百八十話
「飲んだらまた寝そうだぞユキカズ。ケント」
「衰弱が激しかったからな……体力を消耗してて回復させようとしてるんだ」
「何より赤ん坊ってのは寝るのが仕事ってな。肌をかぶれさせないようにしなきゃいけないが……ちょっと貸せ」
健人は赤ん坊を抱き上げるとテーブルの上に置いておむつの交換を手際よく行った。
赤ん坊の面倒を見るのが手馴れてるな。
「まあ、こんなもんだ。赤ん坊の世話たってそこまで難しい事はねえよ。オウルエンスは乳離れはそこそこ早いし、後の食性は雑食だしな。むしろこいつをお前等、どこまで面倒見る気なんだ?」
健人に尋ねられて考えてしまう。
確かに、俺達は今……カーラルジュを追いかける旅をしている。どれだけ守れるように心がけても危険は付きまとうだろう。
「えっと……」
ムーイはどうしたら良いのかわからないと言った様子で小首を傾げている。
そうだよな。ムーイは何も分からないけど、責任は取りたいって考えなんだ。
浅はかと笑う奴はいるかも知れないし傲慢だって思う奴もいるだろうが、やらない善よりやる偽善。
俺達が負けた所為で起こった問題なんだからどうにかしなきゃ行けない。
この子を何処まで面倒を見るかだ。
「オレはこの子を何があっても守るぞ」
「その気持ちは良いけどよ。出来る事とできねー事がある。無難に同族の所まで連れてくのが良いだろ。隣村って事になるし親戚がいるかもしれねえしな」
同族だからって赤ん坊の世話とかしてくれるのだろうか?
こういう時、養子とか血の繋がらない関係の薄情さが脳裏を過る。
「ま、俺と……雪一、お前が頼めばオウルエンス共はこの子の世話を無碍にはしないだろ。責任を取って育てるにしろ生活の不備に関する悩みは答えてくれるだろうな」
「それはどうしてだ?」
健人が大丈夫と告げた意味が判断できない。
「お前さ、この場所における俺やお前ってのはどんな存在なのかわからねえのか?」
そんな察しろと言われてもこの世界の事なんてまるでわからないのだから判断できるはずもない。
「さっき俺が言っただろ? 神様って奴をこの世界の連中は信仰してるって。その神が生み出した獣の加護を授かってるってだけで悪い事をしなけりゃ嫌な顔なんてしねえんだよ。アイツ等」
「祝福を受けた者って感じ?」
なんか異世界の戦士として、元の異世界での立場を思い出す。
「ちょっと違うが似たようなもんだ。まあ、あくまでよそ者とか排他的な扱いはされないって程度だけどな。とにかく神の加護を授かったって奴はわかるんだとさ、アイツ等」
そうなのか……独特の気配って奴だろうか?
「そういや健人、俺がこの世界に来てしまった理由は話したがお前の方はどうなんだ? なんでこんな所にいるんだ?」
異世界の戦士って短命とか迷宮から帰ってこなかったとか色々と末路を聞くけどさ。
「……お前な、年の差考えろよ。別にいいけどよ。俺の場合は大きな事件を解決した後、異世界生活をエンジョイしてこのままのんきに生活を続けようと世界各地で冒険していたらダンジョンで見知らぬ魔物に襲われてな」
健人の話だと異世界の戦士としての浸食の進みが激しく遅くなった頃、迷宮に潜った所で未知の魔物と出会ったそうだ。
激戦の末、重傷を負いながらも辛勝して意識を失った所で気が付いたらこの世界に迷い込んでいた。
「で、この世界で色々と脱出を目指して活動してるって事だ」
「そうか」
目的はほぼ同じって事で間違いはなさそうだ。
信用に値するかは判断に迷うけど、妙な真似をされない限りはできれば情報を仕入れたいな。
「あのな……ユキカズ、ケント。この子は名前あるのか?」
ムーイがもじもじと赤ん坊の名前を聞いてくる。
「あ? あー……この包んでいたタオルになんか刺繍されてるな。きっとこれが名前だな」
健人はタオルに書かれている所を指でなぞる。
それ、文字だったのか。
なんて書いてあるのか凝視すると文字の部分だけ縁が掛かる。
なんだ?
『ルロフ文字』解析0%
……俺の解析って文字まで該当するのか。
異世界言語がターミナル経由のスキルで習得出来たけど……あの場合は文字を日本語に直して貰った感じで頭で補完した感じだったけどな。
「ラウ……って名前みたいだな。この子は」
「ラウ。わかった。オレ覚えたぞ。ラウ、オレは絶対にお前を守るからなー!」
ムーイが赤ん坊に向けて決意するように言い切った。
「ルロフ文字って言うのか」
「あ? ああ、この世界じゃ大体使われてる文字だな。神が作り出した原初の文字だとかなんだとか口を揃えていうぞ」
「そんなもんか。やっぱりこの世界の人たちの言語とかあるんだよな?」
「言葉自体は異世界人としての特権なのか出来るぞ。文字に関しちゃターミナルで設定したら習得出来た」
……俺の人としてのステータス部分はロックが掛かっていて習得している物は使用できるし菓子作りとか成長してるけど、ターミナルを利用した新たな技能習得はできない。
「ちょっと文字一覧の表と文法をある程度教えるなり、金目になるものを渡すから辞書とかあったら後で買ってくれないか?」
「おいおい。こんな状況で一から勉強をするのか、お前?」
「俺も出来たら苦労しない。人間じゃ無くなってるから人としての部分が使用は出来るけど新しく習得設定はロック掛かってんだよ」
「うはー臨界迎えた奴は大変だなー」
何他人事みたいに言ってんだよ。
ふ……そうやって小ばかにするのも今のうちだぞ?
「俺は見る能力が特化してる魔物だぞ? 解析を終えたらすぐに習得だ。スキルポイントとか無しだぞ」
「へーへー……んじゃ簡単な一覧を書いてやるよ」
ササっと健人が五十音順とばかりにルロフ文字を地面に書き記すとその度に縁が掛かって解析が進んでいく。
ラウって読んだだけで3%進んだので習得自体は早いのではないだろうか。
健人が文字一覧を書いただけで75%も解析が進んだぞ。
……元々今の俺の状態自体が神とやらが与えたような状態だから、神が授けた文字に関しちゃ理解が早いのかもしれない。
元々異世界言語とか翻訳関連を人間だったころに習得してたのも関係してるかも。
「もうちょいで解析終わるな……」
「マジか。早いな」
「ムーイに寄生してるってのも大きいな。こいつ、言葉覚えるの恐ろしく早かったし」
「ユキカズの事知りたかったから覚えた」
そうだった。俺が寄生してるのは学習能力の化け物、迷宮種ムーフリスことムーイだ。
体に引っ張られる形で俺の学習能力も加速が掛かってるんだろう。
「んじゃ。俺が何を言ってるかお前等わかるか?」
健人が途中から日本語じゃない言語でしゃべり始めた。
けど何を言っているか俺には筒抜けだ。
「???」
逆にムーイはよくわからないとばかりに小首を傾げる。
なんていうか……初めて会った頃と変わってあざといというか可愛げある感じになったなー……とムーイの変化を感じ取ってしまう。
「俺が何を言ってるかお前等わかるか? って言ったんだよ、健人は」
「そ、そうか。オレ、ユキカズが使ってる言葉以外を初めて聞いてよくわかんなかったぞ」
こりゃあ後でムーイにレラリア国の言語も教えないといけないな。
しかしターミナルで覚えた言葉だけど、滅茶苦茶頭いいと錯覚してしまいそうになる。
実際は楽して手に入れたスキルだからムーイの学習能力の方が凄いんだけど。
「ユキカズもケントも凄いなー」
「しばらく教えりゃムーイはすぐに覚えるよ。それくらい覚えるの早いのがお前の特技だろ?」
「そう?」
えへへ……とムーイが照れる。
本当、成長したよ、お前は。
……。
脳裏に浮かぶ最悪の考えは心にしまっておこう。
俺が思い込みで疑似的に動かしているだけかもしれない妄想のムーイである可能性を。





