-5 山で見つけた迷い犬
ユラが村にきて半年が経った。
わずか半年でみるみるうちに身長が伸び、ユラは同い年の子供の中で一番の長身になった。
痩せていた体も随分とがっちりしてきている。
案の定、村では思うように作物が育たず、苦しい生活を余儀なくされていた。
けれど、出稼ぎに行った男たちから送られてくる幾ばくかの金や食糧によって村人たちはなんとか生活を成り立たせていた。
ここ最近一番の変化はユラが少しずつ言葉を話せるようになったことだ。
村の子供たちともだんだんと打ち解け、家事や畑の手伝いの合間に一緒に遊んで回るようになった。
その中でも特に仲が良かったのが二つ年下のレーウィだ。
レーウィは身軽で、山で遊ぶのが好きだった。
土砂崩れが起きてからは、危ないから行ってはいけないと村の大人たちに釘を刺されていた。
それでもレーウィは大人たちの目を盗んでこっそりと山へ入る。
「……ねぇ、ほんとにだいじょうぶ?」
一人で行かせるのが心配で後をついて歩いていたユラは、不安になって問いかけた。
「だいじょぶだいじょぶ。ビビんなって」
レーウィはそう言って笑うと、さっさと歩いて行ってしまった。
そこへ何人かの子供たちが合流する。
――一度に全員で山に入ると、大人に見つかるかもしれない。
そう言い出したのもレーウィだった。
年の割に悪知恵が働くらしい。
ある程度のところまで行くと、レーウィは小動物のような身軽さでスルスルと木に登った。
秋に起きた土砂崩れのせいで村の畑は壊滅状態になった。
そのせいでみんなお腹を空かせていた。けれど、泣こうとわめこうと無いものは無い。
そこで思いついたのが、山の木の実を自分たちで取って食べることだった。
「ちぇー。ダメだダメだ」
「ほんとにー? レーウィの探し方が悪いんじゃないの?」
茶化すように言ったのは、この中で一番年上のミーナだった。
木からピョンと飛び降りたレーウィは横に首を振る。
この辺りの木の実はあらかた取りつくしてしまった上、春先のこの時期はまだ実を結ぶには早かったのだ。
「ねえ、これ持って帰ったら父ちゃんたち怒るかなぁ……」
芽吹き始めた山菜に視線を向けていた子供がぽつりと漏らした。
よく見ればあちらこちらに山菜が生えている。
それら全てが、子供たちの目には宝物に見えた。
はぐれて迷子にならないよう、お互いに声を掛け合いながら両手いっぱいに様々な山菜を抱える。
落ち葉に隠れた木の根や頭上すれすれに張り出した枝は子どもたちにとって最高のアスレチックだった。
「お? あれなんだ?」
声を上げたのはレーウィだ。
彼が指さす方には、何か小さな動物がもぞもぞと動いている。
子供たちはにわかに歓声を上げ、その動物を取り囲んだ。
逃げ場を失って身体を竦めるのは黒っぽい色の毛並みの子犬だった。額には白っぽい渦巻きのような模様がある。
「可愛いね。連れて帰ろうよ」
真っ先に子犬に近づいたのはミーナだった。
怯えた子犬をひょいと抱き上げ、頭を撫でる。
その時、かすかに子犬の額の模様が光った。
「きゃっ……」
ミーナが悲鳴を上げて子犬を放り出した。
子犬は落ち葉の上をころころと転がり、全身の毛を逆立てて威嚇の声を上げている。
周りの子供たちには何が起こったのかわからなかった。
右手を抑えてうずくまっていたミーナは、恐る恐る自分の手を見た。
手のひらには一センチほどの穴が開き、そこから血が溢れだしている。
混乱は一瞬にして伝播した。
理解不能な出来事に泣き出す子、大人を呼びに大慌てで山を下りる子。
これまで子供たちを先導してきたレーウィは後者だった。
その場にいたほとんどの子供が、山菜を放り投げてレーウィについて山を下りていってしまった。
ミーナも置いて行かれまいと涙を拭ってよろよろと歩きだした。
ユラだけは、その場に一人残って怯える子犬をなだめようとしていた。
「だいじょうぶ。こわくないよ」
大きな声を出して刺激しないよう、ゆっくりと近付く。
小刻みに震えていた子犬が、牙を剥いて吠えた。
その瞬間に額の渦巻き模様がしゅるりと解け、鋭い角に姿を変えた。
ミーナを傷付けたのはこの角だったのだ。
角が生えた犬など見たことがなかったユラは、驚きで硬直し動けなくなってしまった。
そこへ村の大人たちがぞろぞろとやって来る。
「まぁ、魔族じゃない!」
「でも子供よ。このままにしておいたら後で大変なことになるのも目に見えてるし」
何より……、と大人たちが目配せする。
ユラは大人に抱きかかえられ、村まで連れていかれた。
背後から子犬の悲痛な鳴き声が聞こえた。
それを聞いて、脳裏にベリトを見送った後に聴いた立ち話の内容が蘇った。
――嵐のあった晩、ここらを魔族が飛んでいたらしいじゃないかい。
「本当にこの辺りなの?」
夜闇の中、女が問いかけた。
彼女は山道には似つかわしくないロング丈のドレス姿だった。
女の問いに対する明確な返答はなく、代わりに寄り添うように歩いていた漆黒の犬が小さく唸る。
「……ここを降りて行ったようです」
顔を擦りつけるようにして臭いを辿っていた犬が足を止めて女を見上げた。
女は犬が口をきいたことなど意に介する様子もなく、冷ややかな視線を投げ返す。
「勝手な真似は控えるのよ」
「もちろん。承知しております」
犬は恭しく頭を下げ、斜面を駆け下りていった。
目印も何もない山の中を、臭いだけを頼りに駆ける。
そうして山の中ほどまで下ると、周囲の臭いが変わった。人間と血の臭いだ。
歩くペースを落とし慎重に周囲を確かめていると、遅れて女が合流した。
「……あら」
女は小さな声を漏らし、眉をひそめた。
そこにあったのは小さな動物の死骸。
額の渦巻き模様が月明かりの中浮かび上がるように見えた。