現代のなろうに置ける考察
「人っていうのは力を欲するものなんだよと、私は友人に言われた事がある」
「どんな力でもいい。他人を殺す力でも生活を豊かにする力でも……それが力とか言う全くもって言葉にできないものならば」
「勿論それが間違いだなんて到底思わない」
「しかしね、私はああ、断っておくがこれはある特定の人物を指しているわけでも貶しているわけでもない」
「私は今私が投稿している、いや、それのみに留まらないが、取り敢えずこの『小説家になろう』とか言う小説投稿サイトの流行とか言って、なんというか。楽に力を手に入れる。という展開を、勿論私は評価が欲しいのでそのような展開を書くだろうが、ああ、まったくもってそのような展開を理解することも共感することもできない」
「わかっている。これは需要と供給の関係だと。スマアトフオンとか言う片手で持ち運べて気軽に情報伝達が出来る。なんというか、バイタリティとか言うものは現代に浸食していった。それ故に人間は贅沢にも暇なんてものを見つけ出して」
「うん、このやうなところにアクセスをするのだろう。それはまあ、うん。暇潰しなのだからスマアトフオンを片手に流し読みする程度の作品でいいのだろう。それ故にどんな情熱的な描写だとか、作者の語りたい描写を片手で読んでしまっているが故にまるで、国語の教科書を読んでいるやうに感じてしまうのだろう」
「それをインタアネットとか言うものから無料で本を読みたい奴らは欲していない」
「二イズと言うものが無いものはそれが数百年後どれだけ評価されようとも廃れていくのだ。それにそんな小難しいものが読みたいのならば近くの本屋にでも行って本を買い両手で持って、ペエジを指でこすればいい」
「その時に隣に珈琲でもあれば最高だろう」
「それ故にうん、私はこのインタアネット小説の中でそのような作風の作品は無いだろうと思う」
「そして楽に力を手に入れるやうな物語の主人公が、全くもってその力を当たり前だと考えて疑わずに狂っていく様を見ると言うのは、うん。寧ろ滑稽と言わざるを得ないのだろう」
「力を持っているものは力を持っていないものを守る義務があるとか言うものがあるが、ああまあ、私としてはそれは全く違う意味に考えてしまって仕方がない」
「私が考えるに力云々という事を言えるものは苦難を乗り越えた先に力を得たものでなければならない筈だ。かのキリスト教の聖書のやうに、彼らに魚を釣る方法というものを教えなければならない」
「だが、今流行っているチイトとか、そんな全くもって理解しがたい人によっては吐き気を催すようなもので得た力でそのやうなことは出来ないだろう。恐らくチイトなどという力で力を得た彼らは、貧しいものに対して一生食うに困らないパンを押し付けるだけ押し付けて、口から無理矢理食べさせるのだろう。そしてそれをさも良い事をやったかのやうに捉えるのだ」
「そしてステエタスとか言うものもそうだ。何か動物を殺す事で得られる経験値とかいうものを自らの糧にするという人道から外れた行いをさも当然のようにする」
「レベルなんてものが上がればステエタスとか言うものはどうして、身体能力とか言う普遍的な、人間が本来鍛えるべきものを違法薬物の様に飛躍させる」
「これも、詳細を聞くだけでまあ、吐き気とかいうものを覚えるものもいるだろう」
「力、などとかいうものの数値が上がれば驚きだ。その力とかいうものがもし9999とかいうものになっていれば岩すら砕けるのだから。これはエネルギイとかいうものを全く無視しているものだから、うん。滑稽だと考えてしまう」
「しかし、ステエタスとかいうものは現代のライトノベルとかいう小説においてはもっともよく使われている手法では無いだろうか。それはまあ理解は出来る。力10と力9999どちらが強いかなどと聞かれたら9999の方へ行くのだろうから」
「そう、ステエタスとかいうのはわかりやすい指標のやうなものだ。ライトノベルとか言うものを見る読者は、全くなんというか分かりやすさとかいうものを求めている。それは勿論この小説投稿サイトも変わらない」
「言うなれば、このチイトだとかステエタスがこの世に浸透していったのは、読者がわかりにくいと読まなくなるからだろう」
「チイトと言えば主人公は最初から強く、ストレスなく読めるとわかりやすく、ステエタスならば、主人公とその他の力の差が分かりやすい。このやうにわかりやすい、脳を使わなくても読めるモノこそが現代に浸透しているのだろう」
「勿論これら以外にもある。追放、ざまあ、ハアレム」
「ああ、私は全くもってこれらを読もうとする感性は分からない。私は評価が欲しいのでそれらの小説を書くし、書く分には読者の二イズに答えて面白く出来るやうに努力とかいうものは怠らないつもりだが、それでも現代の小説とかいうものがどのくらい曲がっているかを一考するのはどうだろうか」