〈5〉誰か
その日、レノーレは上級生から呼び出されていた。名前も知らないのだから、顔も知らない。ただ、机の中に手紙が入っていたのだ。放課後、校舎の裏に来てほしい、と。いつまでも待っている――らしい。
またかと思った。
学園に入学してから何通目の手紙で、何度目の呼び出しだか覚えていない。
正直に言って、行かなければいけない義理は何ひとつない相手だ。だから、放っておいても構わない。
構わないのだけれど、レノーレは結局、呼び出されれば毎回赴いてしまうのだった。
放っておくのは結局、自分もスッキリしないのである。相手も同じだ。不毛な想いを抱き続けるより、あっさりと忘れて別の相手を見つけてくれたらいい。きっぱりと振るためにレノーレは呼び出しに応じるのである。
大体、こうした手合いの九割はレノーレに対し幻想を抱いている。趣味はお菓子作り、刺繍、ペットの小鳥と戯れること。うふふ、と口もとを隠して上品に笑い、口汚いセリフは吐かない。――なわけないのだ。
お菓子は食べたことしかないし、チマチマした作業は嫌いだ。鳥なんて飼ったこともない。エーベルといる時なんて終始怒りっ放しだし、そのうち手も出るほど喧嘩っ早い。
だから、ちゃんと断れなくて押し切られるなんてことはない。かなりはっきりと断る。それでも諦めない生徒会長、ケンプファーのようなのもいるけれど、大抵は幻滅して涙ながらに去ってくれる。レノーレとしても追いかけてほしいとは思っていないのだからそれでいい。
ひとつふたつ年上なだけの生徒なんて結局のところ子供だ。レノーレはそう思って来た。だから自分が選ぶ男性はきっと、うんと年上なんだろうなと漠然と感じていた。
それが、アーディである。
あろうことか年下だ。
アーディは年下と思えないような落ち着きと頼り甲斐がある。目立ちたがらないけれど、頭もよいし強い。それなのに、自分の能力をひけらかさないところが好ましかった。そういう男の子だからこそ、エーベルのような奇人までもが懐くのだ。
実家にいた時、エーベルにあれほどものを言える人間はレノーレの他にはいなかった。レノーレの父母でさえ、あまリ刺激するようなことを言うなと注意したほどだ。でも――。
エーベルは変人だけれど、皆が心配するような危険はない。彼もまた、血筋や容姿で判断されているに過ぎない。それは今のレノーレの状態と同じである。
この学園に通い出して余計に、本来の自分を認めてもらえることがどれほど嬉しいことなのかを思い知った。都合よく抱かれた幻想ではない、飾らない自分を。
校舎裏で緊張の面持ちでカカシのように微動だにしない上級生がいた。背は、低くはない。高い方だけれど、別にそれだけが男性の価値ではない。
「レ、レノーレ君、来てくれたんだね」
顔は、悪くはない。少しくすんだ金髪がきちんと整えられているし、眉毛も手入れしていると見えた。
ただ、緑の瞳は落ち着きなくさまよっている。
「ええ、要件をお伺いしに来ました。手短にお願いします」
にっこりと微笑んで、手厳しく言い放つ。上級生の顔があれ? と困惑の色を滲ませた。それでもまだ、気のせいかなとでも思っているのか、頬を染めてもじもじと言った。
「あ、その、だね、レノーレ君は誰ともつき合っていないと聞いたんだけれど、本当かな?」
手短にと言ったのに回りくどい。レノーレはひとつ嘆息した。
「ええ。それが何か?」
「そ、それじゃあ、僕が立候補してもいいかな?」
レノーレはにこりと微笑む。ただ、期待させるような笑顔ではないはずだ。
「つき合っていないのは、好きな人が振り向いてくれないからなんですよ。他の人は選ぶつもりがありませんので、どうぞ先輩は別の女の子を選んで下さい」
「え? い、いや、僕は君を振り向かせられるまで待つから――」
うっとうしいけれど、ここで怒鳴ってはいけない。なるべく穏便に済ませたいのだ。
大丈夫、こういうタイプはしつこくはならない。
「そう言って下さった方、先輩で何人目でしたかしら?」
「へ?」
「ごめんなさい、あたし、特別な一人以外にいい顔をしたいと思っていないので、お断りさせて頂いています。じゃあ、そういうことで」
ああ、燃え尽きた顔をしている。善良な人とも言えるのかも知れない。
けれど、仕方がないのだ。そんな気はまるでない。何人寄ってこようと誇らしさもない。
それをわかってほしいだけだ。
サッと背を向けてレノーレはその場を去った。多少の罪悪感はなくもない。ただ、それを感じたからといってどうすることもしない。中途半端は嫌いだから。
ザックザックと大股で歩く。ため息が零れた。アーディに会いたい。
校舎に沿って歩く。
角を曲がって少し行った先の茂みに、何故だか生徒とも先生とも違う服装の背中があった。ラフな装いのその背中は、隠れて何かを覗き見ているように見えた。
だからレノーレは気になってその背中に近づいた。