-10 そして僕は魔王になった
ユラが目を覚ました時、真っ先に目に入ったのは四方を石で囲まれた空間だった。
「お目覚めになられましたか」
追って耳に入ってくる聞き覚えのある声。
その主を求めて顔を上げると、そこに一人の少女がいた。
「イーラ……!」
探し求めていた仲間の姿を捉え一気に安堵が込み上げる。
彼女にやつれた様子はなく、服装はなぜか以前より豪華になっていた。
そして、この狭い部屋は薄い布で仕切られているようだ。
「陛下、お目覚めになられました」
イーラは安堵にも似た笑みを浮かべ、布の付けられた方へ呼びかける。
そこにぼんやりと浮かぶ影がイーラが呼びかけた相手らしい。
「イーラ、ここはどこなんだ? それに陛下って……」
「ここは魔族領の城でございます。由羅さま」
言葉こそ丁寧だが、イーラの口調はこれ以上無駄口を叩くなとでも言っているかのように冷ややかだった。
布一枚向こう側に魔王がいる。
にわかには信じがたいが、ユラはこれまで味わったことがない全身がビリビリと痺れるような感覚に襲われていた。
恐らく、これは魔王の放つ瘴気の影響なのだろう。
「由羅よ、よくぞ参った。暮羽から話は聞いておるぞ」
低く空気を震わせる声は思いのほか柔らかい。
しかし、そこにいるのはユラたちが倒すことを目的として訓練に励んできた仇敵なのだ。
ユラは固く口を結び、魔王の影を睨み付けた。
「そう構えるでない」
「陛下、あまりお話しになられてはお体に障ります」
諫めるようにイーラが言う。
それを目の当たりにしたユラはますます表情を険しくした。
「イーラ……君は魔族に連れ去られたんじゃないのか?」
「詳しい説明は後ほど。陛下、いかがいたしましょう。お疲れでしたら日を改めますが……」
「せっかく暮羽が連れてきてくれたのだ、会わぬ手はないだろう」
魔王の言葉に、イーラは微笑んで応える。
彼女は天井から伸びる紐を手に取ると、ぐいと引いた。
すると、ユラのいる空間と魔王のいる空間を隔てる布が左右に分かれて開いた。
「……っ!?」
ユラの目の前に現れたもの。
それはこの石造りの小さな部屋にはそぐわない、大きく立派な玉座だった。
遠目に見てもわかる高級な布張りの座面に、石を切り出して作ったような台座が据えられている。
その台座の上には、黒い獣のようなものの上半身が据えられていた。
両腕のない胸像のようなものの頭部には、両方に渦を巻くような形の角があった。
ユラの手は自然と己の頭部に向かっていた。
耳の少し上の髪に触れようとして、体がぴくりと震える。
クレハやシュバルツの魔力を吸収したせいで、ユラの角は大きく成長していた。
――まさに、目の前にある胸像と同じように。
「由羅よ、驚いたか」
胸像だと思っていたものが口を開いた。
その声はつい今しがたまで布越しに語り掛けてきた魔王のものだ。
「あるいは己の魔力に侵され、体を蝕まれる愚かな王を見て呆れたか」
「そんなことありませんわ。きっと緊張してるんですのよ」
慌てて取り繕うようにイーラが口を挟む。
その時、椅子に張られた布を伝って一滴の雫が床に落ちた。
雫は床材の石に触れるとジュゥと音を立てながら煙を発生させる。
床には焦げた跡が残り、室内には肉が腐ったような臭いが充満した。
「陛下っ!」
慌ててイーラが玉座に駆け寄った。
雫はポタポタと滴り続け、強烈な臭いにユラは思わず顔を歪ませる。
「よい。今更どうしようもないことは、維良、お前が一番わかっているだろう?」
魔王に呼びかけられて、イーラは沈黙した。
そこにただならぬものを感じたユラは息を飲んだ。
魔王の体は溶けていた。
ドロドロの液状になった肉体が滴り落ちて床を焦がしている。
腕や下半身がないのは、恐らくすでに腐り落ちてしまったからだろう。
これが自分たちの追い求めてきた敵の姿だ。
なんと醜悪なのだろう。
ユラの思考を遮るように、魔王が口を開いた。
「由羅。ここに来るまでの間、お前は多くの魔物の力をその身に宿してきたことだろう。そして、そのたびに肉体を変化させて対応してきた。
それは何のためかわかるか?」
「いいえ……」
口では否と答えたが、ユラには薄々分かっていた。
魔力を奪い蓄えるという他の人間にはない能力。
魔力を蓄えるほどに人間からかけ離れていく容姿。
それらから目をそらすことで正気を保っていたのかもしれない。
「元はと言えば、わたしの責任です。わたしがあの日、嵐の中で“ゆりかご”を落としさえしなければ……」
「“ゆりかご”?」
ユラが眉間にしわを寄せると、イーラはこくりと頷いた。
「由羅さま、あなたがお生まれになってすぐの頃はまだ魔力も弱く、大きな岩でできた“ゆりかご”に収められていたのです。わたしはあなたのお守り役を仰せつかっていました。
ところが、“ゆりかご”の運搬を任されていた日に運悪く嵐に遭ってしまったのです。雷に打たれ、思わず“ゆりかご”を手放してしまいました。その後すぐに“ゆりかご”を探しに行きましたが、落下の衝撃が山を崩し、わたしの力ではどうすることもできませんでした」
「ど……、どうしてそれが僕だと言えるんだ?」
イーラの話はユラが崩れた土砂の中から保護された時の状況と符合していた。
ユラのそばには大きな岩があったというから、それが“ゆりかご”なのかもしれない。
しかし。その話はアルフォンソとダルブの人間以外は誰も知らないはずだ。
「あなたはご存知ないかもしれませんが、魔力を吸収する能力を持つものは後にも先にもあなただけなのです。だからこそ丁重にお世話させていただいていたのですが……。
わたしはその失態の罰として当時の肉体を剥奪されました」
その先の話をすると話題が逸れますので、と断ってイーラは話すのをやめた。
「その能力の持ち主が一人しかいなかったとして、それは岩の中に入れられてたんだろ? 僕は保護された時から人間の子供だったんだ。きっと、土砂崩れが起きた時に山越えをしようとしていた旅人の子供だろうって……」
「ええ。その可能性は十分にあります。けれど、危機に直面して本能的に人間の赤子と魔族の幼体が融合するということもあるのです。火事場の馬鹿力という言葉もありますし」
事実を受け入れろ、とイーラは暗に迫っていた。
その視線に耐えられなくなり、ふっと魔王の方へ視線を逸らす。
魔王の肉体は、先ほどよりも更に大きく崩れていた。
「陛下のお体はその膨大な魔力を抱えきることができず、崩壊されています」
「由羅よ、私の命が尽きる前にお前と会うことができて本当に良かった。もう目が霞んで来てな。済まないが近くへ来て顔を見せてくれないか?」
魔王は声を発するのもやっとというあり様で、嘘をついているような様子はない。
強烈な腐臭を避けるために息を止め、ユラは玉座へ近づいた。
どこにそんな力が残っていたのか、魔王は前触れもなく玉座から飛び上がった。
一直線にユラ目がけて突撃してくる。
突然のことに驚いたユラは、反射的に腕を前に出して身を守ろうとした。
その瞬間。
ユラは己の爪が魔王の体を切り裂いたのを感じ取った。
これにてEpisode5完結となります。
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