-7 マーゴット老人の古書店
それは大きな偶然だった。
マリアンヌがたまたま目を付けた古書店の店主は、かつて魔族の王が住んでいたとされる地のすぐそばで生まれ、魔族の侵攻から逃れるうちここカンペリエへ流れ着いたという経歴を持つ老人だった。
その老人、ルドヴィン・マーゴットは魔王が元は人間であったと言い、それを広く後世に伝えるため独自の考察を交えた本を書こうとしていた。
そのために集められた資料の山からユラたちが求めるものを引っ張り出してはその一部を読んで聞かせてくれた。
「それで、おじいさん。魔王の城まではどうやって行けばいいんですか?」
「ここから東に行ったところにダルブという村の跡地があるのは知っておるな? その更に東へ行くとナルザンの町があった場所に出る。ナルザンを越えて更に東へ向かう。そうすれば時期に魔王の城が見えるはずだ」
「ナルザン……。さっき読み聞かせてくださった昔話の土地ですね」
「ああ。わしの故郷さ」
老人は懐かしそうに目を細める。
埃を被った薄暗い店内に座るマーゴットは、この店に置かれた骨董品の一部ようですらあった。
「しかし、カンペリエを離れればお前さんたちの身の安全は保障できんぞ?
ダルブは奪還計画が行われていると聞いたが……。それが無事成功し完全に魔族から切り離されたとして、元の村の景色に戻るまでには少なくとも数十年は掛かると言われておるくらいだからな」
「えぇ。危険も承知の上です」
アルフォンソが答えると、マーゴットの表情が陰った。
「お前さんたちのような若者ではなく、老い先短いわしらが行ければ良いのじゃがな……。剣もわしの腕も錆び付いてしまったわい」
マーゴットの視線の先には、彼がかつて愛用していたと思われる剣が立てかけられていた。
近くに寄ってみると、鞘と柄の隙間にまで錆が侵食しており抜くことさえ難しそうだ。
「マーゴットさんがこうして生き延びていてくれたから、俺たちは魔王の城の場所や魔族の起こりを知ることが出来たんです。俺たちだけで魔王の所へ辿り着けるかはわかりませんが……。
この国が昔のように平和な場所になるように、俺たちもできることをやってみます」
アルフォンソの決意がこもった眼差しを受け、マーゴットは乾いた笑いを漏らした。
「若いもんに励まされるとはなァ。わしも耄碌しとった。
これを持っていけ」
そう言って差し出されたのは一枚の地図だった。
「ちぃと古いが無いよりはマシじゃろう。この東の街がナルザンじゃ。ナルザンの東にある山を越えると、魔王――いや、アラトロンの城がある」
マーゴットの持つ地図によると、かつてはカンペリエからダルブを通り、ナルザンまで続く街道があったらしい。
しかし、カンペリエからダルブへ至るまでの道ですら草木に覆われた獣道と化していた。
ダルブから先、ナルザンまでの行程は更に険しいものであることは想像に難くない。
「ありがとうございます。でも、これは大切な資料ですよね? 無事に帰れる保証もありませんから、こんなに貴重なものをお預かりするわけには――」
「そんなことは気にするな。このくらいの地図ならうちに百は置いてあるわい」
マーゴットはにやりと笑い、棚に詰め込まれた数十の巻紙を顎で示した。
その全てが地図であるとすれば彼が言う通り心配するほどのことではないのだろう。
「それでは、ありがたくお借りします」
アルフォンソが頭を下げるとユラとマリアンヌもそれに続いた。
「おじいさんに伺いたいことがあります」
「ほう? なんだね」
ユラの呼びかけにマーゴットは孫に接するときのように微笑んだ。
「おじいさんは魔王になったアラトロンという人が今どうなっていると思いますか?」
「あぁ……、すごく難しい質問だな。アラトロンの肉体が残っているとするならば、それはもう聖人ではなく魔性のものになっているだろう。しかし、肉体を失い、精神だけが残っているならば彼の聖人としての心もそこにあるやもしれない」
「そうですか……」
ユラは肩を落とすと、かぶっていた帽子を取った。
帽子の下から現れた角を目にして、マーゴットは息を飲む。
「お前さん――」
「僕には魔族の力を吸収できる能力があるようです。もし僕が魔王を倒せば、その魔力が全てこの身に移るかもしれない。その時にどうなるか。おじいさんならわかるかもしれないと思ったんですが」
マーゴットはゆるりと首を横へ振る。
「すまんな。わしもこれまで色々な文献を読んできたが、お前さんのような症状が現れたという話は見たことがない。――アラトロンを含め、だ。
わしが思うに、普通の人間の肉体は魔王の持つ魔力に耐えきれないじゃろう。許容量を越えた時にどんな反応が起こるか……」
「ありがとうございます。なんとなく想像がつきました」
ユラは失望を顔に出さぬよう、気を引き締めた。
「しかし。お前さんなら魔物の力に囚われたアラトロンの元まで本当に辿り着けるかもしれんな。それに、お友達を助けに行くだけならアラトロンと戦わず済むかもしれん。
もしアラトロンに会うことがあったらこれを渡してくれないか?」
マーゴットは机の引き出しから古びた小さな木箱を取り出した。
そこに収められているのは錆び付いた懐中時計だ。
本体の裏面には鷲のような紋章が刻まれている。
「わしの家に伝わるものでな。これを見ればアラトロンも何かを思い出し、お前さんたちに敵意がないことが伝わるかもしれん」
「……えっ?」
「アラトロンはわしの祖父なんじゃよ。だからこそ、魔王を絶対悪とは思えなくてな。今でもナルザンで起こったことを追い求めておるわけじゃ」
大切そうに懐中時計に刻まれた図柄をなぞるマーゴットは悲しげな瞳をしていた。
止まってしまった懐中時計は彼の人生を表しているかのようだ。
懐中時計の納められた木箱を受け取ると、地図と共に丁寧に鞄に詰める。
「たしかにお預かりしました」
「魔族は増え過ぎた。それゆえ、アラトロンの祈りも及ばないのじゃろう。
憎しみから魔族は生まれる。わしはそのことを伝え、これ以上魔族が増え過ぎぬよう努めよう」
マーゴットの力強い言葉に背中を押され、三人は古書店を後にした。
これにてEpisode4完結となります。
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