〈10〉ダメージ
薬の入った小瓶を探し、アーディはピペルと共に廊下を徘徊した。しかし、魔風のせいで寝込んでいる生徒は多く、授業がないとはいえ自室で自習という形になっているのだろう。人気があまりなかった。
そういえば、エーベルの暴走があって、ディルク先生が寮長と一緒に生徒の部屋の鍵をロックしたと言っていたから、勝手に出歩けないのかもしれない。
それならば、小瓶は誰かが持ち去ったのではなく、転がってどこかに行ってしまったのだろうか。
「見つからない……」
虚しくつぶやいたアーディに、ピペルは耳をピコピコと動かして言った。
「寮の表に数人おるようだな。話し声が聞こえるぞぃ」
自習に疲れて羽を伸ばしている連中だろうか。なんとかして部屋を抜け出したのか、扉がロックされるより前から外にいたとも考えられる。
アーディは窓を開けて外を覗き込んだ。すると、そこにいたのはエーベルの取り巻けない取り巻きたちであった。アーディは小さく、ゲ、と声を漏らした。
ちっさいのの手には薬の入った小瓶があったのだから。
しかし、なんとかして取り戻さねば。アーディは渋々声をかける。
「その薬、カティ先生の落とし物だ。それを探していた。返してくれ」
アーディなりに下手に出たつもりであるが、もともと相性が悪い者同士、うふふ、あはは、と和やかに済むはずもなかった。
「玄関から転がって出てきたんだ。バーゼルト、お前の薬かよ」
と、太っちょが振り返る。
下手に円柱状の転がる瓶になんてするから、話はややこしくなるのだ。紙で包んで持ってきてくれたらよかったのに。アーディはそう苦々しく思った。
「僕のじゃない。エーベルのだ」
正直に言った。すると、取り巻きたちは顔を見合わせ、そして相談し合ったわけでもないのに、皆が同じ結論に至ったのだと見て取れた。
「やい、バーゼルト! 俺たちにエーベルハルト様のお名前を出せばコロッと騙されると思ってるな!」
「そうだそうだ! 馬鹿にするな!」
「この地味顔!」
最後のひと言は明らかに余計である。
アーディはイラっとしつつも精一杯平静を装った。
「嘘じゃない。本当にエーベルのだ。それがないと困る」
主にディルク先生が。
しかし、眼鏡はフン、と鼻で笑った。
「本当にエーベルハルト様のお薬だっていうなら、僕たちが運んで差し上げる。お前なんぞに渡すか」
ぜひ運んで頂きたい。ただし、あの状態のエーベルに近づけるものなら。
「でもさ、エーベルハルト様がお休みされたのは本当だよな。もしかして、本当に寝込んでいらっしゃるのかな?」
ちっさいのが瓶の中の薬を振りつつ、ポツリと言った。
「エーベルハルト様が寝込まれて……」
取り巻きたちは何か嫌な想像をしたような気がする。ポッと頬を染めた。
相当に乱れてはいるが、寝乱れてはいない。ひどく期待を裏切る現状であるが、夢を壊してもいいだろうか。
とにかく急ぐ。アーディが面倒くさくなってきた頃、同じように面倒くさくなったらしいピペルが羽を使ってパタパタと飛んで窓の外へ出た。
「それは本当にエーベル様のお薬ですにゃー。返してくださいにゃー」
ヤローに愛想を振り撒く趣味のないピペルだが、背に腹は変えられなかったらしい。精一杯可愛い子ぶってお願いしている。
すると、太っちょが身をくねらせた。
「ピペルちゃんだ!」
その瞬間、ピペルの黒毛の下の肌がプツプツと粟立ったのをアーディも感じた。しかし、太っちょはお構いなしにピペルを抱き締めた。
ピペルはあまりのことに悲鳴すら上げなかった。――いや、地面から抜かれたマンドラゴラのごとき心の叫びを、アーディだけは聞いた気がしないでもない。
太っちょは魂の抜け殻のようになったピペルに頬ずりする。焼き立てのパンのような丸い頬がグイグイ来る。
「いつもエーベルハルト様に抱き締められているんだ。この毛並みにエーベルハルト様が触れられている!」
「あ、ずるいぞ! 僕も!」
「俺も!」
――あれが女子であれば、ピペルにとっては天国であっただろう。しかし、男に囲まれて抱き締められ、あまつさえ頬ずりされる。この状況はピペルにとって拷問以外の何物でもない。
ピペルが可哀想だと思うより、今はこんなことをしている場合ではないのにと突っ込みたいアーディであった。
その時、それはまるで神の声かと思うほどの救いがあった。
「アーディ、もう起きて大丈夫なの?」
レノーレである。また白衣を羽織っていて、窓から身を乗り出しているアーディを見つけたらしく、向こう側から走ってきた。男子寮になど、普段なら近づきもしないはずだ。
ピペルを取り合うようにしていた取り巻き共は、レノーレの白衣姿に釘づけになった。
「レノーレ先輩!」
レノーレはアーディしか目に入っていなかったようで、呼ばれてやっと取り巻きたちに目を向けた。そうして、目を回したピペルを見つけた。
「あら、ピペルがぐったりしているわね。まさか魔風がうつった?」
「そういうんじゃない」
アーディはすかさず答えた。
男子生徒の頬ずりによるダメージだ。病気ではない。
「ふぅん。でもついでだし連れていくわ」
と、レノーレはあっさりピペルを奪還した。白衣のレノーレに抱かれているも、ピペルは残念ながら意識がない模様。レノーレの腕の中でいい夢を見れたら、それで浮かばれるだろうか。
アーディが相手だとぎゃあぎゃあうるさい連中も、レノーレには素直である。ひと言も逆らわなかった。
「ねえ、アーディ。カティ先生が帰ってこないんだけど、まだエーベルに手こずってるの?」
「ああ。薬の瓶を落として、それを僕が回収に来た」
「薬の瓶を? どこに落としたの?」
アーディがちっさいのの手の内にある瓶を指さすと、ちっさいのは無言でレノーレに向けて両手で瓶を差し出した。
「あら、ありがとう」
にっこり微笑むレノーレに、取り巻きたちはデレッとした。節操がなさすぎると思う。顔がよければなんでもいいのかと。
しかし、その時すでにレノーレの中から彼らの存在は忘れ去られた。用済みというやつである。
「アーディ、あなたも安静にしてなくちゃ。あたしが薬を届けるから、ゆっくり休んで」
その申し出はとてもありがたい。普段なら男子寮に軽々しく女生徒が入るものではないが、緊急事態だ。
ただ、ありがたい申し出であるけれど、部屋に戻るためには廊下で暴れるエーベルをなんとかしなければならないのであった。
「助かる……」
本当に、早く止めてほしい。