-11 黒曜の死告蝶
いきなり突風が吹き、クレハのドレスがはためいた。
土埃が巻き上げられて小さなつむじ風が起きる。
皆が反射的に閉ざした目を再び開けた時には、クレハの姿が消えていた。
代わりに巨大な暗紫色の蝶が風に乗って舞い上がっていく。
目の前で起こったことを理解した時、彼らの脇を巨大な黒い影がすり抜ける。
かつてこの村を襲った、双頭の黒い犬だった。
「きゃぁ!」
黒い犬が草むらに顔を突っ込んだと思うと、悲鳴が聞こえた。
犬は草むらに隠れてこの事態を逃れようとしていたイーラを目ざとく見つけ、その体をがっちりと銜え込んだのだ。
右の頭に捕まえられたイーラはぐったりとして動かない。
けれど、どこかから出血している様子はないので、気絶しているだけなのだろう。
その光景もユラのかつての記憶を呼び覚ます。
ユラに逃げるよう声を掛けに来たところを大きな黒い犬に身体を噛み千切られ、絶命した幼い友人・レーウィ。
あの時ユラは何もできなかった。
「イ……、イーラを放せ」
震える声で訴える。
黒い犬はユラの言葉など意にも介さず、左の方の頭がひとつ遠吠えをすると森に向かって駆けだした。
「……っ、待て!」
「ピイイィィィィィィ……――」
とっさに剣を片手に持ったアルフォンソが後を追って走り出すが、巨体を持つ犬のスピードにはかなわない。
努力も虚しく、イーラを捕らえた黒い犬は森の奥へと姿を消してしまった。
リックが吹いた魔族の動きを封じる笛も、クレハや黒い大きな犬には通用していないようだった。
「来るぞっ!」
マーシーが声を上げたのと森がざわめいたのは、ほとんど同時だった。
村の四方から大量の魔族が群れをなすように湧いてくる。
「全員武器を構えろ」
「言われなくてもわかってるわよ。……っと!」
アルメリアは手馴れた様子で放水機を展開する。
マーシーの火炎放射器が火を吹いた。
二人は臨戦態勢バッチリだ。
遅れを取るまいと、アルフォンソとマリアンヌも剣を取る。
「なかなかハードな練習になりそうだな」
「あら、このくらいの方が本番っぽくていいじゃない」
引きつった笑みを浮かべながらもマリアンヌは自分を奮い立たせる言葉を口にした。
そんな中、ユラだけは戸惑ったように立ちつくしていた。
リックが笛で動きを止め、その間にユラを除く四人が魔族を薙ぎ払う。
初めて共闘するとは思えないほど息の合った戦闘を見せた彼らだったが、一通りの群れを追い払う頃には精も根も尽き果てていた。
六人は一様に生気が抜けた面持ちで空を見上げる。
「まさか、あの女が『黒曜の死告蝶』だったなんてな」
「黒曜の……なんだって?」
マーシーの口から出た聞き慣れない言葉に、思わず反応してしまったのはユラだった。
「知らねぇのかよ。『黒曜の死告蝶』。魔王の第一王妃のことだよ」
「えっ?」
「つまりクレハさんは……」
「魔族だ。しかもとびっきり最上級のな」
そんなことも知らねぇでつるんでたのか、とマーシーが毒を吐く。
ユラとアルフォンソは顔を見合わせて黙り込んだ。
その沈黙を破るように、アルメリアは言った。
「あれが王妃なら、行くところは一つでしょう?」
「魔王の城、ですか……」
「ええ。でもね、悪いけどあたしたちは同行できないわ。あたしたちはあたしたちで、やらなきゃいけないことがあるし」
冷たく突き放すような言い方だった。
けれど、アルフォンソたちと彼らはつい今しがた出会ったばかりだ。
お互いがそれぞれの目的を持って行動している以上、当然の流れだと言えるだろう。
「……そうだな。こいつからも話を聞きたいし、この後のことも少し話し合いたいからオレたちはここに残る。あなた方は自由にしてもらって構わない」
「わかったわ。
これだけしっかりと臭いを残されちゃ、今までの作業も全部無駄ね。今は何をしても意味がないから宿に帰るわ。何かあったら『アカツキ』って宿にいるから連絡してちょうだい」
アルメリアの口から出た名前に、アルフォンソは目を丸くした。
「……オレたちと同じ宿にいた三人組って、あなたたちのことだったのか」
「あら、同じ宿なの? それならちょうどいいじゃない」
拍子抜けした調子で漏らすと、アルフォンソは軽く笑った。
村一つを丸々復元しているのだから、早朝に出発して日暮れと共に宿に戻り、そのまま眠りについていたこともうなずける。
これも何かの縁だと言葉を交わすと、ようやく場に平穏な空気が戻ってきた。
「急に殴って悪かった」
マーシーはマリアンヌと視線を合わせず謝罪の言葉を告げた。
それをアルメリアに咎められると、気まずそうにマリアンヌを見て先ほどよりも早口で謝罪する。
「本当にごめんなさいね。宿で待っているから、また会いましょう」
こうして見るとマーシーが最年長だと言っていたことが信じられない。
三人は何やら話しながらタルブ村を去っていった。
その背中を見送ると、ユラ、アルフォンソ、マリアンヌの三人が村に取り残される形となる。
特に、ユラとマリアンヌは久々の再会だ。
元があまり良い関係とは言えない二人は、気まずそうに目を背け合っていた。





