1話ー3
未確定前原稿
1話ー3
鯖三堂に戻った。
店はまだ混んでいる。女将の香月が割烹着を被せに来て店娘を再開する。
店の中は飛脚の土左衛門の話で持ちきりだった。
青木の後輩の漠然祐が訳知り顔で噂を教えてくれる。
「えりちゃん。青木様が大変事になっとる」
「青木様が?」
「長男家昌様のお屋敷に呼ばれたまま出てこうへん」
「土左衛門の三平は?」
「三男忠政様が番所からお屋敷に運んだって噂だ。飛脚の三平が持ってた挟み箱は、清水川から沈んでるのが見つかったが…」
「見つかったが?」
「肝心の中身…が無いらしい」
「中身は?何?」
「それが…大きな声じゃ言えないんだけどさぁ…」
「フンフン?」
「大久保忠隣様の密書……あっまず。えりちゃんお代これっ」
漠然は慌てて出て行く。入れ替わりに長男家昌の側近稲葉二鉄がズカズカと来て座った。
「タヌキうどんを貰おうか?」
「はい。タヌキうどんを」
二鉄は絵里姫の顔を見る。
「娘。近頃評判の看板娘えり女とは。お前か?」
「いえ。看板娘は女将の香月にございます」
「いや。鯖三堂の絵里姫様に似た器量良しに、若侍が夢中と言う、良からぬ噂を聞いた」
脂ぎった顔を寄せてくる。気味の悪い鬢付け油の臭いがする。
「器量良しで有れば。私では御座いません。お人違いでございましょう」
女将の香月が厨房から銚子と盃を持って出て来る。
「稲葉様!申し訳ございません。気の利かない娘で。さっさ…まずはおひとつ」
二鉄に盃を持たせて、銚子を傾ける。
「琴塚の足立の日の出鶴にございます。お味見を」
香月は絵里姫の手をつっ突く。会釈して厨房に引っ込む。若侍達も潮が引くように、ソッと出て行く。
二鉄は無料と判って笑みを漏らす。
「足立の日の出鶴。知っとるぞ女将。うん……良き酒ぞ」
「えりちゃん…今日は帰りな。稲葉様は潰れて寝る」
絵里姫は敬太郎に頭を下げた。
「ごめんなさい。敬太郎さん。女将さんに謝っといて…」
絵里姫は厨房の裏木戸から外に出た。
暮れ六つが近付いていた。絵里姫は長刀堀南の小舟に急いだ。