〈2〉用務員?
常春の学園。
その中庭はいつもうららかな日差しと花の香りに包まれ、美しく保たれている。ゴミのポイ捨てをするようなモラルの低い生徒は少ないものの、それでも中庭に限らず学園の中は常に整えられていた。
そこには用務員なる掃除や雑務を担当してくれている存在がいる。それは決して優雅に飛び交う妖精ではない。妖精は『ココキタナイョ』くらいのお知らせはしてくれてもゴミは拾わない。ゴミの方が大きいことの方が多いので、拾ってくれとは誰も言わないが。
なので、学園にはれっきとした用務員が数名いるのである。ただし、彼らはいうなれば演劇の黒子のようなもの。表舞台に立つことを良しとせず、生徒たちが知らぬ間に清掃をし、快適な環境を整えてくれている。
生徒たちに表立ってありがとうと言われることの少ない役職ながらに、それでも日々学園のために働いてくれているありがたい存在である。
さて、そんな用務員(?)にヴィルがばったりと出くわしたのは学園祭を終えてひと月もした頃であった。
クラス委員であるヴィルは度々職員棟へ呼ばれて行く。その帰りのことであった。放課後、中庭を通り過ぎる時、茂みの中に茶色の何かを見つけたのだった。最初はそれがなんなのか深く考えなかったけれど、近づいてみるとそれは茶色の頭髪であったのだ。人の頭が茂みの中に紛れている。物陰に潜んでいるのだ。
物陰に潜まなければならない理由は、誰かから逃れるためだろうか。そうは思ったけれど、その頭は茂みから誰かを眺めているようにも思えた。
もしかすると、片思いの相手がいて、遠くから相手を見つめているのだろうか。そんな風にも思えてしまったのは、ヴィル自身がクラスメイトに淡い恋心を抱くからかも知れない。
手助けなんてできるはずもないけれど、ヴィルはその人物のことが少しだけ気になって茂みの後ろから近づいてみた。
すると、その人物は生徒ではなかった。制服を着ていない。先生たちとも違う、本当に簡単な綿のシャツとサスペンダー、カーキーのパンツ。屋敷の使用人のようなスタイルである。
体型はぽっちゃりとがっしりの間くらい。それほど背は高くなさそうだった。頭はただ一点を見つめるのに必死で、ヴィルが背後に迫っていてもまるで気づかない。
このまま声をかけずにそっとしておこうかとも思ったけれど、少しだけ気になった。先生でも生徒でもないこの人は一体誰なのかと。
「あのぅ……」
控えめに声をかけると、その人物はヴィルの予想をはるかに越える驚きをみせ、飛び上がりそうになった。ヒッと悲鳴を上げかけて、慌ててそれを押し戻して飲み込む。
「ご、ごめんなさい」
目を回しそうな勢いだったので、ヴィルは申し訳なくなって謝った。すると、その青年は冷静さを取り戻したらしく、深々とため息をついた。顔立ちはやや丸く、愛嬌があるというべきだろうか。黒縁の眼鏡をかけ、いかにも勤勉そうだ。年の頃は二十代前半くらいだろう。
「あ、や、僕に何か用だった? ――ううん、そんなわけないよね。僕はここじゃ空気と同じ。呼び止められるわけない」
独り言のようにブツブツとつぶやく。空気と同じと言われてしまってはどう接していいのか困る。目の前にはぽちゃガッシリな青年がちゃんといるのだ。
「いえ、その、あんまりにも熱心に何かを見ていらっしゃったので、どうしたのかなって気になってしまいまして」
控えめにそう言ってみると、青年は自分の胸元をぽんと叩いた。
「僕は見てわかるようにこういう者さ」
「……見てもさっぱりわかりません」
「おかしいな? 先生でも生徒でもないってこと。見てわからない?」
「すいません、それはわかりました」
だが、その先がわからない。だから声をかけたのだ。
青年はきょろきょろと周囲を見回すと、今度はじっとヴィルを見据えた。
「この学園で先生でも生徒でもない人間は用務員だ。わかったね?」
「はい」
ヴィルは素直にうなずいた。なんだろう、年上だからにしても何か偉そうである。
そうは思ったけれど、エーベルに比べたら偉そうと言ってもささやかなレベルだ。まあいいかと思うことにした。
「そうでしたか。お勤めご苦労様です。では、失礼します」
仕事の邪魔なのか、あまり声をかけてほしくはないのだろう。あっちへ行けというオーラがヒシヒシと発せられた。ヴィルはそれを読んで立ち去ろうとしたというのに、今度は何故か用務員の方からヴィルを呼び止めた。
「君って、もしかして一年生?」
「え? あ、はい」
「クラスは?」
「クラス・フェオです」
それを聞くと、用務員はぱっと顔を輝かせた。
「クラス・フェオ! 時間割を教えてくれるかい?」
これは、よく見ると怪しい人なのかも知れない。さっきからじっと見ていたところにクラス・フェオの生徒がいたのだろうか。
可能性として考えられるのは、エーベルのストーカーだろう。つきまとわれたところでエーベルはお構いなしだろうけれど、要らないトラブルは回避した方がいい。
「ええと、忘れてしまいました。ごめんなさい。じゃあ、私はこれで!」
と、ヴィルはそそくさとその場から逃げるようにして立ち去った。