〈9〉小瓶を追って
「僕が拾いに行ってきます」
まだ体はだるいけれど、仕方がない。アーディは小脇にピペルを抱えたまま、ディルク先生の後ろを横断して階段の方に急いだ。その時、いつになく冷ややかな目をしたエーベルがアーディを見た。
見たというのも的確ではなく、目は相変わらず虚ろであったのだけれど。
ああしていると、悪の魔術師の末裔という肩書がとてもよく似合う。いつものようににゃしし、とかよくわからない笑い声を発しているよりは。
でも、あのままでは困る。
「バーゼルト君、無理はしないで。他の人に会ったら代わってもらうようにね」
ディルク先生は振り向く余裕もないのにアーディを気遣ってくれた。気が気ではないのだろう。
「大丈夫です。先生こそお疲れ様です」
薬を拾って戻るまで頑張ってもらわないと少々マズイ。ディルク先生はうぅ、と呻いた。
疲れてきているのだろう。急がなければ。
しかし、アーディの足は階段を軽やかに駆け下りることもできず、手すりを掃除するかのように寄り添いながらのろのろと下りる。ピペルを置いてくればよかったと思い、ちょっとこの辺に捨てていこうかと魔が差した時、ピペルが目を覚ました。
「ファッ」
体を痙攣させ、変な声を上げて目覚める。
「……起きたのか」
これで遠慮なく下せる。アーディがピペルから手を放すと、起き抜けのせいか、猫のフリをしているだけで猫ではないせいか、ピペルは華麗に着地することなく、べちゃりと階段の踊り場に落ちた。
「おのれっ! もうちぃっと優しく下せんのかっ!」
ご立腹である。しかし、プンスカ怒る猫モドキの相手をしている場合ではない。
「今、それどころじゃない。エーベルが大変だ」
ぼそ、と言うと、ピペルはようやく状況を思い出したようだった。余計なことまで思い出したのか、急に前足をバシンバシンと床に叩きつけ始めた。
「ワシ、昨日はエーベル様のそばを離れられず、なぁんも食っとらんのだ! 腹ペコ状態で力が入らないところにあんな暴走、防ぎきれるわけがなかろうがぁっ!」
「……つきっきりで看病していたのか。そりゃあ大変だったな」
普段からこう文句ダラダラであるけれど、さすがに病人とあらば放っておけなかったのだろう。甲斐甲斐しいことだ。
立ち止まっている場合ではないので、アーディは手すりにつかまりつつ階段を下りながら労った。
そうしたら、ピペルは蝙蝠の翼を出して飛びながらついてきた。
「違うっ! エーベル様の欠席届を出した後、発熱したエーベル様が寝た隙に抜け出そうとしたら、エーベル様はまるでワシをぬいぐるみか何か枕のように締め上げて眠り出したのだ! 背中が痛くて仕方ないわいっ!」
「……」
それは放置しようとしたのがバレたのか、たまたまだろうか。エーベルが不調となればピペルはハメを外してろくなことをしなかっただろうし、それでよかったような気もする。
「エーベルの暴走は、簡単に言うと風邪のせいだ。で、その薬を階段から落としてしまったから、急いで取りに向かっているところだ。あの薬がないとエーベルの暴走が止まらない」
「ハッ。そんな大事なものを落とすとは、粗忽者がいたものよのぅ!」
アーディが落としたわけではないが、細かいことはまあいい。
ピペルは鼻をピコピコと動かした。けれど、瓶に入っているから薬の匂いはしないだろう。
「小瓶に入った薬だ。僕もまだ風邪が治りきってないから、あんまり走れない。ピペル、先に行って押さえておいてくれないか」
ピペルは飛べる。その方が手っ取り早い。そのことに気づいた。
「ワシを使うとは、高いぞ」
「学食で腹いっぱい食わせてやる」
ヨシ、とうなずいてピペルは飛んでいった。ピペルの腹いっぱいなど安いものである。
これでひと安心と思い、小瓶捜索の手を抜いたアーディは甘かったと言わざるを得ない。少し休みつつ、それでもなんとか一階廊下に到達すると、そこにはポツリと背中を向けて座っているピペルがいただけである。
「ピペル、薬は?」
そう訊ねると、ピペルは振り返って、んんん、と唸った。
「薬の小瓶なんぞ落ちとらんぞ。ワシは現物を知らんので匂いも辿れん」
「そんな……。誰かが拾って持ち去ったのか?」
「まあ、落し物なら届けるかのぅ」
と、二本足で立って手を組むピペルの姿勢に猫らしさを感じない。
「とりあえず、聞き込みをするしかなかろうな」
言っていることは至極真っ当であるけれど。
「ああ、早くしないと……」
ドンッ。
ズズズ――
小さな振動が上の階から響いた。暴れているのは間違いない。
急がなければ。