死がふたりを分かつまで
〝I was meant to be next to you always〟
透明な水の満たされた金魚鉢を眺める背中を見ている。
彼女はその中をゆったり泳ぐ金魚をじっと目で追っていた。
本当なら僕はお祭りで掬ったり掬えなかったりする、小さくてシンプルな金魚が好きなのだけれど、このこは、ふっくらとしたお腹と、ひらりとしたチュールのスカートの尾鰭をもつ立派な子で、やってきたのは2日前、昔ながらの金魚鉢と、申し訳程度の水草、そして何年分あるのかと問いただしたくなるほどの餌を抱えた恋人が、物々しい表情で持ってきて、それを設置したと思ったら突然別れ話をはじめ、そして何故だか置いて去っていったものだった。呆然とする僕と金魚。ほんとうに意味がわからない。
敷き詰められた、青くすきとおったガラス玉。
ゆらめく繊細な赤色。
見つめられているのを知ってか知らずか、水中の時間はゆっくりと流れているようだった。
「たべちゃだめだよ」
と、背中をつつく。
食べないよぅ。
なんて言っていたけど、彼女の虹色の瞳は相変わらず水中のひらひらした赤に釘付けだったし、つやつやの尻尾ははたはたと、別の意思を持つ生き物のように動いている。
わたしの野性味がうずくのよねぇ。
信用出来ない言葉だねとごちて、ひょいと彼女を持ち上げる。
やーん。
不服そうだけれどされるがままに、僕の腕の中に収まる。
「ブラッシングをしてあげようかね」
背骨の感触を確かめるように、その艶やかな毛の背中を撫でると、彼女は嬉しそうに喉を鳴らした。
ブラッシングはせかいでにばんめにすきよ。いちばんはかりかりじゃない、とくべつのごはん!
左様ですか。
布越しに伝わる、生き物の重みと温み。
ブラッシングは始まったばかりだけれど、彼女は既にだらりとお腹を見せてうっとりとしている。野性味はどうした?
「金魚の餌なら大量にあるんだけど」
たべる?と訊くと嫌な顔をされた。美味しいかもしれないじゃん。
僕の視界の片隅で、相変わらず金魚は、まるで世界から隔離されたような悠然さでふわふわと浮いていて、それがちょっと、僕の心に漣を立てた。
去っていった僕の、かつての恋人の後ろ姿。ドアを掠める丈の長いチュールのスカートの残像。
無意識に手が止まってしまっていたらしい。
膝の上の彼女が僕をじっと見ていた。
かなしい気持ちになってるの?
僕を見透かすみたいな透明な視線。
「そんなことないよ」
咄嗟に強がってみせるけど、彼女にはお見通しだ。
額をぐりぐりと僕に押し付けて甘えて見せてこう言った。
さみしがることなんてないのよ、と。
そして、
「わたしがずっとそばにいてあげるんだから!」
とも。
ぎゅっと、胸が痛くなる。
僕は知っている。
順当に時間が巡るなら、彼女が私よりも先に行ってしまうであろうことを。
そして、彼女がその言葉を疑わず、本心で言っていることを。
それは心強いねぇ。
いつもより入念なブラッシングを終える。
にゅう、と伸びる、しなやかな身体。
虹色の瞳が僕を見る。
猫は不死身なんだからね!
そう言って彼女は、得意げに笑ったのだった。
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