ! 守らなきゃならないルールが山ほどあってさ。『健康診断する際に防護服を着て来るな』とか、『部屋の中で勝手にJAZZBARを開くな』とか、『島全体でドンパチかくれんぼをやるな』とか、『学校にエアグライダー使って登校して来るな』とか、『三時のチャイム音をヘヴィメタルに変えるな』とか、そりゃもう挙げ出したらキリがないくらいにな」
『ドンパチかくれんぼ』って何だよ……などと疑問を感じながらも、錐波は、彼女がこれまでブリゾアクト・フロートで数々の奇行を繰り返す問題児であったことを、改めて再認識した。
「そんなに細々《こまごま》とルールを決められちゃ、アタシは何やって暇を潰せばいいんだ~~~! ってなって、それで不貞腐れて部屋ん中にずっと閉じ籠ってたのさ。な~んにもやる気が起きねぇし、寝転がって毎日毎日天井ばっか見て過ごしてた。世の中って、何でこんなにつまんねぇんだろ? 何で回りはみんな、細かいルールばっか決めて息苦しい生活を送ってんだろ? そんなことばっか、ずっと考えてたんだ」
白霧はそう言って、かつてブリゾアクト・フロートに居た頃を思い返すように、牢の暗い天井を見上げた。彼女の目に、ふと黒い影が差す。
白霧にも、過去そんな風に引き籠っていた時期があったなんて、錐波には想像できなかった。彼女の物言いからは、どんなことでも有言実行できるだけの怒涛の勢いがあった。今ここで「自分たちを誘拐した奴らを、一人残らず皆殺しにして」と頼めば、本当に全員ぶち殺して、目の前に死体を積み上げてくれそうなほどに。
「でもアタシさ、こうして誘拐されたことが凄く嬉しくて仕方ねぇんだ! おかげで、あのつまんねぇ監獄から抜け出すことができたし、それに、クソ面白れぇ奴らとも出会えたしな」
「……面白い? ボクが?」
「ああそうさ。アンタの能力は面白ぇよ! 両手にも口がありゃ、何時だってしりとりできるしな! トリオで合唱だってできるぜ! 他にも何だってできそうだ!」
錐波は、興奮気味に話す白霧を見て目を丸くしていた。これまで災いしかもたらさなかった自分の能力を「面白い」なんて言ってくれる人は、彼女が初めてだった。ずっと鬱陶しいだけだと思っていた自分の力を、認めてくれる人が居たという事実に、錐波は驚きを隠せなかった。
「どうよ? お前の力とアタシの力で、ここを脱出できるか賭けてみねぇか? いつまでもこんなジメった狭苦しいところに居たらアタシたちナメクジになっちまう! もっと派手に暴れて、敵をけちょんけちょんに蹴散らしてやろうぜ! きっと外の世界は、もっとワクワクすることで溢れてるはずだからさ! な?」
そう言って彼女は、錐波に向かって手を差し伸べる。
どうしてだろう? 彼女が乗り移っている毒嶋の肉体は既に死んでいるはずなのに、瞳孔の開いた彼女の目は生き生きと輝き、血の失せた肌も、なぜか張りがあって滑らかだ。
どうやら、例え器は壊れて用を成さなくなっても、中に入っている魂が熱ければ、器すらも息を吹き返してしまうようだ。
錐波は考えた。自分の能力は相手に災いしかもたらさない。――だが、今は状況が違う。自分たちは誘拐されたのだ。誘拐犯は能力者を道具として扱い、扱いきれなければ蟻を潰すように簡単に殺すような悪党共の集まりだ。
それなら、逆にこの状況は好都合ではないのか? 能力を向ける相手が悪党なら、誰も怒ったり咎めたりなんてしないだろう。自分たちがやっているのは、正しいこと。正義のために禁断の力を振るい、悪に災いの鉄槌を下す。まるでヒーローみたいだ。
……これまで、ずっと自分は誰の役にも立てないと思っていた。こんな不幸な力しか持たない自分が、相手にしてやれることなんて何も無い。そう割り切って、諦めていた。
でも今、こうして自分の力を認めた上で、手を差し伸べてくる奴が居る。こんなどうしようもない自分を、求めてくれる者が居る。
「はぁ……面倒臭いなぁ」
右手の口が、言葉を漏らした。
面倒臭い――それが錐波の本音だった。自分が彼女に手を貸したところで、自分に何の得があるわけでもない。仮にここを出られて自由になったところで、またあの孤島に送り返されるだけだ。白霧が「監獄」と呼ぶ、あのブリゾアクト・フロートに。
かと言ってここに残れば、いつかは殺されるかもしれない。けれど、錐波は死を恐れてはいなかった。どうせ自分が死んだって、誰も悲しむ者は居ないのだから。ここに居る悪党たちが、自分たちの力を利用して、どこかの国や組織を滅ぼすかもしれない。けれど、そんなの知ったことか。自分には関係ないことだし、自分が悪いわけでもない。
――結論、彼女に手を貸そうと貸すまいと、結果は同じ。自分はあくまで駒であり、自分からどちらに動いたところで、利害は盤に向かう者だけにしか反映されない。ピュグマリオンの側に付くか、悪党の側に付くか。
(ボクは別にピュグマリオンの味方でもなければ、悪党たちの味方でもない。ここで悪党たちを倒せば、ピュグマリオン側は利を得ることになるだろう。……けど、それだけのことだ。ボクらには関係ない)
「いやいや、そうじゃなくてさ」
すると、白霧が呆れたように口を挟んでくる。錐波が考えている間、両手の口がその内容をペラペラ喋っていたらしく、彼の思考は全て白霧に筒抜けだった。
「ピュグマリオンがどうとか悪党がどうとかじゃなくてさ。お前がどうしたいかだろ?」
「ボクが……どうしたいか……」
白霧の言葉を反芻しながら、錐波はもう一度考える。
これまで、居ても居なくてもいい虫ケラ以下の存在だと自分を貶めていた錐波にとって、自分のために何かをしようだなんて、考えたこともなかった。
正直、彼女に付いて行くのは骨が折れるだけだろうし、逃げる道中で、どれだけの面倒事にぶち当たるか分からない。そんな事で体力消耗した挙句、撃たれてハチの巣にされて死ぬのは、とても良い死に方とは言えないだろう。
でも――
最後に彼女の――白霧のワガママに付き合ってから死ぬのも、案外悪くないかもしれない。
自分の能力を唯一、純粋な心で認めてくれた彼女に、命を預けてみるのも、面白いかもしれない。どうせ死ぬのなら、彼女と一緒に、この逆境にどこまで抗うことができるのか、試してみたい。
心の奥から、何か熱いものが込み上げてくるのが、錐波には分かった。絶望とか諦めとか、そんなものとは全く違う、これまでに感じたことのない感覚。
(……そうか、これが自分のやりたいことなのか)
そう思った時には既に、錐波は白霧の差し伸べた手をつかんでいた。




