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-6 夜襲(後編)

 空には鳥よりも大きな魔族の影が舞い、人のものとも魔族のものとも知れぬ意味をなさない叫びがこだましていた。

 ユラは恐怖心に駆り立てられて走る。

 しかし、人をおぶっての慣れない移動に何度も足がもつれて転倒した。


「ユラ……」


 息も切れ切れになりながら、なおも立ち上がろうとするユラにデイシアが呼び掛けた。

 ユラは返事をする余裕もなく、わずかに呼吸音を押さえて母の言葉の続きを待った。


「私のことはここへ置いて。お前だけでもお逃げなさい」

「い……、やだ。やく……そく……」


 荒い呼吸の中、絞り出すように答える。

 ユラの背では、デイシアが苦しそうに咳込んでいた。


 このまま連れ回すのは彼女の身体にも大きな負担となるだろう。

 一刻も早く、落ち着ける場所を探さなければ。


 その時、轟音が辺りに響き渡った。

 驚いて振り向いたユラの視界に飛び込んだのは、炎に包まれ崩れ落ちていく我が家だった。

 燃え盛る炎の中、先ほどの双頭の黒い犬が何かを探すように左右に頭を振っている。

 そして、正面にユラの姿を捉えると、口の端から炎を覗かせこちらへ迫ってきた。


「貴様があの子を屠ったのかっ……!」


 黒い犬が何を言わんとしているか、ユラにはわからなかった。

 激しく怒り狂う黒い犬は牙を剥き出しにして低い唸り声をあげている。


 デイシアを背負った状態で逃げ切ることは不可能だ。

 このままではレーウィの二の舞になってしまう。

 ユラにもわかっていたが、母を置き去りにすることはできなかった。


「お前、目的を忘れているのではないわよね」


 不意に背後から声を掛けられて、ユラの動きが止まった。

 村では見たことのない女だった。

 彼女はユラと巨大な犬の間に立ちふさがる。


 女はすらりとして背が高く、派手な格好をしていた。

 紫色の艶やかな布をふんだんに使い、細かな装飾が施された女の服は、穴を継ぎはぎした村人たちの衣服とは似ても似つかない。


 引きずりそうなほど長い裾のため足元の様子を窺い知ることはできないが、背中はざっくりと開いており彼女の色気と線の細さを強調していた。

 腰まで伸びた闇より深い漆黒の髪を、方々で上がる火の手が照らし出している。


 ――そう。彼女はユラではなく黒い犬と対峙していたのだ。


 自らの体の何倍もの大きさの、しかも双頭のを前にしても臆することはなく、むしろ犬の方が一歩退くようなありさまだった。

 ユラたちに一瞥をくれた彼女は、呆れたように腰に手を当てて黒い犬に歩み寄る。

 そして、何のためらいもなく懐から取り出した鞭で黒い犬を打った。


「考えたらわかるでしょう。こんな子供にお前の子供は殺せやしない」

「しかし……、あの場所で嗅いだのと同じ臭いがします」

「いいからおき」


 女に言いつけられ、黒い犬は渋々集落の方へ踵を返した。


「あ……、あっ……」


 あんなにも大型の魔族が、人間の言うことに従った。

 目の前で起こったことにユラが戸惑っていると、妖艶な笑みを浮かべた女が近づいてきた。


 上体を傾げてユラと視線を合わせた彼女は、細長い指でユラの頬に触れる。

 驚き硬直したユラは女の胸元が背中同様に大きく開いていることに気付き、慌てて視線を逸らした。


 ユラの動揺を察した女はさらに破顔して、自らの唇に人差し指を押しあてた。


「坊や、今見たことは忘れるの。いいわね?」


 夜闇の色の瞳に見つめられると、頭の芯がぼーっとしてしてくる。

 女の言葉は魔法のようにユラの脳髄に浸透し、瞼を重くさせた。


「そうよ。良い子ね」


 眠りに落ちる時のような抗えない瞼の重さに思わずユラが目を擦っていると、その間に女の足音は遠ざかっていった。




 女が立ち去ると、瞼の重さは嘘のように消え去った。

 ユラはデイシアを背負ったまま弾かれたように走り出した。

 背後には別の魔族の声が迫っている。


 山は危険だと言われていたが、今はそんなことを言っていられない。

 目の前の森へ飛び込み、立ち並ぶ木々の中に身を隠すことができそうな場所を探した。


 みんなで遊びに来ていた時は何とも思わなかったゆるい傾斜が、デイシアを背負うユラの体力をみるみるうちに奪った。

 今にも止まりそうな足取りになっても、気力だけで進み続ける。


「おか……あ……さん、だい……じょう……ぶっ?」


 荒い呼吸の合間に呼びかけるが、デイシアの反応はなかった。

 デイシアの肌に触れた指先に氷のような冷たさを感じて、ユラは思わず息を飲んだ。

 熱に浮かされる母の姿は見たことがあったが、体温を失っていくのは初めてだ。


 ――何とかして今すぐに身体を温めなければいけない。


 何か段の取れそうなものはないだろうかと視線を彷徨わせていると、頭上から不思議な音が聞こえてきた。


「ギ……ギ……っ」


 虫の鳴き声のようにも聞こえるその響きに、ユラは数歩後ずさった。

 空気が動くのがわかり、重量感のある着地音を耳が捉える。


 目の前に現れたのは、先ほどとは違う魔物だった。


 両腕にカマキリのような鎌をもったその魔物は、獲物を狙う目つきでユラとデイシアをじっと見据えた。

 見れば見るほどに昆虫のようなその魔物は、四本の脚を器用に使ってユラに近付いてくる。

 人間とは似ても似つかぬその姿に、えも言われぬ恐怖心が込み上げてきた。


「ギシシシ……」


 物が軋むような音を立てて魔物が体を震わせた。笑っているのだ。

 その残忍な笑い声を合図に、ユラは母を担ぎ直して走り出した。

 しかし、しがみつく力を失ったデイシアの体は、簡単にユラの背からずり落ちてしまう。


 もう一度背負い直そうと振り向いた瞬間、鼻先すれすれの空間を魔族の鎌が切り裂いた。

 鎌は真っ直ぐに降り下ろされ、肉を裂く鈍い音と何とも言えない臭いが周囲に広がった。


 ユラの真後ろに倒れていたデイシアの背から、じわじわと血が滲み出している。

 辛うじて生命を繋いでいた母が、儚くも呆気なくその命を手放してしまう。


 うろたえながらも、ユラは足元に落ちていた木の枝を振りかざした。

 枯れ枝程度では鎧のような光沢のある魔族の体に傷を付けることすら叶わない。

 わかりきったことであったが、それでもユラは立ち向かった。


 手にした枝が折れようとも。

 新たな枝を拾い上げては魔族を追い払おうと目いっぱい振り回した。


 しかし。

 魔族はユラに一瞥をくれることもなく、巨大な鎌を再度デイシアの体に突き立てる。


 恐怖と絶望に顔を歪ませるユラの前で、魔族は彼女の体を引き裂き、その肉を咀嚼した。


「――……あ、ああ……、……あああぁぁぁっ!!」


 込み上げる強大な感情の渦に、ユラは絶叫するしかなかった。

これにてEpisode1完結となります。

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