〈12〉学園祭のおわり
盛大な拍手を浴びながらカーテンコールを終え、舞台袖に引っ込むと、そこに黒い塊――ピペルが素早く駆け込んで来た。
「ヴィルしゃんヴィルしゃん、とーっても素敵でしたにゃー! レノしゃんのお膝からちゃんと見てたですにゃー!」
――何か聞き捨てならないひと言が混じっていたようにも思うけれど、ヴィルが嬉しそうに笑ったのでアーディは何も言わなかった。
「ありがとう、ピペル」
ひとつの試練を越えたせいなのか、ヴィルはどこか堂々と背筋を伸ばして立っていた。儚くも見えるけれど、しっかりと芯もある。たった三歳程度のことなのに落ち着いた大人に見えるから不思議だ。
アーディの視線に気づいたのか、ヴィルは落ち着かない表情になってエーベルに訊ねる。
「あの、そろそろ呪い解いてくれないかな?」
面倒くさそうにエーベルはあくびともため息ともつかない吐息を零した。
シャ、シャ、シャ、と指先で魔法陣を描き、エーベルは淡々と術を放つ。
「ほりゃ」
その解呪は本当に一瞬のことだった。白い煙が僅かに立ったかと思うと、ヴィルはいつものヴィルになっていた。同じドレスを着てはいるけれど、髪も短く、どこか中性的な容姿の。
けれど、その瞳には少しだけ以前よりも力があるようにも思われた。
舞台袖の暗がりの中で起こったことは他のクラスメイトにはよく見えなかっただろう。カツラを取ったくらいにしか思われなかったようだ。
そうして、ヴィルはにこりとアーディに微笑みかけた。
「クラス・ウルの演劇が終わったら、レノ先輩のクラスの出し物に行かない? 喫茶店なんだって」
「ん? ああ、わかった」
「レノ? アイツはガサツだから、茶なんかいれれないゾ?」
と、エーベルは青筋立てて怒られそうなことを言ったけれど。
さっぱり演劇の衣装から着替えを済ませると、今度は観劇に回った。案の定、クラス・ウルの演劇の主役はフィデリオだった。囚われの姫を救い出す騎士の物語だったけれど、エーベルとヴィルの二人ほど煌びやかではない。あの後ではきっとやりづらいだろうと思うと気の毒な気もした。
おざなりな拍手のカーテンコール。
後はもう自由行動だ。
アーディはヴィルと、誘ったつもりはないがエーベルと三人でレノーレのクラスを訪ねる。喫茶ということは、レノーレがメイド服で客引きでもしているのだろうか。花の香に誘われる虫のように客が群がっていても不思議ではない。
覗いた先は確かにかなりの人だかりではあった。ただし、男女入り乱れている。キャーキャー嬌声が飛ぶ先にレノがいた。
「……」
「……」
「レノ先輩?」
長くふんわりとした髪を黒いリボンでひとつに束ね、トレイを片手に颯爽と歩く姿はメイドではなかった。長い脚は少しも露出せず、細身のパンツにギャルソンエプロン。シャツとベスト、つまり男子生徒の制服を着込んでいるのだ。
それがまた不思議と似合っている。きっと、その制服に似合う雰囲気を出すのが上手いのだろう。性格がサバサバしているせいか、機敏に動く姿は颯爽としていて騒がれるだけのことはある。
レノーレは忙しそうに立ち動いており、声をかけるのも憚られた。ただ、そんな彼女に嬌声を上げていた女生徒の一人がアーディたちのそばで言ったのだった。
「レノーレ先輩素敵! ねえ、去年の演劇でも男装していたらしいわね。見たかったなぁ」
男装。
そういえば一年生は演劇だというなら、去年のレノーレも同じように演技をしたはずなのだ。姫だの可憐なヒロインではなく、男装だと。
それを聞いたエーベルはププ、と吹いていた。けれど、次の瞬間には皆が黙った。
「男装って、演目は何よ?」
「『英雄記』だって」
「ああ、英雄王の役? それはかっこよかったかも」
「違うわよ。魔術師ツヴィーベル役」
「へ?」
「誰もやりたがらなかったから立候補したんですって。そういうところも素敵よね」
レノーレ先輩なら悪の魔術師でもかっこいいとかなんとか、女生徒たちはお喋りを続けていた。
アーディとヴィル、それから足元のピペルは恐る恐るエーベルの顔色を窺った。ただ、驚くくらいエーベルは真顔だったのである。ノーリアクションとか怖いからヤメロと思う。
しかし、この時のエーベルが何を思ったのか、訊くに訊けない二人と一匹であった。
結局そのまま、忙しそうなレノには声をかけられず、三人揃ってすごすごと退散したのである。ぐるっと回ってみたものの、これと言って印象に残るものはなかった。ただ、エーベルは自分なりに興味の対象を見つけたらしく、くだらないことにはしゃぎ、アーディを引っ張り、楽しげにはしていた。そうしているといつものエーベルらしい。
そうこうしていると、学園祭も終わりを迎えた。始まった時と同じように学園長が閉会の挨拶をして〆た。ただ、学園祭には後夜祭と呼ばれるものが存在する。学園一年生のアーディは初めてその存在を知ったのだった。
要するに、祭の打ち上げである。がんばったご褒美に、多少の夜更かしと馬鹿騒ぎが許されると、そういうことだ。
校庭に積み上げられた櫓。そこに点火され、ファイアストームが学園の夜を照らす。学園の中を回遊している妖精たちもこの時ばかりは酔いしれたように自身の輝きを見せつけながら煌いていた。炎のそばを七色の光珠が舞い、それは幻想的な夜である。櫓の周囲で踊る生徒たちもいれば、それを眺めながら話すだけの生徒もいて、特別な決まりはなく自由なものだった。
「うわぁ、綺麗!」
アーディの隣ではヴィルが楽しげに炎と妖精の光を見上げていた。達成感からか、いつもよりはしゃいでいる姿をアーディも微笑ましく感じた。エーベルは指先で妖精を追っていたけれど、どれだけにこやかでもこちらは無邪気には見えない。そのうちに撃ち落とさないか心配である。
そんな時、ヴィルが不意にあ、と声を上げた。その視線の先にはレノーレがいた。木陰で、男装は解いていつもの制服姿である。
ただ、その手首をつかんでいる男子生徒がいたのだ。背が高く、整った容姿で、どこかで見たことがあると思ったら、多分生徒会長だ。ただ、レノーレは振り払おうとしているように見えた。
「レノ先輩、あの人のこと苦手って……」
ヴィルがおろおろとそんなことを言った。はっきりものを言うレノーレだから、きっぱり断っているだろうに、それでも相手が引かないのだろう。助け舟を出すべきかとアーディはとりあえずそちらに向けて走った。ヴィルもついて来る。
けれど、その頃にはすでにエーベルが瞬間移動かと言うほどの速度でレノーレのそばにいたのである。そうして、パシン、と生徒会長の手をはたいた。
その時のエーベルの横顔はいつもの奇行とは結びつかず、美貌に凄みを増して、威圧するように生徒会長を見据えていた。身長は生徒会長の方が高いのに、あの顔にはどうしても気圧されてしまう。
「え、あ、その……」
言葉に詰まった生徒会長と、彼を睨むエーベルとを置き去りにしてレノーレはアーディとヴィルの方に駆け寄って来た。
「アーディ、ヴィル、演劇お疲れ様! 二人ともすごくがんばってたわね」
と、二人をまとめて抱き締める。レノーレにじゃれつかれながら、ヴィルはエーベルをチラチラと見た。
「あの、エーベル君が……」
「ああ、うん。助けてくれたつもりか、あたしのことは関係なくケンプファーのことが気に入らないか、どっちかしら」
素直に感謝しない理由はそこらしい。
けれど、アーディには意外であった。エーベルがああいう風に動くというのは。
いつもいがみ合っているように見える二人だから、そのレノーレが言い寄られていても、どちらかと言えばエーベルは腹を抱えて笑いそうに思えたのだ。
アーディはやんわりレノーレの腕から抜け出すと、エーベルたちの仲裁に向かうように見せかけ、途中でピペルを拾って小声で訊ねた。
「エーベルのヤツ、あれは怒ってるのか?」
するとピペルはにゃははんと笑った。
「そりゃあ怒るだろ。薄汚い手でレノ嬢ちゃんに触って」
「……いっつも喧嘩ばっかりじゃないか。仲悪いんじゃないのか?」
「憎まれ口ばっかり利いとるのは、その方が楽しいからだ。エーベル様はな、相手とのやり取りで一番楽しいと思えるように相手を扱うんであってのぅ。嫌いならそもそもこの学園まで来やせんかったぞ」
アーディにはやたらとじゃれて来るエーベル。それをアーディがうっとうしいとあしらう。その形がエーベルには心地よく楽しいのだとする。
つまり、レノーレとは口喧嘩が楽しいのであって、嫌いなわけではない。むしろ、特別なのかも知れない。エーベルは特別な人間しかまともに名前で呼ばないのだから。
「わかりやすいような、わかりにくいような……」
仲裁をするまでもなく、生徒会長は背を向けて逃げ去った。それを冷ややかに眺めているエーベルに向け、アーディはピペルを投げつけてやった。エーベルは振り向きもせずピペルをキャッチすると、そこからアーディに向けてにやりと笑った。
そういう顔をしている方がエーベルらしい。
後夜祭。
馬鹿騒ぎは午前零時を過ぎる頃まで続いた。
【 5章End *To be continued* 】