〈9〉呪い
昼食は買って来るとアーディに言ったけれど、本当は食欲が湧かないヴィルだった。席に座ってブツブツとセリフを繰り返している。そうしていると時間の経過はあっという間だった。
衣装係の女の子たちは時間通りに戻って来てくれた。エーベルの着つけという一大イベントがあるのだから、それもそのはずか。先にヴィルの方を終わらせてもらわないと、エーベルを先にするとみんな卒倒してしまう可能性がある。早めに着つけてもらおう。
ヴィルはカタリと控えめな音を立てて席から立ち上がると、衣装係の女子三人に声をかけた。
「あの、着つけお願いできるかな? 早めに着て慣らしておきたいから」
すると、女子たちは顔を見合わせて、そして静かにうなずいた。
「ええ、いいわ」
この三人とヴィルは特別親しいというほどではない。女子には親しいグループというものがある。その輪の中にいるわけではない。ただ、これを機に少しずつ話せるようになれば嬉しい。
教室の後ろに即席のカーテンで囲った場所がある。そこで着替えるのだ。
ヴィルもドレスを着慣れていないわけではない。コルセットで締めるのは好きではないけれど、これは劇の衣装なので本物よりはゆとりを持って作られている。あまり締め上げては演技どころではないから。
青いドレスは無事に着せてもらえた。既製品に少し手を加えたというけれど、器用なものだ。
「後は髪ね」
と、女生徒の一人、綺麗なストレートヘアのエルマが言った。
ヴィルの髪は銀髪のショートヘアである。アップにするほど長くもないけれど、短いなりにそれらしくセットはできる。アップにした方が姫らしいからそうしようと打ち合わせで決めていた。
ただ、その次の瞬間、ヴィルは耳を疑った。
「ま、髪型をちょっといじったくらいでどうにかなるわけじゃないけどね」
「え?」
きょとんとしたヴィルに他の二人もクスリと笑った。
「だって、エーベルハルト様の相手役よ? ちょっと着飾ったくらいで釣り合うと思う?」
「それは……」
そんなことは最初からわかっていた。皆の視線はエーベルに釘づけで、ヴィルがどれだけがんばったところで、そのがんばりを見てくれている人間がどれくらいいるだろう。
身の程知らずと笑われるのがオチなのに、と彼女たちは思うのか。
「……じゃあ、このままでいい」
そんな投げやりな言葉が自然と口から零れた。
自分は所詮その程度の存在で、がんばりひとつで輝ける素材ではないという現実を突きつけられたのだ。悲しくないわけがない。
今のままではいけないと『あの人』は言ったけれど、この先にヴィルが変われる保障なんてないのだ。
ヴィルはそばにあったオモチャのティアラを握り締め、そうして教室を飛び出した。走り去るヴィルを道行く生徒たちがチラチラと見たけれど、ヴィルは一目散に駆けた。
そう、逃げ出したのだ。一人になれる場所に行きたかった。
トイレは列ができていたために諦め、ヴィルは階段を駆け上った。屋上は開放されていないけれど、その手前の扉のところに来ると、ヴィルはその手前でうずくまって声を殺して泣いた。どうしてこの程度のことで泣いてしまうのかと考えると、それだけ自分がこの役に対して意気込んでいたからだと思う。
がんばりが報われないのは何が悪いのだろう。
ひく、ひく、としばらく泣いていた。ただ、このまま戻らないという選択は真面目なヴィルにはできないのである。無様でも、舞台に穴を空けてみんなに迷惑はかけられない。
ただ、こんな泣き腫らした顔で舞台に立っていいものなのだろうか。早く泣きやまなくてはと思うほどに涙が止まらない。
そうしていると、鍵がかかっているはずの屋上の扉がガチャリと開いた。
ヒッとヴィルが後ろに仰け反ると、そこから平然とエーベルが現れた。エーベルはすでに着替えを済ませていた。スタイリッシュな狩人の格好である。担いだ矢筒と羽根突き帽子が妙に似合っていた。
「か、鍵は!?」
「んあ? ボクにはそんなもの通用しないのダ」
得意げに言うけれど、それは通用しなくちゃいけないと思う。
「ちびっ子がいないってアーディが探しに行ったから、ボクまで探すハメになったんじゃないか」
「ア、アーディが……」
心配をかけてしまった。今更になってそれが恥ずかしくなる。しょんぼりと項垂れると、エーベルがそれで? と言った。
「ソレデ? 何してるんだぁ?」
何と言われても困る。落ち込んで泣いていただけなのだ。
何かを言わなくてはと、エーベルの美貌を直視せずにうつむいたままつぶやいた。
「……私って、姫ってガラじゃないよね」
「そーだな」
即答された。
いや、訊いた相手がエーベルなのだ。まさかと言うこともない。
やっぱりか、とヴィルは更に沈んだ。それでもエーベルは楽しげだった。
「ボクが見たところ、オマエには三年早いナ」
「三年……」
微妙な歳月である。そんなことを言われても、どうしようもない。やらなくてはならないのは今なのだ。
ぐすん、とヴィルが鼻をすすっていると、エーベルがため息をついた気配があった。
「なんだ、姫っぽくなれないから泣くのか?」
「う……」
「仕方ないナ。それならボクが呪いをかけてやろう」
耳を疑った。
呪い、と。
「の、の、の、呪い!?」
見上げると、エーベルはこっくりうなずいた。
その指先が赤く光る。エーベルが操る魔法陣はヴィルにはまるで理解できないほど難解であった。
「――ギューフ・ウィン・ハガル・ヤラ・ユル・ベオーク・ラーグ・ダエグ――と」
ブツブツつぶやきながら魔法陣を完成させた。逃げるべきなのかも知れない。けれど、その赤黒い魔法陣を前にヴィルは足がすくんだのである。
血筋は争えない。邪悪な笑みを浮かべつつ、エーベルはヴィルに呪いをかけた。