-2 神様からの贈りもの
子供は三十分ほどで救出された。
ぐったりとして意識を失っているが、かすかに息がある。
年の頃は七つか八つ。まだ小さな男の子だ。
その子供のすぐ隣には、大人が十人がかりでも動かせるかどうかというほど大きな岩が埋まっていた。
これが直撃していたら、命はなかっただろう。
ベリトの言葉を疑ってかかっていた村人たちは大急ぎで医者を呼びに走り、奇跡の生還に涙を浮かべる者もあった。
子供は全身に細かな掠り傷があるものの、骨折など命にかかわるような大怪我はしていないようだ。
これだけの間、窒息することなく呼吸を繋ぐことができたのは、奇跡と言うほかない。
その子の生還のおかげで、村人たちの顔にわずかながら希望の色が戻った。
男の子が身に着けていたのはマントのような厚手の黒い布一枚だけだった。
雨を吸って重く冷たくなっていたマントをはぎ取ると、代わりに乾いたタオルで体を包んでやる。
きっとこの子供の親が雨に濡れた服を脱がせて、代わりに掛けてやっていたのだろう。
一枚でも十分な保温性がありそうなそのマントは、ダルブの辺りでは見かけない高級品だった。
「……はて、どこの子供だろうか」
顔を拭いて綺麗にしてやってから、首をひねった。
どうにも見覚えのない子供だ。
マントのどこかに身元を知る手掛かりがないかと隈なく探すが、それらしきものは見つからなかった。
「あんな晩に山越えか?」
「無謀にもほどがあるじゃろうが」
「急な嵐じゃったからのう……。足止めを食ったのかもしれん」
「あり得るな」
うんうんとうなずき合って、その場にいた全員が顔を見合わせる。
この際どこの誰の子供であるかは大きな問題ではない。
それよりも、誰が引き取るかだ。
もし親が見つかればめでたしめでたしの大団円となるが、この惨状を前にして楽観的な考え方はできなかった。
かと言って、ここダルブの村人に子供一人を引き取って育てられるだけ余裕があるかといえば、首を横に振らざるを得ない。
そんな財力があるのは村長とその親戚である地主数人くらいだ。
しかし、彼らのケチっぷりは村人も周知の事実である。
「おれが見つけたんだから、おれの子供だ」
男の子を掘り当てたベリトが一歩前へ出て、すっくと抱きかかえる。
すると、他の者は一歩退いて子供を譲る意思を示した。
「アンタ、そんなガキ連れて帰ってどうすんだい」
ベリトの隣に住む女が体をぐっと寄せると、顔をしかめて耳打ちした。
土砂崩れで被害を受けた土地の多くは、農耕地だった。その中には、ベリトの土地も丸ごと含まれている。
これといった産業もないダルブ村で畑を失うことは収入がなくなるのと同義だ。
災害が無くとも、ダルブはお世辞にも裕福とはいえない村なのだ。
今のベリトの状況で子供を引き取り育てるのが容易ではないことは、誰の目からも明らかだった。
「誰も引き取らんかったらこの子が死んじまう。それならおれが引き取った方がいいだろうが」
男の反論に、その場にいた全員が面を伏せた。
「ちょうどうちには後継ぎがいないからな。神様からの贈りもんだと思って育てるさ。後になって悔しがるなよ」
捨てゼリフのように言うと、左手には鍬を、右手には子供を抱えて家へ引き返して行った。
「帰ったぞ」
乱暴に鍬を置くと、薄暗い屋内に向けて声をかけた。
病床の妻を思い掃除には力を入れているつもりだが、集落の他の家と比べて年季の入った家はベリトの目にもみすぼらしく映った。
窓には拭いきれなかった長年の汚れが蓄積して曇っている。
薄雲った窓から差し込むかすかな光は、ぼんやりと室内を照らしていた。
薄っぺらな布団がゆっくりと動くと、やつれた女が顔をのぞかせた。ベリトの妻、デイシアだ。
デイシアは骨と皮ばかりの手をついて、苦しそうな声を漏らしながら体を起こす。
「……いかがでしたか?」
蚊の鳴くような細い声で、ベリトに問いかけた。
それはあの土砂崩れが起きた日から毎日繰り返される問答だった。
「酷いありさまさ。このボロ小屋がよく持ったって感心しちまうくらい凄まじいぞ」
ベリトの返答はこれまでと同じだったが、デイシアは悲痛な面持ちで深くため息を吐く。
普段ならまるで現実を受け入れられていない妻を憐れんで話題を変えるところだが、この日だけは違った。
「――でも、神様はおれにいいモンをくれた」
「良いもの、ですか……?」
「ガキだよ」
病床の妻のもとへ、子供を抱えて歩み寄る。
子供の顔がよく見えるように、窓を細く開けた。
差し込んだ光の眩しさか、思わぬ子宝への喜びか、デイシアは目を細めて口元へ手をあてた。
小さな体を丸めると、ゴホッ、と咳をした。
彼女の手のひらが深紅に染まる。
「いけませんねぇ、せっかくお母さんになったというのに」
口元の血も拭わぬまま、つらそうに零した。
デイシアは夫の言葉を半ば冗談として受け止め、か弱く笑ったのだった。
「ところで、どちらでこの子を……?」
「こいつは土砂崩れに飲まれたみたいだ。他の家族が見当たらねぇからおれが連れてきた」
ベリトは嘘が苦手な男だ。
デイシアはそれが夫の作り話ではないことを一瞬で悟り、哀しそうな目をした。その瞳が言わんとすることはベリトにもすぐに予測できた。
このくらいの年になれば物心もつき、家族との記憶もしっかり残っていることだろう。それを全て失ったと知ったら――。
ぐったりとした子供を妻の隣へ寝かせると、ベリトは窓を閉めた。
部屋は再び薄暗さを取り戻し、デイシアは綿の潰れた布団に体を横たえる。
「目を覚ましゃぁなんか話してくれるだろうさ。悪いが面倒を見ておいてくれや」
「ええ」
デイシアの枯れ枝のような指が子供に触れた。
壊れ物を扱うような手つきに、ベリトが苦笑を漏らす。
「多少乱暴にしたって構わんさ。なにせ、あの山崩れでも死なんくらいの丈夫な子だからな」