〈12〉出所
結局、ディルク先生がエーベルを担いで部屋まで連れて行ってくれた。エーベルの部屋は普段、ピペルが片づけているけれど、今日ばかりは魔術をぶっ放したのか物が散乱していた。床の本やら靴下やらを踏まないように気をつけつつ、ディルク先生がエーベルをベッドに寝かせると、カティ先生が脈を取り、ふむふむとうなずいた。
「もう大丈夫です。それにしても、さすがの血筋と言うべきでしょうか。びっくりしました」
さすがの血筋――エーベルが大魔術師フェルディナント=ツヴィーベルの末裔であるということはカティ先生も聞かされているようだ。
レノーレはため息をついた。
「本当にはた迷惑な……」
クタクタのディルク先生は体が痛むのか、首を回しながら言う。
「じゃあ、先生はちょっと学園長に報告に行ってくるよ。バーゼルト君も早く休むようにね。カティ先生もティファート君もありがとう」
ディルク先生が去る時、カティ先生も逃げ遅れてなるものかとばかりに立ち上がった。
「じゃ、じゃあ、お大事に!」
アーディと長時間接してボロが出たら困るとか思っているのだろうか。ボロならもう結構出たと思うのに。
先生方が去ると、レノーレは横目でチラリとアーディを見た。そうして、ぼそりと言う。
「あ、あのね、さっき見たことは秘密にしてね」
「さっきって、エーベルを投げ飛ばし――」
「あーっ、もう、それ!」
聞きたくないとばかりにレノーレは耳を塞いだ。心なし顔が赤い。そんな中、空気を読まないピペルがベッドの上で丸まりながら言った。
「レノしゃん、エーベル様を投げ飛ばしたんですかにゃ? 久しぶりですにゃん」
内心、もっとやれと思っている。それが透けて見えた。
しかし、レノーレはがっくりと肩を落とした。
「こんなことがお父様にバレたら学園辞めさせられちゃうわ。絶対内緒よ」
アーディも護身術としてある程度の体術を学んだからわかる。あの動きは、本気を出したら多分強い。
「レノしゃん、小さい頃はちょっぴりお転婆さんでしたにゃん」
お転婆とか、そういうレベルなのだろうか。
レノーレは顔を赤くした。珍しい表情である。
「だ、だって、弟たちが護身術を教えてもらってるのに、あたしは駄目なんておかしいって、軽い気持ちで始めたんだけど、弟たちがあんまりにもできないから、あたしがお手本になってるうちに、その……」
強くなってしまったと。
「で、でも、ここ数年は大人しくしていたの。お父様からおしとやかにしなさいって怒られて……学園に行きたかったら他所に出しても恥ずかしくない振る舞いをしなさいって」
少なくとも、学園に通ってからは大人しくしていた。本来なら、生徒会長のケンプファーのようにしつこい男は投げ飛ばしたい衝動もあっただろう。
しかし、だからといって本質は変わらない。レノーレにとってどの男も自分より頼りない存在に見えたことだろう。今になって、アーディがレノーレに気に入られた理由が少しわかった気がする。
レノーレは、赤くなった頬を両手で隠すように押さえ、そうして、心なし潤んだ目でアーディを見た。
「アーディは強い女の子は嫌い?」
「へ?」
「素直で大人しくって、健気で背の低い子が好き?」
何か、例が具体的な気がしないでもない。
「いや、別に……強いから悪いってことはないと思う」
事実、助かったから、正直にそう答えた。そうしたら、レノーレは輝くような笑顔を見せた。
「ほんと? よかったぁ」
この笑顔を見たら、誰だってそんなレノーレを嫌いにはならないだろう。
そんな時、急にエーベルが目覚めた。本当に、いきなりカッと目を見開いた。怖い起き方である。
「あれ? アーディだ」
エーベルは、すでにいつものエーベルであった。しかし、熱がぶり返したのかもしれない。まぶたが少々腫れぼったい。それでもエーベルは何故か上機嫌で言った。
「アーディ、アーディ、ねえ、聞いてよ。寝ている時に面白い魔術の式が思い浮かんでサ、風と、雷と、こう――」
指先をゆらゆらと動かして見せる。
「今度試してみよーっと」
「……」
それはさっき、すでに試したと思われる。
しかし、エーベルは何ひとつ覚えていないようだ。
「でもサァ、風邪ってこじらせるとコンナなんだナ? 目の前ががふゎんふゎんするし、熱いのになんか寒いし。あんまりない経験だから風邪も楽しいカモ?」
などと迷惑なことを言い、それからぐぅぐぅと眠り出した。ただ、寝言というのか、寝笑いがにゃしし、と。
殴ってやりたいような気分だけれど、一応病人だからとアーディは堪えた。
「腹ペコですにゃん」
ピペルがぐったりとつぶやいた。
安静にできなかったアーディも疲れがドッと押し寄せ、この後もう一度寝込んだのであった。
☆
ディルクは学園長室にて、祖父である学園長に諸々の報告をしていた。
学園長は重厚な机に肘をつき、ふぅ、と嘆息する。
「それは大変だったな。しかし、お前だけで食い止めてくれて助かったよ」
「……ギリギリでしたけどね」
ハハ、とディルクは苦笑した。しかし、本当にあれが長引いたら押された気がする。あの子に凡才の自分が何かを教えようというのがそもそも間違いのような気もする。あの才能は、上手く育てねばどう転ぶかわからない。
「しかしなぁ」
と、学園長はつぶやいた。
「魔風の菌はどこから来たのか。国内では死滅したとされていた」
「この学園でもずっと発症例はなかったですしね」
学園に外から入り込むことは考えにくいのだから、もとから学園の内部にあったわけだ。ただ、そこがどこかということ。
「最近、何か変わったことはあったかね?」
そう問われ、ディルクは少し考え込んだ。しかし、心当たりはない。それが顔に出た。
学園長は顎に手を当て、白いひげを撫でる。
「そうか。それなら、思い当たるのはツュプレッセの森の奥かな」
「え?」
「殿下とシュレーゲル君はあの森の奥深くに踏み込んだそうじゃないか」
「あ……そういえば」
「そこで付着させて帰ってきたのかもしれない。潜伏期間には個人差があるそうだから。――確証はないけれど」
確証がないのがせめてもの救いだろうか。そんな危ないところに王子を行かせたとなると、考えるのも恐ろしい。
「カティ先生は名門ティルピッツ家の才女だから、しっかりと治療して魔風も収束させてくれるだろう。ただ、罹患した生徒の保護者方に説明は必要だろう。魔風菌の出所はとぼけつつ、そのところ手配しなければな」
「出所はとぼけるのですか?」
それで大丈夫なのだろうか。しかし、出所が特定できていないのも事実である。不明のまま話すしかないのではあるけれど。
学園長はあまり見ないほどに困った顔で苦笑した。
「そうだ。この学園のことを外部に話すには、陛下の御許しが必要になる」
「陛下の?」
ディルクが首を傾げると、学園長はうなずいた。
「この学園は、国にとって重要な場所だからな」
それは、数多の優秀な人材を輩出してきた学び舎であるという意味とは少し違う。そう、ディルクは感じた。
国営の学園であるからこそ、その責は国王にかかる。それを承知で食ってかかれる親はそういない。そこで騒ぐ親ならば、最初からこの学園に子を通わせることもない。この学園へ通わせる最終目的は、王のそばで国の中枢に関わる地位に就くことなのだから、今から不興を買うような言動は控える。
生徒たちの保護者が学園よりも力を持つなどということはあり得ないのだ。
そうでなければ、散々な目に遭ったかもしれない今回のこと。
「――シュレーゲル君の親御さんとは連絡が取りにくいのですが、どうしましょう?」
学園長は苦笑した。
「私から連絡しておこう。ディルク、今日はご苦労だった」
「いえ……」
「寮の痛んだ箇所は速やかに修理しておくれ」
「はい。すぐに」
頭を下げてディルクは学園長室から下がった。
正直なところ、あちこちが痛い。
エーベルハルト=シュレーゲル。
彼はまだ幼い。
それでも並外れた魔力を持つ。ディルクが彼ほどの年頃にあれだけの魔術を放てたわけはない。
彼はこの先、どんな大人になるのだろうか。ひとつ間違えば、先祖のように悪の大魔術師になってしまう――
そう考えて、ディルクはふと笑った。
いいや、彼は悪の道に進むよりも友達といられる道を選ぶのではないだろうかと。
迷惑そうにしながらも、隣にいる友達のそばに。
【 8章End *To be continued* 】