第2章 アスタナに続く光の道 その1(舞台:地球)
ジョン・マークウッド・ジュニアは良く言えば聞き分けの良い、別の言い方をすれば子どもらしさの無い男の子だった。
マリー叔母さんが保護する猫たちの世話とか、図書館で本を読みふけるといった事を好む一方、同年代の子どもたちと進んで遊ぼうとしなかった。
かといって、人付き合いが嫌いな訳ではなく大人と過ごす事を好んでいた。
そんな彼を心配した両親が地元のリトルリーグに体験入団させたものの、その日のうちに『僕、野球は興味ないよ。入団しなくてもいい?』と両親に伝えて2人を驚かせたりもした。
それまではジョンと2人でキャッチボールを楽しんでいたので、当然リトルリーグにも興味を示すだろうと思っていたのだが、それは違ったようだ。
そういった事は彼自身の元来の性格によるものではあったが、それ以上に彼の異世界での記憶に由来するものでもあった為、ジョンとシンシアにはその訳を知るすべもなかった。
ジュニアは、シンシアに異世界での出来事を打ち明けるつもりは無かった。
にもかかわらず打ち明けてしまったのは、そうする事で、あれは怖い夢だと言う言葉をシンシアが言ってくれると期待していたからだ。
事実、ジョンもシンシアもその話が本当の出来事だと考えてはいない様だった。
それは至極当然の事だろう。
自分は異世界で王子さまだった、と言った所で親の関心を引きたい子どもの戯言と受け止めるだけだ。
だから、コインランドリー以来この件を自分からは話さないようにしてきた。
その為、2人が探るような目でその件を蒸し返そうとした時も『怖い夢を見たの。もう思い出したくない』と言えばそれ以上追求される事もなかった。
とは言え、実の所異世界の記憶は最初の頃に比べより鮮明になり、彼の心をかき乱さずにはいられなかった。
記憶が正しければ、ジュニアは異世界に位置するアラヤ王国の王子ベナーだった。
アラヤ王国は三方を海に、北東を広大な砂漠地帯に阻まれた国で、その砂漠を超えた先には宗主国であるアスタナ帝国があった。
その歴史は古く、アスタナ帝国17代皇帝ダランから初代アラヤ王が賜わった領地に遡る事が出来た。
そのアスタナ帝国で100代皇帝グラムが退位し、101代皇帝アラドが即位したのはベナーが27歳の時だった。
それから1カ月と経たず、アスタナ帝国で謀反が起こり新皇帝アラドは幽閉された。
さらに間が悪い事に、女神タマラによって封印されていた魔物が復活した。
それは数千年に渡り続いた『平和な時代』の終焉を意味していた。
ジュニアはベッドの上でもぞもぞと寝返りを打ち、壁に掛かった時計が5時55分を示しているのを見た。
「おはよう、ママ」
「おはよう、今日も早いのね」
「コーヒーの良い匂いがしたからね。僕も飲みたいな」
「まあ、おませさんね」
そう言うとシンシアはジュニアにおはようのキスをした。
いつもこうして2人はジョンが起きてくる6時45分まで朝食を作ったりしながら、色々なお喋りを楽しんでいた。
ジョンが2人より遅く起きてくるのは、数年前の経済危機の影響で失業し、今はタクシードライバーとレジ打ちの二足のわらじで家族を支えていて、昨日も深夜に帰宅したからだ。
シンシアもデイケアセンターでの仕事を見つけ働きに出ている。
それでも2人は、朝と夜は家族3人で食卓に着けるように努力していたし、ジュニアが学校から帰宅する時間にはどちらかが出迎えるようにしていた。
仕事をやり繰りして大変そうな2人を察したジュニアが、
『僕なら大丈夫だよ。一人で留守番できるから、毎日家で僕の帰りを待たなくていいよ』
と伝えたものの、その提案は即座に却下された。
シンシア曰く、『私たちがそうしたいから、そうしているだけなのよ』と。
そしてジョンは『昔、里子だった時に変わらない家族が欲しかった。永遠に続く家族が欲しかった』と言った。
そして、『シンシアとお前は、その変わらない家族だ。完璧な親にはなれないけれど、お前が僕たちを必要とする時に側に居たいんだ。お前には帰る家と待っている家族が居ると感じて欲しいんだ』と言った。
それはジュニアが…ベナーが手に入れたいと願いながら、手に入れる事が出来なかった言葉だった。