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望まれぬ英雄 ~虫も殺せない僕が魔王になった理由(わけ)~  作者: 牧田紗矢乃
〈Episode2〉

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16/53

-7 クレハ(挿絵あり)

 マリアンヌとの模擬戦後、ユラは思い詰めた表情を見せることが増えた。

 それまでのユラからは考えられないような些細なミスも増え、アルフォンソの言葉にも空返事をするばかりだ。


「なあ、ユラ。ちょっと出掛けないか」


 アルフォンソが呼びかけたが、ユラは少し顔を上げただけだった。

 浮かない面持ちのユラの脇を抱え、強引に立ち上がらせる。


「最近のお前は考え過ぎだ。気分を切り替えないと、最悪ここを追い出されるぞ」

「ん……」


 大袈裟なように聞こえるアルフォンソの言葉だが、あながち嘘ではなかった。


 あまりにもミスが続くので、このまま仕事を続けさせるのは会社にとって不利益になると上司が話しているのをアルフォンソは聞いてしまったのだ。

 今は社員寮の一室を借りられているが、失職すればそれも難しくなる。


 事の重大さはユラもわかっているらしく、力のない声だが首を縦に振った。


「ちょっと外の空気を吸いに行こう。なっ?」

「ああ……、うん」


 気の抜けたユラの返答には、さすがのアルフォンソも苦笑とため息を続けさまに零した。




 日暮れの迫る街は、下手をすれば昼間より人通りが多いようにも見えた。

 翌日が休みだということもあるのだろうか、まだ薄明るい時間なのに赤ら顔で酒臭い息を吐く男の姿も見受けられる。

 ユラとアルフォンソは人混みを避けるように路地の奥へと進んだ。


「……で、どこに行くんだ?」


 黙って後ろをついて歩いていたユラが、アルフォンソに呼びかけた。

 そこでようやく足を止めたアルフォンソは、ポリポリと人差し指で顎を掻く。


「んー……どこへ行こうか?」

「まさか、行く当てもなく出てきたのか」

「そのまさかだな」


 にこりと微笑む爽やかな笑顔に拳をお見舞いしたい衝動にかられながら、ユラは能天気な相棒の前でこれでもかというほど大きな溜め息を吐いた。


「……仕方ないだろ? お前があれだけ落ち込んでるのなんて、見たくなかったんだよ」

「だから連れ出したってか。やることがいちいち気障きざったらしいな」

「キザで悪かったな」


 アルフォンソが毒づいて、ユラが笑う。

 それまで張りつめていた緊張が一気に解けていくようだった。


「坊やたち、邪魔して悪いんだけど……」


 背後から女性に声を掛けられて、ユラは飛び上りそうなほど驚いた。

 普段から気配を読む練習をしているはずなのに、彼女の接近には全く気付かなかった。

 アルフォンソは女性の姿を視認していたようで、いつも通り柔らかな笑みを浮かべている。


「これは失礼しました、レディ?」

「ふふっ、口が上手だこと。でもね、私はもうレディなんて歳じゃないのよ」


 気を良くしたのか、彼女もつられて笑顔になった。

 彼女はユラたちと目線の高さが合うほど背が高い。


 ゆったりとしたケープに隠れているが、きっとスタイルも良いのだろう。

 ミステリアスな彼女には引き込まれそうな蠱惑的な魅力がある。

 喋るたびに小さく動く、口元のホクロが彼女の色気を倍増させている気がした。


「私、クレハっていうの。今夜、近くの酒場で弾き語りをするんだけど、坊やたちも見に来ない?」


 下心を見透かしたようなクレハの誘いに、ユラは頬を赤く染めた。

 クレハは自分たちをからかって面白がっているのだ。


 ユラはすぐに悟って、アルフォンソを連れて立ち去ろうとした。

 ところが、アルフォンソはユラの意図とは正反対の言葉を告げた。


「貴女のような素敵な方に誘われて、断ることができる男がどこにいるでしょう?」


 跪いてクレハの手の甲に口付けをした親友を、ユラは呆然と見つめることしかできなかった。


「……で? そっちの坊やは?」

「あー、はい。こいつが行くんならついて行きますよ」

「なんだかつれないわね。ま、そういう子も嫌いじゃないんだけど」


 ふふふ、と笑ってクレハは歩きだした。


「ついてらっしゃい。案内してあげるわ」




「……おい、どうするんだよ!」


 クレハに誘われるままついてきてしまったが、そこはユラたちに似つかわしくない高級な店だった。

 店内にいる客の多くが正装に近い恰好をしており、一目で普段着とわかる服装でいるのはユラたちだけだ。


「こりゃ、まんまとハメられたな」

「なんでそんなに楽観的でいられるんだよ! そもそも、僕はこんな店で飲み食いできるほど金持ってないぞ」

「オレだってそんなに手持ちはないさ」


 二人がこそこそと言い争っている最中さなかに、クレハがひょっこりと現れた。


「坊やたち、からかってごめんなさいね。お詫びに今日は私が払うから、好きに注文するといいわ」

「……っ」


 会話は全て聞かれていたのだ。

 今度はユラだけでなくアルフォンソまで赤面している。

 途中まで恰好を付けた台詞を吐いていたぶん、赤面の度合いで言えばアルフォンソの方が数段酷かった。


「遠慮しないで楽しんで頂戴」


 それだけ言い残すと、クレハは他のテーブルへと歩いていってしまった。

 どうやら一席ずつ回って客と世間話などしているらしい。

 見るともなしにその様子を眺めていた二人の元へ、ウエイターがグラスを持ってきた。


「モスコミュールでございます」


 二人の席にグラスを置くと、ウエイターは足早に店の奥へと戻ってしまった。

 ユラとアルフォンソは目配せすると、恐る恐るグラスの中身に口をつける。


「……酒?」

「だな」


 ユラは初めて体験するアルコールの苦みに顔をしかめ、ちみちみと啜るように飲むばかりだった。

 それとは対称的にアルフォンソは平然と酒を飲んでいる。


 そうこうするうちに、店内の照明が暗くなった。

 ぼんやりとした明かりの中、店の一角だけ眩い光が落ちている。

 そこには大きなピアノが置かれ、暗紫色のドレスを着たクレハが客席に向けて頭を下げていた。


 沸き立つような歓声は、これから始まる演奏への期待なのか、胸元がざっくりと開いたドレスへの賞賛なのか。

 これまで経験したことがなかった雰囲気に飲まれそうになりながら、ユラはじっと演奏が始まるのを待った。



挿絵(By みてみん)



 クレハの奏でるピアノは、時に優しく、時に悲しい旋律を紡いだ。

 そこに艶やかな彼女の声が重なり、壮大な物語を聴いているような感覚に陥る。


 言葉こそ異国のもので理解できなかったが、難しいことを考えずに聴くことができるぶん良かったと捉えることもできるだろう。

 とにかく、ユラはその旋律に身をゆだねて聴き入っているだけでよかった。


 終始クレハの演奏に圧倒されていたユラは、割れんばかりの拍手喝采でようやく現実に引き戻された。

 周囲の反応に合わせるようにユラも拍手をする。


 アルフォンソは瞳を閉じ、余韻に浸っているようだった。

 クレハは再び客席に向き直って礼をすると、ステージの奥へは戻らず真っ直ぐにユラたちの元へやってきた。


「どうだった? 坊やたちにはまだ早かったかしら?」

「……凄かったです。なんて言っていいかわからないけど、凄かった。あれはどこの国の言葉なんですか?」

「ふふ……、それはいずれわかるわ」


 意味ありげに微笑むと、「気に入ったならまた来て頂戴」と言い残してクレハは別の席へ行ってしまった。


 彼女が真っ先に向かった席にいたのが、この場に似つかわしくない恰好をした若い男二人組という状況が奇妙だったのだろう。

 酒場中の客の視線が二人に向けられていた。

 中には不満げな表情の客もいる。


 その状況がどうにも居心地悪く感じられ、残っていた酒を一息に飲み干すと二人は早々に店を出た。

挿絵は管澤捻さま(https://20147.mitemin.net/)からのいだたきものです。

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