魔女セレナの涙
「う・・・」
重たい瞼をゆっくりと開ける禄人。ゆっくり起き上がると、目から涙を浮かべていることに気づいた。涙は頬を伝って流れ落ちる。
(なんてことだよ・・・)
奥歯を噛みしめる。
(あんな過去があれば、そりゃこんな空気も出すよな・・・)
目が覚めた瞬間、重たい空気がより一層増していた。封印が解かれた今、セレナの力、魔力が放出されているのだろう。急いで涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がる。部屋は意識が失う前と同じ状態だった。床に落ちている何も描かれていないキャンパスを除いて・・・。禄人はタンスの引き出しを開けた。中に入っていたのは木の鞘に納められた短刀だった。
「力を貸してくれ・・・ラーシュ・・・」
短刀を手に取った後、次は台所に向かう。
「やっぱ、むしゃくしゃしてるときはこれだよな」
鉄筋やプレハブが目立つ建設途中のビル。およそ5階のところにセレナはいた。
絵に封印されてから500年。ずっと意識はあった。しかし、ただ流れていく時代を見ているだけだった。何もできないまま・・・500年間じわじわと魔力を吸われ、その度に苦痛が走る。魔力が尽きるその時まで苦痛を与え、死に絶える。そんな封印だった。だから、諦めていた。苦しみながら死んでいくのだと。しかし、今封印が解かれ、外に出ている。
(あの人・・・がやったのかな?)
たった2・3時間前にあった20代前半の黒髪の男。彼が直接触れたとたん暖かい光が辺りを包み込み、気づいたときは外に出ていた。最初訳が分からず、彼を気絶させてしまったが・・・。
セレナは柱に寄りかかり、座り込む。
「あの時とおんなじだ」
思い出す。500年前、飢えて死にそうだったあの時を。今のセレナは500年間封印されていたおかげで、魔力がほとんど残っていなかった。
「結局、私は何をしたかったんだろう・・・」
自分が何もしなくても時代は変わった。この時代を見て強く痛感した。
(あの時はリズが助けてくれた。でも、今はもういない。もうどうでもいい、何もかもどうでもいい)
「大丈夫か?」
突然頭上から声が聞こえた。ゆっくりと顔を上げると、そこにいたのは・・・
「やっと見つけた」
封印を解いた彼、四ノ原禄人が今、目の前にいた。笑った顔でこちらを見る。
(どうして?)
「お腹すいているだろ・・・俺特製のおにぎりあるんだ。食べるか?セレナ」
肩から下げている鞄から何か取り出そうとする。
「!!」
セレナ・・・久しぶりに聞く言葉。自分の名前。
「その名前を言うな」
「え?」
「その名前を言うなあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
セレナの中心に爆風が吹き荒れ、禄人は後方に飛ばされが体制を立て直し、着地する。
「その名前を言うな!・・・セレナは・・・セレナ=リストレインは・・・500年前のあの時・・・死んだんだ!!・・・」
頭上に手を掲げると、炎が湧き出て大きくなる。今のセレナには魔力がほとんど残っていない。それでも魔法が使えるのは、気持ちが魔力を増幅させているから。しかし、それは自分の命を削っている行為でもあった。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
人1人の見込めるほど大きくなった炎の玉を、禄人に向けて投げる。炎の玉は禄人を飲み込み、燃え広がった。
「はあ・・・はあ・・・」
目の前に燃え広がる炎。炎が消えたとき黒い炭となっていると思った。だが、その考えは消え去った。
青白い斬撃が炎を跡形もなく消し去っていった。炎が消えた場所には傷一つついていない禄人が立っていた。手に短刀を持って。
(何が・・・起こったの?)
魔術でもできない芸当だった。魔法を消し去るなど・・・。
(いや・・・違う。消しているんじゃない。浄化している?)
禄人は前へと走り出す。
「来るな・・・」
鉄筋を浮かし投げつける。しかし、禄人の持つ短刀によって一刀両断される。
「来るなあああああああああああああああ!!」
こちらに向かってくる禄人に恐怖が沸いた。ここへきて初めての死の恐怖がセレナの心を埋め尽くしていた。
目の前まで迫ってくる。短刀が自分を両断すると思った。だから、目をつぶりその時を待った。しかし、激痛は一向にやってこない。代わりにやってきたのは、暖かな温もりだった。禄人が短刀を持っている手とは逆の手でセレナを抱き寄せたのだ。
(え・・・?)
「ごめんな・・・つらかったよな・・・苦しかったよな・・・」
禄人の肩と声が震えていた。セレナには分からなかった。どうしてこの行動をとったのか。どうして、泣いているのか。
(どうして・・・)
「どうして・・・あんたが謝るの・・・あんたは何もしていないのに・・・どうして・・・あんたは泣いているの」
「・・・悲しいんだ。セレナの過去を視て・・・お前の気持ちが流れてきて・・・お前を魔女にしたのは・・・人間だから・・・俺と同じ人間だから・・・」
(私の代わりに・・・泣いているんだ)
本当はあの時、泣きたかった。500年前のあの日、魔女になったあの日、泣きたかった。だけど、魔女という怪物になった自分は涙を出せなかった。だが・・・
「馬鹿じゃないの・・・私に同情したって良いことないのに・・・」
目が熱くなる。声も震える。忘れていた感情と渦巻いていた思いが涙となって溢れてくると同時に赤色の目が徐々に緑色に変わっていく。
「う・・・うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「セレナ・・・」
500年分の涙を流すかのようにセレナは泣いた。そして、禄人はずっと抱き寄せて受け止めていた。
ひとしきり泣いたセレナは禄人の隣に座っていた。
「ほれ!」
禄人は肩掛け鞄から拳より大きい包みを取り出す。中から、アルミホイルで包まれたおにぎりが現れる。海外出身のセレナは一体何なのか分からなかった。
「なにこれ?」
「おにぎり、美味しいぞ。中身はおかかだ。がぶって食べてみれよ」
アルミホイルを解き、おにぎりにかぶりつく。500年ぶりの味覚が舌に広がる。
「おいしい・・・」
「だろ!!」
一口、二口と食べ進めていく中、セレナは禄人のことを考えていた。
(さっき、私の魔法を浄化していた・・・ということは霊力かしら?)
魔力と霊力は似て非なるもの。二つの力はどちらも摩訶不思議な現象を生み出す。しかし、魔力はこの世の理に干渉する力、対して霊力は魔や邪気を打ち払うことに特化した力。そう、魔術、魔法を使うものにとって霊力は天敵ともいえる力だった。しかし・・・
(あの量は異常よ・・・人が持つ量じゃない)
禄人からほとばしっていた青白い光が物語っていた。
(そういえば、この人私の過去を視たんだっけ?てことは・・・強い霊力と感受性を持っているのか)
強い霊力を持つものは、力に触れただけでその人の過去を視ることができる。禄人は気絶させられたとき、体全体でセレナの魔力を受けていた。だから過去を視ることができのだ。そして、禄人の持つ短刀。あれは一目見て普通の短刀ではないと感じた。西洋でいえば魔剣、東洋でいえば妖刀の気配だった。
感情や過去を読み取る感受性、人とは思えないほどの量を持つ霊力、そして妖刀と思われる短刀。
「あんた・・・一体何者なの?」
おそるおそる聞いてみる。たいして禄人は笑って答えた。
「四ノ原禄人・・・ただのアーティストだけど」
「は?!」
予想外の返答に驚きの色を隠せないセレナ。
「ちなみにアーティストっていうのは芸術家とか演奏家のことだ。おれは自分で曲を作って歌うのが仕事・・・セレナ!!」
禄人の目が大きく見開く。そして、セレナを強く突き飛ばす。突然の出来事だった。その時、一本の鉄筋が頭上に降っているのに気付いた。ちょうど突き飛ばされる前にいた場所に落下するように。
轟音が響くと同時に、肉を貫く音が発生する。そして、セレナの目に映ったのは・・・鉄筋に突き刺され倒れる禄人の姿だった。
「え・・・?」
何が起こったのか一瞬分からなかった。
「・・・無事・・・か?・・・」
この状態でもセレナの安否を確認する禄人。だが、その表情は苦痛の色で染まり、口から血がこぼれる。
「嫌だ・・・なんで・・・これ以上・・・失いたくない・・・」
禄人に駆け寄る。だが、今の自分は回復魔法を使う魔力も残っていない。これ以上魔法を使うには体の一部か命を魔力に置き換えるしかない。
(待てよ・・・あるじゃない・・・魔力に置き換えるもの)
セレナは禄人の短刀を抜き、自分の髪をまとめる。
「まて・・・セレナ・・・」
刃を髪にあて、思いっきり力を籠め、一気に引いた。大量の髪が自分の体から離れる。
「《ここに、我の一部を捧げ、力となれ》」
そう唱えると、分離した髪は粒子となり、禄人にまとわりついた。腕を真横に振り上げる。すると、禄人に刺さっていた鉄筋が跡形もなく消えた。鉄筋が消えたことにより大量に血が溢れてくる。次にセレナの両手に緑色の光が灯り始める。光を徐々に強くなると、それを禄人の傷口に当てた。すると、傷口がみるみるうちに塞がっていき、最終的に完全に塞がった。
「よかった・・・」
「よくねえよ・・・」
禄人は立ち上がろうとするが、力が入らず前に倒れる。そこに、セレナが抱き留める。
「だめ、立ち上がっちゃ。傷を治しても失った血は戻ってないもの」
「せっかく綺麗な髪だったのにどうして切っちゃうかなー」
その返答に心底驚く。
「だけど・・・助かった・・・ありがとう・・・セレナ」
禄人は微笑んだ。その時、初めてセレナは自分が魔女で良かったと思った。