願望
夢を見ていた。
誰だか知らない男の人に髪を切られてる私…。
長い髪をどんどん切られて、まるで男の子のような髪型になっていく。
私は恐怖と緊張で顔を引きつらせ、心臓が高鳴っている…
「もっと短くしちゃっていいんだよね」
男がそう言って何やらハサミではない、別の物を持って私に近づいてくる。
そして私の頭をぐいっと下に向け
うなじにその黒いものを押し当てようとしていた…
「ひっ…」
私は頭をおこそうと必死になっているのに
男の大きな手が頭を押さえつけているために動かす事が出来ない
目が覚めたら、布団の中だった。
広海は夢と現実の世界との区別が付くまでにしばらくかかった。
「何、今のは…夢だったんだ…」
夢の中と同じ、心臓がドキドキして起き上がる事が出来なかった。
そして、慌てて自分の髪を探すような仕草をして、
いつもと同じ、長い髪が頭や身体の下に広がっているのを確認すると
今、自分がした事のマヌケさに気が付いてくすっと笑ってしまった。
「バカね、夢の中の事なのに…」
広海はそうつぶやきながら勢いを付けて起き上がった。
でも…この心臓の高鳴り、そして身体の火照り
それから、もっと続いて欲しかった、と思うような興奮…
「やだ、私ったら…」
広海は自分の身体に起こっている変化を感じとり、赤くなった。
「さ、起きて学校行かなくちゃ…」
広海は地方から上京し、服飾関係の専門学校に通っている。
何もかもが珍しかった1年目と違い、この頃、少し退屈していた。
学校の帰りに友達と買い物をしたり、お茶を飲んだり
楽しい事はたくさんある、でも何か単調な毎日に飽き飽きしている
「何か面白いことないかなあ~」
学校帰りに寄った喫茶店で、同級生の真紀が言った。
まわりにいた数人も皆「うんうん」と頷いている。
どうやら同じような気持ちなのは広海だけではなさそうだった。
広海は意を決して口を開いた。
「あのさ…髪の毛切ってるの想像してドキドキしちゃう事ない?」
今朝見た夢の話だった。
「え?どう言う事?」
裕香が聞き返してきた。広海は上手く説明できないと思いながらも
考えながら言った。
「例えばさ、自分がどうされるか判らない状況で、
こう…ドキドキしちゃうような事」
「そりゃどうなるか判らなかったらドキドキするでしょうが」
真紀が笑いながら言う。
「う~ん、だから…切られてる事に…怖いと言うかドキドキするような…」
さすがに親友達にも「興奮する」と言う言葉を言えない広海だった。
「髪の毛切っててドキドキするって、仕上がりが楽しみって事はあるけどね~」
真紀も裕香も百合も頷いていたけれど、広海の想いは伝わらないままだった。
みんなと別れて、家に向かった広海は、ある事に気が付いてた。
今朝から、何度もあの夢の事を考えている自分。
あのまま目が覚めなかったら、どう言う展開になっていたんだろう。
自分はどんな気持ちになっていたんだろう。
大事な髪を、めちゃめちゃ短く切られている自分、
そしてその時の心の昂ぶり…
「やだ、私、何考えてるんだろう…」
広海は必死に違う事を考えようとしていた。
あれから1週間…あの夢を見る事はなかった。
目が覚めると、ホッとしたような、でもどこか寂しい気持ちもあった。
もう一度、見たい…?もう一度感じたい…?
そんな気持ちを広海は打ち消そうとしていた。
「あれはただの夢、もう忘れよう」
単調な日々は相変わらず続いていた。
そして運命の朝。
今日までに出さなくてはいけない課題を
夜中まで机に向かってやっていた広海は、仕上げると同時に
そのまま机にもたれ掛かったまま寝てしまっていた。
夢の中で私は一軒の店の前に立っていた。
赤と青と白のストライプのサインポールがくるくる回っている。
店の中にはお客さんは誰もいない。
白衣を着た若い男が、私に気が付いて店のドアを開けて
中に招き入れた。私はそのまま店内に入って行く。
何やらその男と言葉を交わし、私は赤い背もたれの大きなイスに
座るように言われ、そこに腰を下ろす。
男が近づいてきて、真っ白いカットクロスを私の首に巻きつけ
同時に、背中にかかる長い髪を引き出して、くしで梳きはじめた。
私の心臓は高鳴り、顔が赤くなっていくのがはっきりと判る。
「じゃあ、切るよ…」
男がそう言って、私の髪に触れた所で目が覚めた。
はっと顔を上げて、辺りを見まわした。自分の部屋にいる。
「やだ…昨夜あのまま寝ちゃったんだ…」
机にもたれて不自然な格好で寝ていたせいか身体が痛い。
時計の針が8時をさしていた。
「遅れちゃう…支度しなくちゃ…」
広海は洗面所に行き、寝起きの顔を洗い、歯を磨いた。
そしてくしゃくしゃになっている髪を梳かそうとブラシを手に取った時
さっきまで見ていた夢を思い出した。
その瞬間、広海の身体の奥の、ある一部分が熱くなっているのに気がついた。
鏡の中には背中まで髪を垂らした自分が映っている。
さっきの夢の中で、広海はこの長い髪を切ろうとしていた。
「私ったら、この前といい、今日といい、どうかしてる…」
もう一度勢いよく顔を洗い、その想いを振り払おうとしたけれど
身体の中に残っている熱いモノは消える事はなかった。
学校に行き、課題を提出した広海は、午後の授業をサボって
一人で街に出る事にした。
ボーっと授業を聞いていると、何だか変な事ばかり考えてしまう。
目的もなく、一人で繁華街を歩いて行くと、
見慣れない所まで来てしまっていた。
「迷子になっちゃう、来た道を戻らなくちゃ…」
広海はそう思いながらも、足の向きを変える事をしないまま
前に進み続けていた。
店もまばらになり、細い路地のような道と交差していた。
ふと、その道の先を見た広海は驚いた。
夢の中で見た、あの床屋があった。
「うそ…こんな所来た事ないのに…」
そう思った後に広海は自分の動揺に気が付いて笑った。
「床屋さんなんて、どこも似た造りだもんね。
もう、考え過ぎだな、私は…。さ、戻らなくちゃ…」
戻らなくちゃ、と思う気持ちとはうらはらに広海はそこを動けなかった。
そして気が付いた時にはその店に向かって歩き出していた。
夢の中で見た3色のサインポールが回っている。
そしてそっと店の中を覗きこんだ。お客さんはいない。
「帰らなくちゃ…」
広海は何かものすごい恐怖を感じて、そこを立ち去ろうとしてた。
でも、それと同時に、このまま夢の続きを見たい、
そんな願望も沸きあがってもいた。
店の前に突っ立っている広海に気が付いた店主がドアを開けた。
「どうぞ…」
広海に向かって若い店主が言った。
(夢の中で見た男の人に似てる…?)
(やだ、帰らなくちゃ…私、違うのに…)
そんな事を考えながらも広海は言われるままに店内に入ってしまった。
「何かご用ですか?顔剃りでも…?」
彼の声を広海は遠くで聞いているような気がしていた。
このまま「間違えました」って帰ってしまえばいい、
もう2度と来る事はないお店だし、謝ればいいんだから…
でも…
あの夢の続きが、ここでならきっと見られる。
広海はその願望に流されるままになってみたい…
その想いに逆らう事が出来なかった。
「お客さん?どうするんですか?」
彼が何も答えない広海に向かってもう一度声を掛けた。
「髪を切って下さい…短く、すごく短く切って下さい」
彼はいきなり入って来た長い髪の女の子にそう言われ
かなり驚いた様子だった。
その言葉は確かに広海の口から出たものだったが
それを言った広海自身も驚いていた。
でも…切られてしまいたい、広海の心は嘘のように
その気持ち一色に塗られてしまっていた。
「いいんですか?切れと言われれば切りますけど?」
彼は確認するように聞いた。その時、ほんの少し笑ったような気がしたが
広海はそれに気がつかないまま、大きく頷いていた。
彼は広海を店の奥のイスに導き、そこに座るように言った。
(夢の中と同じ…赤いイスも、このカットクロスも…)
広海は自分が座っているイス、そして首に巻かれたクロスに目をやった。
彼が広海の長い髪をゆっくりと丁寧にくしで梳かし
そしてハサミを取り出すと言った
「じゃあ、切るよ…すごく短くしちゃっていいんだね」
彼は広海の髪の右半分を一握りにすると耳の後ろの辺りで
いきなり『ジョキ、ジョキ…』と一気に切ってしまった。
長さは耳たぶがわずかに見えるくらい…
「うそっ…」
そんな場所で一気に切られるとは思っていなかった広海は息をのんだ。
かなりの量の髪を一気に切った為に、長さも切り口も不揃いで
ガタガタになっている。
彼は左手に長い髪の束を持って、それを鏡に映すように広海に見せた。
「どうせ短くするなら、思いきり良くいかないとね」
言いながら彼は30センチはある髪の束を床に落とした。
今度は左側に立つと、残っている髪を、また一握りにして
そこにハサミをあてた。そして…
『ジョキ、ジョキ…』
かなりの量がある広海の髪は、一度には切る事が出来ないらしく
何度かハサミを動かし、そしてまた耳の長さで切り落とした。
広海は、身体を強張らせながらもその瞬間から目を逸らす事が出来なかった。
心臓がドクドクと脈打ち、顔が赤くなってくるのがはっきりわかる。
鏡には不揃いのおかっぱになってしまった自分が映っていた。
「さて、とりあえずばっさり切ったけど…まだ切っていいんだよね?」
彼は広海の返事を待たずに、左手にくしを持ち耳の上辺りの髪を
梳かしてはくしで持ち上げ、リズミカルに切り始めた。
『バサッ、バサッ』とハサミの音と交互に、10センチ近い髪が落ちて来る。
切られた場所はほんの2、3センチの長さになっていて、耳が見えている。
耳の上から、側頭部かなり上まで、彼のハサミは上がっていき
それと同時にどんどん髪が切られていった。
(刈り上げにされてる…)
広海は、自分の右側がかなり高い位置まで刈り上げられているのを
鏡の中で見て、そして自分の肌で感じていた。
耳の後ろまで行くと、今度は後ろに行かず、左側に移った。
そして同じように、10センチくらいの長さの髪が切り落とされ
右側同様、上の方まで刈り上げにされている。
(どうしよう、すごい短くされている…)
広海は、嫌だ、と思う気持ちと、このままどんどん切られていたい、
そんな複雑な想いを抱えていた。
やがて、左側の髪をすっかり切ってしまうと、今度は後ろ…
くしで下の方の髪を持ち上げると、そこにハサミが入る。
くしが地肌に当たったと思うと、
そこからはみ出している髪をハサミが切り落とす。
その繰り返しで、後ろもかなり短く切られているのが広海には見えないけれど
感覚として判っていた。
(男の子みたいになっちゃう…こんなに短くされて…)
身体が熱くなり、夢の中と同じように心臓は高鳴り
そして、身体の中のある部分が
じわじわと疼くような、くすぐったいような感じになっていた。
広海は、思わずひじ掛けをぎゅっと握り締めた。
後ろが終ると、次は前髪だった。
目に届く長さの髪が持ち上げられ、額の真中より上にラインで切られてしまった。
「えっ…?」
目の前が急に明るくなったような気がして前を見ると、
更に雨のように切られた髪が降ってくる。
ハサミを大胆に使いやがて前髪は2、3センチほどの長さになり
額の上の方で立ち上がっていた。
「そんな…」
広海のショックには気が付く様子もなく、彼の手は動き続ける。
トップの髪をやはり2、3センチに切ってしまうと、
ようやくハサミを置いた。
「これで終り…?」
広海が身体の力を抜こうとした時だった。
後ろの棚から彼が何かを取り出して戻ってきた。
「もっと短くしちゃっていいんだよね」
そう言って彼はイスの下のコンセントにコードを差し込んだ。
スイッチが入る…
(バ、バリカン…)
広海は心臓を鷲掴みにされたような気がした。
どきどきして胸が苦しい程だった。
彼の大きな手が、広海の頭をぐいっと前に倒すように押さえる。
そして、そのバリカンの先がうなじにぴったり当てられた。
広海の身体を電流が走ったようにビクン、と震え
同時に身体が熱くなっていった。
(どうしよう、こんなに・・・)
彼の持ったバリカンがうなじから上に向かって上がっていく
『ジジ…ジジジ…』
ハサミで刈り上げられた髪を、今度はバリカンが更に短く刈っていく。
(下の方だけ?そうよね…?)
広海は下を向かせられているため、鏡を見る事が出来ない。
でも彼の持ったバリカンは容赦なく、どんどん上まで上っていき
やがて後頭部の半分より上になってもまだ止まる気配を見せない
(そんなに上の方まで刈られたら、坊主になっちゃう…)
広海は自分の心の中で発した『坊主』と言う言葉に
自分自身が動揺していた。
バリカンはつむじ近くまで上がっていき
通った部分の髪をわずか数ミリ程度に刈り落としていた。
「すごい大胆にやっちゃってるからね」
彼はバリカンを動かしながらそう広海にささやいた。
広海はその言葉にどきっとして、いっそう身体を熱くした。
バリカンをうなじに戻すと、また上の方まで…
同じ動作を繰り返し、やがて後頭部の髪をすっかり刈ってしまうと
今度は耳の後ろから耳の上へと移動して行った。
耳を下に折るようにし、そのすぐ上にバリカンを入れる。
そして後ろと同じように、下から上へ刈り上げていった。
広海はかなり上の方まで上がっていくバリカンが
横の髪を数ミリに刈っていくのを鏡でしっかりと見てしまった。
反対側も同じように高い位置まで刈ってしまうと、彼はふと動きを止めた。
「本当はさ…」
彼はそう言い掛けて、広海の額にバリカンを近づけて来た。
(やっ…丸坊主にされちゃう…)
バリカンは額の生え際、わずか1センチ辺りまで迫って来て
広海は思わず目を閉じてしまった。バリカンの音が止まった。
「…って、全部刈っちゃってもいいんだけど
今日はこの辺でやめておくからさ」
彼はそう言って、まだ何がおきたか判らないでいる広海を見てにやっと笑った。
バリカンを置き、またハサミを取り出して仕上げに入っている。
梳きハサミに持ち替えて、短かった前髪やトップの髪をどんどん梳いていく
もうツンツンとねぎ坊主のようになってしまった髪は
立ち上がったままだった。
ハサミを置き、彼はワックスを手に取ると、
ツンツンと立っている前髪やトップの髪に付けていった。
「はい、出来あがり」
カットクロスを外し、立ちやすいようにイスを回転させた。
「ご希望通り、すごく短くしてあげたから」
広海は、立ちあがろうとして、身体の力が抜けてしまっている事に気が付いた。
それでもそれを悟られないように、何とか立ちあがり、そっと振り向いて
後姿を鏡に映して見た。
「こ、こんなに…」
かなり上の方まで青々と刈り上げになっていた。
恐々と手をうなじの方に持って行き、そして下から触ってみた。
『ジョリ…』
今までに感じた事のない手触りだった…それもこれは自分の頭なんだ。
広海はまだ火照っている身体を冷ますように大きく深呼吸して歩き出した。
会計を済ませ、店を出て行こうとしている広海に彼が声を掛けた。
「伸びたら、またおいで。今度はもっと切ってあげるよ。
そうしたらもっと…」
途中までで、彼はドアを開けて広海を送り出した。
外の風が、短くなった頭に直接あたっているような感じがした。
広海は帰り際に聞いた彼の言葉を思い出していた。
「そしたらもっと…もっと何だろう…?」
もっと感じるから…?ふと考えて広海は息をのんだ。でも…
そしてもと来た道を歩きながら思った。
「早く髪が伸びないかなあ…」
END