-2 王さまと二人のお妃さま
城の地下には魔王のための部屋がある。
強大な力が地上に漏れ出すのを極力抑えるために誂えられた場所で、一部は謁見の間としても使われていた。
そこへ通されたクレハは心なしか強ばった表情を見せていた。
「陛下、お久しゅう」
「――……その声は暮羽か」
「ええ。そうですわ」
声が上ずりそうになるのを抑え、クレハはあくまでも平静を装う。
口の端が引き攣るが、深呼吸して自らに喝を入れた。
魔王とクレハの間には空間を隔てるように布が一枚垂らされている。
その向こうにいるのは本物の魔王ではなく、魔王の魔力を寄せ集めて作られた人形だ。
魔王本人は今頃この城に向かって移動していることだろう。
本体ではないというのに、布を隔てていてもわかる強大な魔力。
それにに気圧されそうになっていたクレハは一つ一つ事実を追っていくことで落ち着きを取り戻していった。
そこへ、イーラが遅れてやってくる。
イーラの前で無様な姿は見せられない。
第一王妃としての自覚が、クレハをより一層普段の状態に近付かせた。
「……お、お待たせ致しました」
「維良か。よく来たな」
「お目にかかれて光栄です」
深々と頭を下げるイーラを、クレハは横目で睨みつけた。
イーラもかなり緊張していると見えて、声は震え目は一点を見据えることができず宙をさまよっている。
それでも、クレハの鞭でボロボロになっていた衣服だけは新たなものに変わっていた。
シンプルながら洗練された、清純な乙女を思わせるような淡い水色のドレスだ。
「二人ともご苦労だった」
魔王の言葉に、クレハとイーラが同時に頭を下げた。
イーラのぎこちない動きを目にしたクレハは、先ほどまでの緊張も忘れて失笑してしまった。
「……して、あれの名は何といったか」
「ユラでございます」
「そうだ。由羅だったな」
二人の不仲を知ってか知らずか、王は優しげな声で話す。
その口調はどこか嬉しげで、声だけ聞けば凶悪な存在として恐れられている者だとは想像も及ばないだろう。
「由羅はこちらへ向かっているのか?」
「ええ。……維良が仲間のフリをして潜入、それを私が拉致という芝居を打ちましたの。あの子……っ、由羅のことですから、じきにここへ来ますわ」
「そうかそうか。あれは私のことを憎んでいるとも聞いたしな。
由羅には無事ここへ辿り着き、やってもらわねばならぬことがある。くれぐれも、途中で命を落とすことがないよう気を付けてやれ」
「はい。仰せのままに」
クレハはわずかに目を細め、恍惚に似た表情を見せた。
イーラは魔王とクレハの会話に口を挟もうとはせず、静かにそのやり取りを聞いていた。
ところが、クレハの次の言葉でイーラの表情に変化が起きる。
「すべてが終わるまで、維良は城に残るべきだと思いますの」
「な……なぜですか、暮羽さま」
「貴女は由羅たちをここまでやって来させるためのいわば囮。それがのうのうと出歩いていたら元も子もないでしょう?」
「そうだな。では由羅の誘導は暮羽に任せよう。維良は城でゆっくり休むといい」
魔王の言葉に逆らうこともできないイーラは、泣く泣く頭を垂れて礼を言うしかなかった。
思惑通りの展開に、クレハは満足そうに口元を綻ばせる。
「陛下はいつご到着になられますの?」
魔王の到着を待ちきれないとばかりにクレハが問いかけた。
その言葉がよほど嬉しかったのか、布越しに見える魔王の影が小刻みに揺れる。
肩を震わせて笑っているのだろう。
「私の帰りが楽しみか」
「えぇ。ここのところ陛下にお会いしてませんし、顔を忘れられたらと思うとおちおち由羅の所へも行っていられませんわ」
「なんだ、そんなことを案じていたのか。私もそこまで薄情ではないぞ。妻に迎えたものの顔くらい常に瞼の裏に焼き付いておる」
魔王の言葉を受け、クレハはくすくすと笑った。
「その割にはいつも『こんな顔だったか』っておっしゃるじゃありませんの」
「それは会うたびに暮羽が美しくなっているからだ」
仲睦まじい夫婦のやり取りを聞かされるイーラは、口を挟むこともせず粛々と耳を傾けた。
「魔王さまっ!」
そこへ突然の乱入者が現れた。
といっても、姿は見えない。
どうやら魔王本体の傍にいるものが声を掛けたようだ。
このような事態はクレハにとっても初めてのことで、離れた場所にいる姿の見えない従者へ驚きと蔑みの入り混じった嫌悪の表情を浮かべた。
「あの方がこちらへ向かってきます。もうすぐで『森の淵』に着きそうです」
「……そうか」
用が済んだなら早くされと言わんばかりの王の反応を受けてもなお、従者は喋り続けた。
「あの方なのですが、どうも様子がおかしいらしいんです。偵察隊が前に見た時と比べて身体は倍くらいの大きさになって、我々魔族以上に化け物じみた姿をしているとか」
それを聞いた途端、クレハの顔がサッと青ざめた。
イーラも何かを察知したのか表情がこわばる。
「陛下、私が様子を見てまいりますわ」
魔王の返事を待つこともせず、クレハは蝶に姿を変えて飛び去ってしまった。
慌てて後を追おうとするイーラを、魔王が呼び止めた。
「維良、お前は城に残るよう言われたのを忘れたわけではあるまいな?」
「お言葉ですが、陛下。この場合は例外ではないでしょうか?
僭越ながら、わたしは治療術に自信があります。大切な役目を抱えられた方の身に何かありましたら、その際はわたしの力が何よりも有用なのではと……」
「口を慎め。自分が何をしたか、お前自身が一番よくわかっているだろう。私がお前を娶ったのは傍に置いて監視するためだ」
王に咎められたイーラは驚愕に目を見開いた。
これまでの和やかな雰囲気は一変し、魔王の声には冷酷な支配者としての面が色濃く感じられる。
そこから王の考えが変わることはないと察知したイーラは、唇を噛んで俯いた。
やがて王が発していた威圧感は消え、謁見の間に静寂が訪れる。
無音になった空間に一人残されてなおもイーラは佇み続けた。





