〈7〉知ってる
ヴィルは自分のキャパシティを越えた大役に正直なところへこたれそうだった。
相手役のエーベルがそれはそれは真剣な眼差しでヴィルを見つめるのだ。正面からその顔を見るたび、どう見ても自分よりも美しいのである。この顔を前に、セリフとは言え『美しい』と連発されても悲しくなる一方である。
エーベルはとても真面目だった。稽古は一度もサボらず、先生の指示通り完璧に動いた。むしろヴィルの方がとちったり間違えたりする。そういう時はエーベルは無言で待っている。オマエは駄目だナ、とか本心では思っているはずなのに、それを口にしないのは、多分アーディに叱られた一件のせいだろう。
彼なりにアーディに見直してほしくてがんばっているのではないかとヴィルには思えた。
アーディもエーベルと同じでなんでも涼しい顔をしてこなしてしまう印象であったけれど、どうやら演技は初めてのようで、かなりの苦手分野であるのだと知った。
台本を前に、いつものポーカーフェイスが崩れて、難しい顔になる。耳の先まで赤いのがとても意外だった。それでも向き合おうとがんばっている姿にヴィルも励まされる。
特訓は大詰めだ。衣装も合わせた。なんだかアーディの衣装が一番適当だった。白い布を巻いただけに見える。
エーベルの衣装は狩人なのでそれほど華美ではないものの、飾りベルトなど、細部までこだわってある。ヴィルのドレスもブルーが基調でスパンコールがあって、舞台の上でほどよく輝きそうだ。
準備は着々と進み、学園祭は明日というところまで迫った。一ヶ月などあっという間だ。
不安しかないけれど、練習した時間は確かなものだ。きっと大丈夫だと信じるしかない。
ただ、エーベルに近づくと女子の視線が妙に厳しくなるのが悲しいところである。
学園祭の前日、最後の通し練習を終え、ディルク先生は張りきって言った。
「本番もこの調子でがんばろう! 大丈夫、きっと大成功だよ!」
だといいのだけれど。
チラリとアーディを見遣ると、顔が固まっていた。余計なことは考えないようにしているのだろう。
解散を言い渡されると、アーディはヴィルとエーベルのいる方に向けて大きくうなずくと、さっさと教室を去った。どうやらいっぱいいっぱいのようだ。本当に珍しい。
「……アーディ、大丈夫かな?」
と、いつもとは逆にアーディの心配をしてしまうヴィルだった。人のことを気にしている場合ではないのだけれど。すぐさまエーベルにそれを突っ込まれた。
「オマエがとちる方がマズイからなー」
ハハハンと笑っている。エーベルは余裕だ。
「エ、エーベル君も練習がんばったものね。正直、こんなに熱心だと思わなかった」
叱られるの覚悟で言ってみたら、エーベルは頭の後ろで手を組み、伸びをしつつあっさりと答えた。
「やらないとまたアーディが怒るじゃないか」
「あ、うん」
やっぱり、気にしていたみたいだ。アーディにしてみたら、エーベルがヴィルにズケズケとものを言うから、歯止めの意味で釘を刺してくれただけのことなのかも知れない。きつく言わないと利かないから、少し強く言っただけなのだと思う。
フォローの意味を込めてヴィルはそっとつぶやいた。
「あの、嫌いとかアーディは本気で言ったわけじゃないと思うよ?」
すると、エーベルはにゃは、と笑った。
「知ってる」
「え?」
「アーディがボクのこと嫌いなわけないじゃないか。知ってるケド、アレ、言ったアーディの方が気にしてるんだゾ。たまにはこういうのも面白いなーと思ってノってみてるだけ」
その自信はどこから来るのでしょうか? とヴィルは真顔で訊ねたくなったけれど我慢した。ただ、ピペルが足もとで口を滑らせた。
「本気で嫌われないようにご注意下さいにゃー」
ぐしゃ、とためらいなくブーツの底がピペルの背中にめり込んだ。
「あああ……」
ぐえぇえ、と鈍い声がするので、止めなきゃと思うのに、オロオロするばかりで止められないヴィルであった。
そんな二人と一匹のやり取りは仲睦まじくあったのだろうか。気づいた時には女子たちの視線が以前にも増して厳しかった。ヴィルに目を向け、ヒソヒソと話す様子に胸騒ぎがしたけれど、ヴィルは気のせいだと思うことにした。
本番は明日だ。余計なことを考えるのは終わってからにしなくては。