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-6 夜襲(前編)

 大人に連れられて村まで戻ったユラは、先に逃げ帰っていたレーウィたちと共にこってりと絞られた。

 魔族が出たこともあり、当面の間は山への立ち入りは禁止され、村の中に野生の動物がいても近付いてはいけないと教え込まれた。


 幸いにもミーナの傷は重傷ではなかったらしく、多少痕は残っても生活に支障をきたすことはないらしい。

 その知らせを聞いて、ユラを含めた子供たちもほっと胸をなでおろした。


 ユラもレーウィも本物の魔族を見るのは初めてだった。

 今回は怪我人が出てしまったが、それは怯えていた子犬を刺激してしまったせいだ。

 それなのに、なぜ大人たちがそれほどまでに過剰反応するのか理由はよくわからなかった。




 家に帰ると、病床のデイシアが優しく迎えてくれた。

 山で遊び回るユラとは対照的に、母の体調は相変わらず思わしくない。

 そんなデイシアに今日のことを話すのはなんとなく憚られて、ユラはそのことには触れないように話を切り出した。


「おかあさん、ことし、はたけできそうって」


 病床の母に寄り添い、拙い言葉でユラが話しかける。

 弱々しく笑顔を作ったデイシアは、返事をする代わりにユラの頭を撫でた。


 癖の強いユラの黒髪は骨ばった手の下でくすぐったそうに揺れていた。

 柔らかな髪の中に隠れているが、土砂から救出された日に見つかった瘤は半年経った今でもそのままの形で残っている。


「うちにお医者様にかからせられるお金があれば良かったんだけどねぇ……」


 ユラの頭に触れるたび、デイシアは口癖のようにそう言った。


 本当に医者を必要としているのは彼女自身だ。

 病状はベリトが出稼ぎに行った半年前よりもさらに悪化しており、今では身体を起こすことも困難になっていた。

 それでも気丈に振る舞おうとするその姿が逆に痛々しい。


「そういえば、あなたが畑へ行っている間にね、お隣のおばさんが来たのよ。お父さんたち、来週には帰ってくるんですって」


 長い冬を越え、父や他の村人たちが帰ってくる。

 デイシアの言葉にユラの瞳が輝いた。


 冬の間も稼いだ金を衣類や食料に換えて数人の男たちが運んできていた。

 だが、その中にベリトの姿はなかった。


「きっと無事で帰ってくるわ」とユラに語りかけるデイシアの口調には、自信に紛れて不安も見え隠れしていた。

 その不安も払拭されるのだ。


 嬉しい知らせに湧いていたのはユラの家だけではない。

 村のあちらこちらで出稼ぎ組の帰還の話題で盛り上がっていた。


 彼らをねぎらうための料理を作ろうかだとか、不在の間に村で起きた珍事を報告してやろうだとか、めいめい雑談を繰り広げている。

 その様子は、ひと足先に春が来たようであった。




 父の帰宅を翌日に控え、待ちくたびれたユラが布団でうつらうつらしはじめた時だった。

 妙に外が騒がしく、曇った窓越しにもわかるほど明るい。

 予定よりも早くに父たちが帰ってきたのだろうか。


 静かに寝息を立てる母を起こさぬよう注意を払いながら、ユラは布団を抜け出した。

 冷たい床に思わず小さな息が漏れる。

 それでも母が目を覚まさなかったことに安堵し、ユラは歩みを進めた。


 玄関の木戸に近付くと、悲鳴が様々な方向から響いてきているのだとわかった。

 尋常ではない何かが起こっている。


 恐る恐る木戸を細く開けると、真っ先に飛び込んできたのは強烈な光と凶悪な赤い色だった。

 幾重にも渦を巻き形を変えるそれが炎であることを認識し、ユラの動きは鈍る。

 動物的な本能が、痛いほどに警鐘を鳴らしていた。


 猛り狂う炎の中を、見知った顔が駆け抜けていく。

 よく知った村人たちであるはずなのに、恐怖に硬直した表情はまるで見知らぬ他人だった。


「あっ……」


 戸口から様子を窺っているユラに気付いた少年が小さく声を上げた。

 レーウィだ。


「ユラもはや……、っ!」


 レーウィの背後に黒い影が差し、目が大きく見開かれた。

 何事かを告げようとした口は声を発することなくパクパクと開閉し、地面に崩れ落ちる。

 ユラが目の前で起きている事象を理解する前に、影の正体が炎に照らし出された。


 漆黒の毛並みの犬だ。

 その大きさは馬ほどもあり、その鋭い牙がレーウィの体を貫いていた。


 黒い犬はユラを視界にとらえると、ゆっくりと向き直った。

 そこで初めてその犬に頭が二つあることを知る。


 ――魔族だ。


 遠くへ視線を向けると、あちこちに村人を襲う魔族の姿があった。

 動物に似た姿のものもいれば、形容しがたい異形のものもいる。


 逃げ惑う人々をそれぞれのやり方で殺め、通りすがりに建物を焼き払ったり破壊したりしていた。


「レー……、ウィ?」


 そこに駆け付けたのはレーウィの兄だった。

 巨大な犬の牙で噛み切られた弟の姿に絶句し、顔が青ざめていく。


 レーウィの兄はいつも大人たちに混ざって働いていたから、ユラと一緒に遊んだり話したりしたことはほとんどなかった。

 名前も知らない彼は、小石を拾い犬の顔目がけて投げつける。


「っ、小僧め!」


 犬はレーウィを吐き出すと、兄の方へ牙を剥いた。

 彼は犬から逃げながら石を拾っては投げつけた。


 巨大な犬がレーウィの兄を追って立ち去ると、ユラは急いでレーウィに駆け寄った。

 しかし、血だまりの中に横たわるレーウィはすでに息をしていない。


 恐怖に立ちすくむユラに、村を焼き尽くさんとする炎が迫っていた。

 夢を見ているような心地で炎を見つめていたユラだったが、ふとした拍子に我に返る。


 ――ユラ、母さんのことを頼むぞ


「……おかあさんっ!」


 父から母を頼むと言いつけられていたことを思い出し、奥の部屋で眠っているデイシアの元へ急いだ。

 デイシアもこの異常事態には気付いており、弱った体を起こして布団から抜け出そうと苦心していた。


 ほとんど寝たきりとなっていた体は思うように動かず、何度もバランスを崩して布団に崩れ落ちている。


「ユラ……。私のことは置いて、お逃げなさい」

「だめ!」


 力なく諦めの表情を浮かべたデイシアの体の下に潜り込むと、ユラは少々乱暴ながら母親を背負って歩き出した。

 寝たきりでやせ細った病人とはいえ、彼女も大人だ。

 八つやそこらの子供が背負って動き回るのは容易なことではない。


 それでも父との約束を守るため、ユラはよろめきながら家の裏口から逃げ出した。

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